1. まとめトップ
1 お気に入り 15610 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

佐倉幸助さん

著者であるフォン・ユンツトが世界中を回って見聞した、クトゥルフ、ヨグ=ソトース、ツァトゥグァ、ガタノトーア、シュブ=ニグラス、イグといった
恐るべき神々にまつわる古代信仰、秘密の宗派、さまざまな伝承、忘れられた言語などについて記されている。

本書には三つの版が存在するとされる。

ドイツ語の初版(無削除版)は、『黒の書』とも呼ばれ、1839年にデュッセルドルフで刊行されたクォート判(四つ折り版)の本である。
これは鉄の留め金のついた革製の装丁がなされており、発行部数が少なかったことと所有者たちが焚書にしたことにより、現在、
ヨーロッパとアメリカの図書館に全部で6部しか残存していない稀覯書となっている。出版後、ただちに発禁処分とされた。

第二の版は、1845年にロンドンのブライドウェル社から出版された英訳の海賊版である。翻訳者不明だが誤訳が多いとされ、多くの
グロテスクな木版画が収められている。公的、あるいは私的なコレクションに少なくとも20部が現存していることがわかっている。初版と同じく、
出版されてすぐに発禁処分となっている。

第三の版は、1909年にニューヨークのゴールデン・ゴブリン・プレス社から出版された英訳の削除版である。
これにも誤訳、誤植などの間違いが多数存在するが、廉価な八つ折り判であったこともあり、比較的多く現存すると考えられる。

フォン・ユンツトは本書が出版された翌年(1840年)に、施錠され、閂で閉めきられた部屋の中で、
ひき裂かれた未発表草稿とともに、喉にかぎ爪の跡が残った絞殺死体となって発見された。

またその後、彼の友人アレクシス・ラドーによってこの破られた草稿が復元されたが、ラドーは草稿を読み終えた後、即これを焼却し、自らの喉をカミソリでかき切って自殺した。

空から奇妙な細工が落ちてくるということが古くから記録に残されている。
特に小さな矢じりのような形のものを「エルフ・ショット」と呼び
これを英国人は得に忌み嫌ったという。
実際に空から落ちてくるものは様々であり、記録を調べてみると
金メッキ製品1911年以降、化学製品は1842年以降、
ボルトやナットは1936年以降、
プラスチック製品は1955年以降の現象であるとわかる。
竜巻で巻き上げられたのが原因の一つではないかと言われているのだが、
1955年インドのビジョリでガラスのビーズ玉が定期的に空から
降ってくるできごとがあった。
時には掌ですくえるほど大量に降る事も有ったというのだが、
それにあわせて在庫が減った工場や倉庫を探したのだが
一切の手がかりはつかめず、いったいどこで作られたものなのかも
結局不明なままだったという。

中国で古くから霊力があると言われてる
石のようなゴムのような生物のような不思議な物体。
茶色や白、黄色、あるいは黒色であったり様々なものが存在すると言われている。
近年発見された太歳らしきものに関しては、徐々に大きくなっていくという報告のものが多い。

古来中国では不老不死の妙薬の原料とされ、始皇帝が徐福に命じ不老不死の仙薬を求めた時も
その重要な材料として太歳の名前が挙がっている。
他にも、肉霊芝または肉万年茸と呼ばれて、中国古来の地理書や医学書にその名前が出てくる。

現在中国では、この太歳は幸運を呼ぶものと解釈されている場合があるようで、それらしきものが
大金で取引されているという話もあるのだが、歴史的に見れば、
祟り神のようにして扱われている場合も多くあり、中には「長い間触れていると死ぬ」といったような話もある。

可能性として語られる話に、太歳とは、変形菌の一つで、変形体と呼ばれる栄養体が移動しつつ
微生物などを摂食する動物的性質を持ちながら、胞子により繁殖するといった植物的菌類的性質を
併せ持った生物ではないかという指摘があるのだが、
どれが本来の太歳であるか不明なためはっきりしたことはわかっていない。
仮に、変形菌のひとつであるとすれば、生活環境や、その種の違いによって、
キノコのように時には毒素を作り出したり時には多幸感のある物質をつくりだすことも
無いとは言い切れないのではないだろうか。

