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日本国有鉄道史 輸送力増強と国鉄 第5話 機関車の再改造と輸送力増強

戦後は貨物輸送よりも、旅客輸送が重要となり、余剰となったD52形機関車のC62への改造や、EF13形機関車などの整備が行われました。

更新日: 2018年10月01日

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鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回は戦後の車両再改造について書かせていただきます。C62は有名な話ですが、それ以外にもEF13の改造なども行われました。

blackcat_katさん

戦時中に製造された、機関車達

戦時中に製作された、EF13、D52などは、通勤形電車の63形同様、戦時設計と言われる構造であったため代用部品や、設計の簡略化などが行なわれており、実際にD52形蒸気機関車では走行中にボイラが爆発して、機関士が死亡するといった事故が発生しています。
 そこで、これら機関車の標準化改造行なうとともに、一部は増えつつあった旅客輸送に転用するため、昭和26年頃から貨物機関車を旅客用機関車に改造する工事が行なわれることとなりました。
 現在、日本最大の機関車として、今も人気の高いC62形蒸気機関車は、D52形のボイラを流用した蒸気機関車です。 また、それとは別に、戦前は国防上の理由で、電化が制限されていた東海道線など幹線が電化され始めたため、幹線用の大型蒸気機関車を地方線区に転用する必要が生じました。
 そのため従輪(運転席よりの車輪)を一軸から二軸に改造する工事が、昭和25年から行なわれ、(幹線用の機関車は当時、軸重15t~16t、地方線区では14t程度)D52改造のD62を筆頭に、D50形改造のD60形、C59改造のC60形などが誕生しました。
他に、D51のボイラなどを流用した、C61もこの時期に誕生しています。

機関車編 D52→C62

1948年(昭和23年)から翌1949年(昭和24年)にかけてD52形蒸気機関車の改造名義で49両が製造され、その牽引力や重量から、輸送量を要求される、主に平坦地や、軟弱地盤の少ない東海道本線、山陽本線など主要幹線の優等列車牽引に使用された。

1948年(昭和23年)5月20日に日立製作所笠戸工場で落成。3・4号機とともに自動給炭機の試用機として製造され、同年6月14日付で糸崎機関区に新製配置された。1950年(昭和25年)8月12日に宮原機関区へ転属。翌1951年(昭和26年)に鷹取工場へ入場した際に、当時行われていた模範整備運動と宮原機関区からの要望で、除煙板にステンレス製の「つばめマーク」が取り付けられたことから、「スワローエンゼル」の愛称で親しまれる。
 引用 wikideia

機関車編 D51→C61

国鉄C61形蒸気機関車(こくてつC61がたじょうききかんしゃ)は、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけて製造された日本国有鉄道(国鉄)の急行旅客列車用テンダー式蒸気機関車である。D51形のボイラーを流用して製造された。

1948年(昭和23年)7月31日、三菱重工業三原工場にて製造された。ボイラー等はD51 1109から提供された。仙台や鹿児島に配属された後、1972年(昭和47年)10月10日より梅小路蒸気機関車館→京都鉄道博物館(2016年4月新装開館)にて動態保存されている。

軽量化改造 C60

山陽本線、東海道本線などの幹線の電化に伴い、C59形は他の路線に転じることになった。しかしC59形は特甲線用のため軸重が大きすぎて、他の路線には入ることができなかったため、従台車を1軸から2軸に変更して軸重を軽減し、これをC60形とした。

従台車が2軸になったので軸配置はパシフィック(2C1=先輪2軸、動輪3軸、従輪1軸)からハドソン(2C2=先輪2軸、動輪3軸、従輪2軸)に変わっている。これによって若干牽引力が落ちているほかは性能的にC59形とほぼ同等である。

軽量化改造 D62

終戦当時、国鉄(当時は運輸省)には戦時物資輸送用の貨物用機関車が大量に在籍していたが、これらは終戦と共に大半が余剰となった。中でも本形式の母体となった幹線用大型機D52形は車齢は浅いものの、戦時設計と徴用工による工作の拙劣さがたたり稼働率が著しく低下していた。大量の状態不良車を廃車にしたほか、C62形へ改造されたものもあったが、将来見込まれる幹線の電化や亜幹線の老朽機の淘汰などを勘案した結果、基本設計に沿った装備改造と共に線路等級の低い線区へも入線出来る軸重軽減改造を施して新形式D62形を誕生させることになった。

