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「天下取りの刀」~義元左文字(よしもとさもんじ)のたどった数奇な運命

今川義元の生誕500年を記念して義元左文字という義元の所持していた刀を復元しようというプロジェクトがあるそうですが、それに関して調べてみたらこの刀にはすごい経歴があったのでまとめてみました。

更新日: 2018年10月09日

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数奇な運命をたどった日本刀・義元左文字(よしもとさもんじ)

宗三左文字(そうざさもんじ)は、南北朝時代に作刀された日本刀。持ち主の変遷から「三好左文字」「義元左文字」と称されることもあり、「義元左文字」の名で重要文化財に指定されている[1]。

室町時代に造られて人の手を渡り今川義元が所持していた。

今川義元(いまがわ よしもと)

戦国時代、駿河の守護大名。
駿河・遠江・三河の広範な領地を支配して「海道一の弓取り」の異名をとった。のち今川・武田・北条の三国同盟が成ると、徳川家康を含む将兵を総動員して上洛をめざすが、桶狭間で織田信長の奇襲に散る。

引用元
https://www.gamecity.ne.jp/sengokum/character_puw02.htm

元は、四国の三好政長入道宗三(1508~49)が所持していたことから、三好左文字(みよしさもんじ)、宗三左文字(そうざさもんじ)とも呼ばれています。

政長から、武田信玄の父・信虎に贈られ、のちに信玄の長女が今川義元に嫁ぐ際、婿引き出として贈られました。

桶狭間の戦いで今川義元から織田信長の手に渡る

桶狭間(おけはざま)の戦い

永禄3(1560)年、桶狭間に陣取った今川義元を織田信長が奇襲し破った戦い。軍勢は今川軍2万5千人、織田軍3千人程度だったと言われる。信長の天下統一への第一歩になった。

引用元
https://kotobank.jp/word/%E6%A1%B6%E7%8B%AD%E9%96%93%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84-40141

今川義元が持っていた名刀「義元左文字」は、桶狭間の戦いで織田信長が義元を討ったときから信長の愛刀となる

織田信長はこれを短い刀に造り替え愛用品とした。

二尺六寸(98.8cm)だった太刀を二尺二寸(83.6cm)余りに加工し義元を討ち取った記念の文字を刻んでいる。

義元が持っていた時は、太刀として二尺六寸の長さ、織田信長はこれを磨りあげて短くし刀にしました。信長はよほど嬉しかったのかこの刀に様々な銘を刻んでいます。

●義元左文字に刻まれている銘

銘1「織田尾張守信長」
銘2「永禄三年五月十九日 義元討刻彼所持刀」

今川義元を打ち取り、喜んで刀に銘を刻んでいる(刻ませている)信長の姿が絵に浮かんでくるようです。

本能寺の変・信長の死後、豊臣秀吉の手に渡る

この辺の経緯は諸説ありはっきりしないが、本能寺の変のときも信長が持っていたこととその後秀吉のもとに流れたことは事実のようである。

天正10年(1582)6月2日、信長が本能寺で明智光秀に襲われたとき、その枕席にはべっていた松尾神社の祠官の娘が、これを持って逃げ出した。
そして父のもとに隠していたが、文禄(1592)になって、豊臣秀吉に差し出した。

豊臣秀吉→(息子)豊臣秀頼→徳川家康と渡る

慶長6年(1601)の桃の節句に、豊臣秀頼は徳川家康を招待し、宗三左文字を贈った。家康はこれに替え鞘をいくつも作らせ、愛蔵していたが、皮肉にも大阪城攻めのときも、これを帯びて出陣した。

信長、秀吉、家康の三者に所有されたことから天下取りの刀と呼ばれる

俗に三英傑と呼ばれる信長、秀吉、家康の三者の手を経たことに加え、信長と家康が佩刀としたこと(秀吉か帯びたかどうかは不明です)から、本太刀は別名「天下取りの刀」とも呼ばれています。

義元左文字すごいな。三好家→武田家→今川家→織田家→豊臣家→徳川家って渡ったのか。そりゃ天下取りの刀とも言われるわ

その時代において最も天下に近い男が左文字を手にしている。 今川義元も当時は天下取りにとても近かったんだぞ

その後徳川家の重宝として代々の将軍へと受け継がれていく

その後、二代将軍秀忠、三代将軍家光へと伝わりました。以後この刀は、御三家へも下賜されることなく、将軍家の重宝として代々の将軍へと受け継がれます。

江戸時代、明暦の大火(めいれきのたいか)で火を被り再刃される

明暦の大火=1657年(明暦3)の江戸で起きた大火災。江戸城本丸をはじめ江戸市中が焼失した。


再刃=刀が火災で焼けたり、研ぎ減って刃が無くなった時に再度焼き入れをしなおすこと。

徳川4代将軍家綱の時、明暦の大火があり「信長左文字」は一度瓦礫に埋もれたことがあった。
ところが、躍起になって幕府はそれを探し出し、改めて再刃し磨きあげ、天下取りの宝物として大切にされてきた経緯がある。

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