トレパネーション。頭に穴をあけて脳を解放することで血流量を増やし、
脳を活発化させて、日々の倦怠感から解放し、多幸感を得ようという医学界では認められていない施術。
太古から行われていた外科施術の一つと言われている。
正規の医師の管理下によらず、自らドリルを手に頭頂部に穴をあける人たちもいる。
医学的には全くの根拠が無いと否定されているが、
長らくうつ病に苦しんだ末、トレパネーションによって活動的で幸福な人生を手に入れたと主張する人たちは、
うつ病の解決策の一つだとして、トレパネーションを推進しようし、医学界が積極的に取り組まないのは、
巨大な抗鬱剤市場をもつ薬品業界の陰謀であると主値している。
そもそも、近代トレパネーションの発端は、
1965年にオランダで発生したプロボという社会変革活動と密接な関係がある。
アーチストやアナーキストや学生運動家などを含んだプロボタリアート(プロボ活動に参加する人)たちは、
世間にその主張を訴える行動をプロボケーションという手法を取った。
そのプロボケーションとは言い換えれば「世間を挑発すること」であり、
プロボタリアートの唯一の武器として機能し、一時は地方議会の議席を得るまでになっていた。
そしてプロボケーションの手法の一つとして、ドクター・フヘスが、
直接的に頭蓋骨に穴をあけるトレパネーションを唱えた。
これを第三の目運動という。当時、彼らプロボタリアートは、
LEDなどにも積極的に取り組み「大脳の活性化」という目標をたてており、
このトレパネーション、第三の目運動が目的と合致するとされた。
またアフリカには石器で頭頂部を切り開くような、
伝統的なトレパネーションが未だ残っている。

1970年代に広島で目撃されたという大型類人猿型の未確認生物。
複数の目撃情報があり、
人間によく似ているのだが、
顔は逆三角形で、目が鋭くぎょろっとしていると言われている。
全体に薄い黒にちかい茶褐色の毛に覆われており、頭には5センチメートルほどの毛あり、逆立っているのが特徴。身体全体は、黒にちかい茶かっ色の毛に覆われているという。
動作は鈍く人を恐れる様子はないと言われている。

正体については、諸説いり乱れているが、
大猿や熊の見間違い、逃げたしたオランウータン、あるいは浮浪者か、世捨て人のように山で暮らす人ではないかと様々で、
昭和初期に、比婆山に近い山村で身重の娘が姿を消したという話から、その娘が山中で産み落とした子供が野生児としていきていたのではという話まである。

1974年10月11日の目撃を最後に、ぷっつりと消息がとだえている。

現在のバグダード郊外にそれらしき遺跡が残る。紀元前600年頃に新バビロニアの王、ネブカドネザル2世が、メディア出身で砂漠の国に輿入れするのを嫌がった王妃アミュティスを慰めるためにバビロンに建造した。
宮殿の中に作った高さ25m、5段の階段状になっているテラスに土を盛り、水を上まで汲み上げて下に流し、樹木や花などを植えた。あまりの大きさのため、遠くから見ると、あたかも空中に吊り下げられているように見えたという。
一番上の面積が60平方メートルと推定される。紀元前538年のペルシアによる侵略の時に破壊されたという。

ストラボンやディオドロスなどの歴史書やプリニウスの『博物誌』では言及されているが、ヘロドトスには知られていない。ニネヴェにあったという別の庭園と混同されているのでは、という説もある。
ストラボンの説明によると、柱や地下室は煉瓦で作られ、四隅を柱で支えられ高いところへ据えられた立方体のテラスに土を盛って庭を構成し、
その上にアーチ上の屋根が架けられていたという。「吊り下げられた庭園」という誤解があるが、それはギリシア語のkremastosまたはラテン語のpensilisの不正確な翻訳のせいらしい。
水を汲み上げる方法については、らせん水揚げ機などの説明がされているが決定的ではない。

