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日本国有鉄道史 組織改変論議と国鉄 第1話 公社化以前に話題となった民営化

今回のお話は主に、昭和30年代に活発に議論された、国鉄民営化についての議論です。国鉄の民営化は、昭和54年からの臨調に始まると言うのが一般的な見方ですが、実際には何度も俎上には幟消えたという経緯があります。その辺を明らかにしていこうと思います。

更新日: 2018年10月29日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回は主に昭和30年代に議論された民営化の話を中心に進めたいと思います。

blackcat_katさん

マッカーサー書簡で始まった、公社化

国鉄の誕生というと、皆さんよくご存知とおもいますが、昭和23年7月22日に発表された、マッカーサー書簡が、その発端であるということを理解しておられると思います。
 この書簡によると、鉄道・塩・アルコール・たばこ等の専売業務は政府事業から公共企業体に組織変更すべしと明記されていました。
 当時は、GHQの命令は絶対であり、それにより当時運輸省の現業機関であった国鉄は、昭和24年6月1日、たばこ・塩・アルコール専売と供に公社化されました。
 ただ、当時日本には、公社という概念(public corporation)が理解されず、国鉄を昔ながらの鉄道省のような組織として残したい政府との間で綱引きが行われたようです。
 政府は鉄道省の改組という意識ですし、GHQ側は完全な権力からの分離を狙ったのですが、結果的に大幅に政府が関与する形の組織となってしまい、当時の運輸省のエース級も殆どが国鉄に移籍してしまったため、長らく国鉄>運輸省の構図がありました。
なお、戦後合併していた運輸省と逓信省は、郵政省・電気通信省に再分離しています。電気通信省は後の電電公社(現在のNTT)であり、余談ですがKDDIも元は電電公社から分離したKDDと京セラ系のDDIが合併したものであることは皆様ご存じの方も多いかと思います。
なお、電電公社誕生は、電気通信省では増加する固定電話網の整備に追いつけないとして、昭和27年に電電公社に組織換えされていますがこれは、国鉄問題とは異なる話ですので割愛させていただきます。

国家公務員法改正問題に関するマッカーサー書簡に端を発する。
この書簡は「鉄道並 びに塩、樟脳 、たばこの政府事業に関する限り、これ等の職 員は普通 公 職か ら除外され て よいと信ずる。然しなが らこの場 合においては、これ等の事業を管理 し運営するために、適当 な方法により、公共企業体 (パブリック・コーポレーション)が組織せ られ るべきである」

加藤好啓追記

政府は鉄道省の改組という意識ですし、GHQ側は完全な権力からの分離を狙ったのですが、結果的に大幅に政府が関与する形の組織となってしまい

この点について、元々政府としては、国鉄を政府の直轄に置きたかったのであるが、当時のGHQの命令は絶対であり、政府としてはそれに逆らうことも出来なかったことから、結果的には国鉄は、運輸部門だけを行う組織として独立する形となりました。
ただし、肝心の運賃、賃金の決定権、政府側に残ることとなり、従業員の争議権は剥奪され、公務員でもない組織として機能することとなりました。
ただし、通信事業を所管していた逓信省【後の郵政省】と大蔵省の造幣局等は、引き続き省直属の現業機関として機能することになりました。
こうした背景の一つに、労働争議の拡大による牽制も有ったと思われます。

加藤好啓追記

公社化以前に話題となった民営化
 公共企業体として再出発をした国鉄ですが、実は第2次世界大戦終戦直後の昭和20年9月頃から、三菱経済研究所など民間の研究機関から民営論が叫ばれ、また財界からも戦後の公債を処理するために鉄道などの政府事業を払い下げる声があったようですが、経済界への影響の大きさを考慮しその話はいつかうやむやとなりました。

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