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【誰も信じられない…】原因は「基本的信頼感」の欠如?人を信じられない痛み

誰も信じられない…。誰にも本心を打ち明けられない…。誰といても気が休まらない…。人を信じられない痛みを抱えた人へ。自分を見つめなおすためのヒント、まとめました。

更新日: 2018年10月25日

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kapipandaさん

誰も心から信じられない...

■誰も心から信じられない
■いつも人間不信
■人に傷つけられるのが怖い
■誰といても安心できない
■自分をさらけ出せず表面的な付き合いしかできない
■人に何かを期待しても無駄だとあきらめている

このような気持ちを抱くことがありますか?

常に他人への根深い不信感を抱き、決してそれを拭い去れない。

自尊心のなさ、傷つきやすさ、孤独、空虚感、「良い子」を演じること、自分の限界を超えて頑張ってしまうこと…こうした性質はすべて元をたどれば、「基本的信頼感」の欠如に行きつきます。

「基本的信頼感」とは果たして何なのでしょうか。
それがなければ、人生にどのような影響が及ぶのでしょうか。

「基本的信頼感」て、一体どんなもの?

だれも心から信じられない、という他人への根深い不信の根底には、「基本的信頼感」の欠如が関係しています。

自分は大丈夫だという安心感は、自分の力に対する自信からだけではなく、困ったときはきっと誰かが助けてくれるという周囲に対する信頼感からもきている。

「基本的信頼感」は、周囲が味方になってくれる、と信じることのできる感覚です。

「基本的信頼感」が欠如すると、他者を無意識に遠ざけてしまう。

身の回りの他人は、自分を傷つける存在であり、決して油断できない。信用したり、期待してはいけない。そうした感覚を無意識のうちに抱いています。

”他人は自分を助けてくれる存在というよりも、自分を傷つけ、貶めたり、自分が機嫌をうかがい支えなければいけない存在に思えていたのでは、自分をさらけ出し、弱みをみせて助けを求めることは難しい。”

安心できる居場所なんてない。どこに行っても孤独との闘い。

「基本的信頼感」のない人にとって、この世はどこもかしこも安全な場所などどこにもない、恐怖に満ちた場所であり、常に危険と隣り合わせの外国人またさすらい人として生きているのです。

『自分が人の輪に加わっても誰も得はしないようだし、人と関わることをやめようかな』となってしまい人を信用する心は失われていきます。

人が怖い。常に緊張している。

「基本的信頼感」がないということは、そもそも他の人は自分を助けてくれる「味方」であると考えられないということを意味しています。「味方」でなければすなわち「敵」です。

周りの人たちは、いつなんどき自分に危害をもたらすかわからない怖い存在である、そう考えるからこそ誰も信じられないのです。

この世界は基本的に危険なところであり、周りの人たちから自分の身を守らなければいけない、という認識が根底にあるので、決して自分をさらけ出さず、常に緊張しています。

空虚感に襲われる。

心に穴が空いてしまったような虚しい気持ちになる。
何も予定がない休日に、ひとりの部屋で一人で過ごしているときなどに、ふと「自分はひとりぼっちだ」と実感する。

自分は望まれていない存在なのだ、この世界に居場所はないのだ、という漠然とした感覚は、居心地の悪さや不安を生じさせ、充実した人生や意義ある生活の喜びが感じられなくなってしまいます。

いつも居心地の悪さを感じ、自分に対しても違和感を覚えることになる。何とも言えない空虚感に慢性的に苦しめられる。

自己表現が苦手。

人に心を開くということがなくなるため、必然的に無表情になることが多くなります。
『人がいる前で不用意に笑顔を見せて隙を作ってはいけない』という警戒心も影響しているでしょう。

相手に受け入れられるようにするため、自分の感情を抑えて「良い子」として振る舞ったり、人を信頼できないあまり表面上のやりとりしかせず、心を打ち明けないよう警戒していたりします。

そうして感情を内側に溜め込んでしまうと、不適切な怒りとして爆発させてしまったり、あるいは、感情を切り離して人格が解離してしまったりします。

人に優しくされても、疑ってしまう。

たとえば周りからの温かい言葉をもらい
その言葉を受取ろうとする時に
心の中でこんなことが起きてしまいます。

「なんて優しく素敵な方なんでしょう!」
「ありがとう、おかげで助かりました」

なんて言われても、

「心の中ではそんな事思っているはずがない…」
「どうせ、近寄って来ても人は離れていくもの…」

と疑ってしまい信じられないのです。

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