3月4日近畿の空に四角い月が現れる
4月4日駿府城内に奇怪な「肉人」が現れる
徳川家康公が駿府城に居た時の事。ある日の朝、城の庭に子供のように小さく、指の無い手で上を指す
「肉人」とでも云うような異様な者が立っていた。それを見た城中の者どもは、その奇怪さに一様に驚き、
如何にすべきかがわからず「変化である」と騒ぎ立てるばかりであった。この御庭の騒動に近習は、
このことを家康に伝え、どうすればよいかを伺った。家康は、人目につかぬ場所に追い出せばよい」と答えた。
(記載はないが、肉人を城から離れた山に連れて行き捨てた、と云われる)
この話を聞いた学者は、“なんとも惜しいことをしたものだ。騒いだ者らの不学ゆえに、
仙薬を家康公に奉ることができなかったとは。その「肉人」は白沢図に伝わる「封(ほう)」というもの
。これを食せば力が増して武勇が優れると云われるものであったのに”

徳川実記という幕府の正史にも記載されている。

ある研究者グループが、うつ病患者と健康な人の2つのグループに対してある心理学的実験を行った。

被験者の前にあるのはボタンとディスプレイ。ボタンは被験者の気分で自由に押して良いという許可が与えられている。

そして被験者には「なるべき多くの回数、ディスプレイを点灯させて下さい」とだけ伝えて、被験者一人で一定時間部屋に籠ってもらう。

被験者の頭の中では
「目の前のボタンとディスプレイは連動しており、何らかの条件を満たす形でボタンを押せば光るはずだ」と踏んで試行錯誤を始める。

5秒間隔でボタンを押してみたり、素数の回数だけ押してみたり、一定のリズムを刻んだりと被験者は様々な押し方をするのだが、ディスプレイの明かりは不規則なような法則があるような何とも確信を持てないような光り方をする。

それもそのはず、ボタンの押し方とディスプレイの点灯には何の関係も無く、裏では研究者が被験者の動きを見てそれらしくディスプレイの電源を操作していたのであった。

実験終了後、被験者に
「ボタンの押し方とディスプレイの光り方には、何か法則が見出させましたか?」と質問すると2つのグループではっきり回答が分かれた。

健康な被験者の多くは「法則がある」と回答し、うつ病の被験者の多くは「ない」という回答であった。

ボタンの押し方とディスプレイの点灯の間に関係が無いことを見破ったのはうつ病患者のグループであったのだ。

世の中には自分でコントロール出来る物事と、運命や偶然に支配されるコントロールが出来ない物事がある。
自分の意志が及ばない物事、心理実験ではディスプレイの点灯に当たるが、それに対して健康な被験者グループは“コントロールが及んだ”と考えて“法則がある”と答えた。

一方、うつ病の被験者は事実を歪曲することなく現実をありのままに直視して“法則はない”つまり
“自分の意志は及ばない”と回答したことを暗示している。

この実験からすると、人間の心は都合のよい歪曲無くして、現実を直視できるほど頑丈には作られていないようだ。もしくは多くの人にとって現実の出来事は心の傷なしに直視できないということであろうか。

