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日本国有鉄道史 輸送力増強と国鉄 第6話 ディーゼル機関車の開発と頓挫

国鉄があった時代、国有鉄道史の解説ページになります。

更新日: 2018年10月03日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、弊サイト国鉄があった時代blogの解説記事になります。今回は、デイゼル機関車の開発と挫折と言うことで、翠明期のお話をさせていただこうと思います。

blackcat_katさん

戦前のデイゼル機関車は、小型機関車のみ

戦前からディーゼル機関車並びにディーゼル動車の研究は進められていましたが、太平洋戦争(大東亜戦争)により石油が流通しなくなったことから研究は頓挫していました。
  戦後はローカル線経営における輸送改善の見地から山間部を走るローカル線などを中心にそういった無煙化に関する要請が強くなったこともあり、再び研究が開始されました。
気動車に関しては、戦前にDMF31系エンジン【鉄道省が、新潟鐵工所・池貝製作所(現・株式会社池貝、株式会社 池貝ディーゼル)・三菱重工業の3社が同一仕様で競作した3種の試作エンジンに便宜上同一の省形式を与えたもの】を試用して、キハ43000と呼ばれる気動車が開発されましたが、大出力を必要とするデイゼル機関車は、中々普及せず、戦前に、DC10、DC11、DB10と言った機関車が輸入され若しくは試作されまた程度でした。
いずれも、出力が小さくせいぜい入換用機関車程度のものでしかありませんでした。
 戦後大きく発展するディゼルカーは、戦前にほぼ完成していたエンジン(ガソリンエンジン GMH17をベースにディーゼル化したDNH17)とこれまた戦前に完成していた液体変速機を載せたものをベースに発展するのですが、(この辺はまた別の機会に書かせていただきます。)

当時設計主任であった島秀雄の指揮の下で設計された、鉄道省で独自開発した大型ディーゼルエンジンを搭載する、総括制御方式の電気式気動車である。
当時ドイツやアメリカなどで流行していた流線型高速ディーゼルカーに範を求め、動力車のキハ43000形2両と付随車のキサハ43500形1両(キハ43000-キサハ43500-キハ43001)のMTM3両で1セットを構成し、3両1編成が1937年3月に神戸の川崎車両兵庫工場で製造された。
wikipediaから引用

第一次世界大戦後の世界的な不況を受けて鉄道経営も合理化を求められるなかで、入換等の作業を蒸気機関車からディーゼル化し、人件費と燃料費の節約を図ることが計画された。そこで初の純国産ディーゼル機関車として製作されたのが本形式である。 wikipediaから引用

DC11形ディーゼル機関車(DC11がたディーゼルきかんしゃ)は、日本国有鉄道の前身である鉄道省がドイツから輸入した電気式ディーゼル機関車である。 wikipediaから引用

DC11形ディーゼル機関車(DC11がたディーゼルきかんしゃ)は、日本国有鉄道の前身である鉄道省がドイツから輸入した電気式ディーゼル機関車である。 wikipediaから引用

国産大型デイゼル機関車は、ドイツ製エンジン搭載

国産での大型機関車の開発に時間がかかることから、昭和28年にはDD50形ディゼル機関車が導入されます、この機関車はスルザー形ディゼル機関(900PS)に発電機を搭載、130KWモータ4台を駆動する方式で、片運転台で当時人気のあった湘南形スタイルの前面マスクを意識していたものでした。
 早速、昭和28年には1次車3両が製造され、翌年更に2次車3両が製作され、全車北陸本線に投入されました。
 出力的にはD51形蒸気機関車を少し下回る性能という触れ込みでしたが、実際の運用では、短編成の旅客車を牽引できる程度であり、方向転換にSL同様転車台を必要とすることから、常に重連使用を余儀なくされることから使い勝手はあまり良いとはいえませんでした。

日本では戦前に製造されたディーゼル機関車はいずれも入換用の小形機関車であり、幹線用ディーゼル機関車の製造・使用実績は皆無であった。

その研究の成果として1953年(昭和28年)から製造された、日本初の幹線用ディーゼル機関車が本形式である。 wikipediaから引用

現場では不評であったDF50

また、現場の回想としてDF50も故障が多く、かなり苦労したと言った記述を見ることができます。
 また、昭和30年代には、鉄道車両業界は多くの試作機関車を試作しては国鉄で試用してもらっていました。
 成績良好な機関車jはそのまま購入されたりしましたは、多くは試用の後返却されました。
 有名なところでは常磐線で試用されてその後、購入されたDF40 (後DF90)や、DF41(後のDF91)や、山陰本線で試用されたDD91(DD54のベースとなった機関車)などが上げられます。
 余談ですが、DF90はエンジン音が非常に大きく今では騒音問題で苦情になるレベルでは無かったかと思われます。

線路等級の低い乙・丙線での使用を考慮し、軸重を14t以下に抑えるため6動軸とし、更に国鉄車両としては初めてB-B-B型軸配置を採用し、中間台車の横方向へのずれを許容して曲線通過時のレール横圧の軽減を図った。このB-B-B型軸配置 は以後設計の日本の6動軸機関車の標準となった 引用 wikipedia

DF50導入後も引き続き,進められた機関車開発

DD51が、純国産形機関車として開発されるまでは、多くの機関車がメーカーから試用という名目で貸し出され、一部の機関車は国鉄が購入して継続使用することもありました。

交通技術 昭和32年10月増刊号から引用

DD91は、ドイツのライセンスで製造され、好成績を収めたが、DD54では、国産標準品との互換が図られたほか,一部設計変更が行われ、結果的に故障を続発することとなりました。

併せてご覧くださいませ

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