軽量化改造 D60

終戦数年後の1950年代、D50形・D51形など乙線規格の貨物用蒸気機関車は戦時中の大量生産と終戦、また戦後の電化の進行に伴い、余剰状態となっていた。一方で、丙線区の貨物列車は当時は9600形やC58形が牽引していたが、9600形は老朽化が著しく、C58形は牽引力が不足しており、丙線区向け貨物用蒸気機関車については新形式の登場が望まれていた。

機関車編 改修 EF13

戦時の資材不足が深刻化すると在来形機関車の生産自体が困難となり、EF12の機能を簡略化した代替機が求められた。こうした状況を背景に開発されたのが戦時形機関車であるEF13形であった。

EF13形は戦時設計の典型例であり、当座の戦争期間中をしのげればよいとする思想で設計された。そのコンセプトは外見からして一目瞭然である。戦前の国鉄大形電気機関車は両端先輪上デッキ部のみを残して動輪上部分一杯の全長を持つ箱形車体を標準とするが、EF13は使用鋼材を極力節約するため、車体前後をボンネット状の機器室とし、中央部に短い車体を備える「凸型」車体を用いた。しかも工数削減のため車体・ボンネット部ともスタイリングや仕上げ工作は全くしない、直線基調の粗末な造りになった。

しわ寄せは内部にも及び、主電動機や通風(送風)機器、保安機器類の配置、装備ともに安全性を犠牲にした簡素な設計を採っていた。最たる例は電装系の焼損事故からの保護に絶大な効果のある部品として技術陣・運用現場の双方から重要視されていた高速度遮断器を、資材節減のために省略し、ヒューズで代用した 引用 wikipedia

戦時輸送即応のために簡素な設計を採ったにもかかわらず生産は滞り、戦争中に完成した車両は7両に留まった。製造は戦後も1947年(昭和22年)まで続き、最終的に31両が製造されたところで、新たに開発された後継形式のEF15形が増備されることとなり製造は終了した。 引用 wikipedia

電車編 モハ63

国鉄63系電車(こくてつ63けいでんしゃ)は、1944年(昭和19年)から1951年(昭和26年)にかけて大量に製造された運輸通信省鉄道総局・運輸省および日本国有鉄道(国鉄)の直流用通勤形電車である。
なお、この呼称は同一の設計思想に基づいて製造された電車を便宜的に総称したもので、国鉄制式のものではない。狭義にはモハ63形およびサハ78形を指すが、一般的には登場の経緯が異なるものの、ほぼ同一の構造を持つクハ79形も含まれる。

当初、戦時体制下の輸送力増強を目的に開発された電車であるが、21世紀現在に至るまでのJRや大手私鉄でラッシュ輸送に広く用いられている「全長20m、片側4扉」タイプの、通勤輸送向け大形車体を本格採用した最初の電車として、日本の鉄道史上画期的な存在である。

終戦直後の混乱期を背景とした輸送需要の増加に際し、在来車両の戦災損耗や老朽化による著しい輸送力不足を補い、大都市通勤輸送の主力を担った。

しかし、その登場の経緯から極めて粗悪かつ不完全な設計であり、1951年(昭和26年)に多くの犠牲者を生じさせた車両火災事故「桜木町事故」に際しては、63系電車の欠陥が被害を拡大させる原因となった。

C61,C62は、戦後電化が推進されていたこともあり、転用先を考慮して、従輪にかかる重量を調整することで動輪上重量を変更できるように考慮されており、C59が転用先に苦心し、C60形に一部が改造されましたが、C61,62は、函館本線などに転用された事はご存じの通りです。なお、一部【8両】は、当初から軽軸重車として製造され、東北本線や、常磐線にも投入された他、18両が軽軸重形に改造され、北海道で最後の活躍を行ったことは、皆様もよくご存じの通りです。

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