ある家の小さな女の子がある日突然行方不明となった。

捜索願いを出したが見つかることはなかった。
それから数日後のこと、家族の元に一本のビデオテープが届く。

送り主は不明だった。

再生してみると中には少女の姿が映されていた。
少女は密室に一人で閉じ込められ泣き叫んでいた。
そんな様子が延々ビデオテープに収められていた。

それからビデオテープは家族の元に毎日のように送られてきた。
少女はだんだん痩せこけていき、発狂しているようだった。

狂ったように体中を掻きむしっては血を啜っていた。家族も見ていられなくなり目を背ける程だった。
やがて映像の中の少女はグッタリとして動かなくなった。

捜査も一行に進むことがなく時間だけが刻々と過ぎていった。
それでもビデオテープは途切れる事なく家族の元に送られてきた。

少女はもはや動かぬ死体となり、どんどん腐り出していた。
それから長い時が経った今でも家族の元にビデオテープが送られてくるという。

ミイラのようになった少女の死体を延々と映したビデオテープが。

もう、6年ぐらいたったでしょうか、小学生の男の子が失踪した事件、失踪した当時は、結構テレビとかで騒いでましたが今は全く聞かなくなりました。

O県O市のK小学校から帰りに突然行方がわからなくなりました。しかし、最近になってグロサイトに出てくるらしいのです。3分ぐらいのショートムービーで…

3本にわけて 1本目は、全裸の状態で頭には、袋みたいなのを被せられて泣き叫ぶその子を手で絞め殺しました。

2本目は、ここではっきり顔が写ってるのです、その失踪した小学生が、浴槽でやかんで熱湯をかけられているみたいでした。

3本目は、胸にカッターナイフでバッテンに切り付けたあとノコギリ、木とか剪定するような折りたたみのやつで首を切断しているみたいでした。

このショートムービーは、ダウンロードできません。しかも掲示して10分から20分ほどで削除しているので根気よくサイトを捜しまわらないと見れません。

遠洋に出て長期間漁を続ける場合、閉鎖的環境や様々なストレスから争いが起こるので、それをまとめる船頭の統率力が大切だと云う。

船は小さく閉鎖的ではあるが一つの社会である。社会において秩序を保つことは重要で、船頭の裁量は船で出した死者の数に反映されるともいう・・・・・

船で出た事故死者数の中には本当に事故で亡くなった人とそうでない場合がある。

つまり表向きは事故死扱いだが、殺されたというケースも中にはあるという。

大型の漁船だと多くの人が集まって過酷な漁が成り立っているのだが、中には秩序を乱す者も当然出てくる。

再三の注意にも耳を貸さず、仕事は手を抜き、いつも他の船員達との争いが絶えず雰囲気を悪くする。只でさえ船の仕事は楽ではない。そんな折に勝手なことをして秩序を乱す者の存在は迷惑を通り越す。

そんな問題ある人物は「事故死」する場合が多い。

たとえ陸から遠く離れた船の上で、誰かに荒れ狂う海に突き落とされたとしてもそれは事故とみなされる。

「船で死者を出したことがない」というのが船頭にとって誉れなことなのは、仲間同士で殺し合いをさせないだけの人徳と統率力を有していることを示す隠喩でもある。

うちの近所の中学生が噂していた話です。

ある家に強盗が入る。ボケた老夫婦、息子夫婦、その子供二人が住んでいたらしい。

家の中に忍び込むと老夫婦を殺し部屋を漁った。装飾品は出てくるが現金が乏しく、息子夫婦と子供が寝ている部屋に入った。

4人とも寝ておりまず両親を殺害、部屋を漁っているといつの間にか背後に寝ていたはずの幼い姉妹が立っていた。

『邪魔者を殺してくれて有難う。お金はあげるから家を汚さないで?』

親の財布と現金の場所を教え、ご馳走まで出され気味が悪くなり強盗はさっさと家を出た。

翌日その家に警察が入るが、姉妹は泣きながら強盗の顔や容姿は判らない。と答え、姉妹は遠い親戚に引き取られ、其の家は売り払われ子供たち名義の財産とな
り裕福に暮らしたそうだ。

虐待されていた等の話もなく姉妹が強盗を庇った理由も判らないらしい。

噂をする中学生の義父の親戚がその強盗でそれから自首し、後に聞いた話だそうだ

知り合いに社内いじめを受けている人がいます。

彼はアスペルガー症候群で、自閉症らしく人には真似が難しい能力があるものの、集団にはうまく馴染めず、とても臆病なのと言語コミュニケーション能力の障害と、強い義務感から自己主張がほとんど出来ません。

意地の悪い輩は彼のそういう弱点に付け込んで意地悪したり孤立させたり陰で色々やってます。

でも不思議な事に、そうやって彼を深く傷つける人には徐々に不幸が訪れています。

例えばいじめの中心人物だったババアは何故か不自然に開いた道路の穴に自転車ごと落ちて顔面を強打して一部顔面麻痺し、意識にも少し障害が遺りました。

彼を裏切って家族ぐるみで傷つけた友人は破産して、しかも最近ひき逃げをして人生破滅しました。

今度は友人の家族が崩壊する番ですね。

自閉症のように裏表を持てない障害を持った人は多くが非常に純粋なので怨む時は前身全霊心から怨むので障害者をないがしろにしてはなりませんね。

彼は相手が大きな謝罪と賠償をするか死ぬまで怨み続ける。例え相手が死んでもその魂を地獄へ引きずり込んで最大の苦痛を与えられるだけ与えてやると言って
います。

そこまで人を怒らせるような事をする事自体大きな罪なのでただ単に仏罰が当たっているだけかもしれないですが真相はいかに…

海外ツアーに本物の銃を撃てる射撃ツアーがある。

ガンマニアにとってモデルガンではない本物の重厚感と撃ったときの衝撃はたまらない。

実弾を思い切り的に打ち込めるスリリングさは爽快である。

しかしながら、撃つのは的だけとは限らない。毎年必ず自殺を目的にツアーに参加する人が出てくるのだという。

海外の実弾射撃場でアルバイトをしながら現地で暮らしていた日本人の方の話である。ある日、日本人の観光客が団体で射撃場に訪れていたときに事件は起きた。

突然観光客の一人が自分の頭を銃で撃ったのだ。

観光客は即死、すぐに警察を呼んで事情を説明した。

「何があった?」と地元警察。パニックになったその人は「アクシデント!」と言ってしまった。

事故と勘違いされて、銃の取り扱いに関する過失があったのでは?と疑われ長時間の取調べを受ける災難となった。

そこを訪れる観光客は銃を撃てるということで大抵わくわくして明るい顔をしているが、自殺者は暗い顔だったのが印象的だったという。

その方はこの事件を機に射撃場でのアルバイトを辞めた。

他人に気を遣って生きるのに疲れていた。何となく会社を辞めて2カ月。ふと思い立ったのは田舎での暮らしだ。

人が居ない所、それだけを条件に不動産屋を数件当たると面白い物件が見つかった。場所はとある観光地の湖ちかく。潰れた民宿、といっても大きな家というレベル。

見に行ったが、長らく放置状態にあり、住むにはそれないりの手入れが必要だった。安いだけのことはある。

田舎暮らしと言っても近所づきあいが煩わしい。一切、干渉されたくなかった。そういう意味でそこは適地だった。

東京に近いこと、それが大きな後押しとなった。何時でも都会に戻れる、そんな安心感が冒険する勇気をくれた。

掃除だけは業者にお願いして、引っ越しは自分で。家族は犬だけ、元々も物を持っていないので自前の引っ越しに不安は無かった。

住んでみて分かったのは、ここでの暮らしは湖底での暮らしだということ。朝は霧がかかり、日中は木々が日差しを遮る。遠く、暴走車の音がするが、人の実在感が感じられない。対流のない水の底、そんな暮らしだ。

しばらくして犬が自分の尻尾を追い回すようになった。ケージに入れないと、2時間も3時間も追い回す。なにがストレスだというのか。井戸の水はごくごく飲むのに、餌は殆ど食べなくなり、数週間後にはガリガリになっていた。

ある日、街での買い出しから帰ると尻尾を食い千切って犬が絶命していた。ますます静かになる。。。。

やたらに水が旨く感じて、飯なんて食っていられない。気がつくと紅茶にクッキー1枚だけで一日過ごすこともざらにある。水物だけはガブガブ飲むくせに。。。。

散歩中に見知らぬ婆さんから声を掛けられた。最近引っ越して来てどこどこに住んでいると今までのことを話すと、血相を変えて所有権を放棄しろとか出来ないなら井戸を潰せとか、訳の分からんことを言って来た。

話をまとめると、水脈の元になっているところが祟る山で、そこら一体に人が踏み入ると決まって障りが起きるそうだ。瘴気を吸った水を飲むのはもっての他で、何人もやられている。

早くそこから出ないとお前も馬鹿になるみたいなことをくどくど言うので頭に来たが、確かに井戸水を飲み過ぎてはいた。祟りがどうとかよく分からないが、重金属とかは確かに心配だ。

水道水は飲めない性質なのでミネラルウォータに切り替えてからは、なぜか飯が旨い。

体重も戻りつつある今日この頃、思い返すと引っ越してからというもの常に頭にモヤが掛かった感じがする。深い思考が出来ない感じがする。

1 2