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日本国有鉄道史 組織改変論議と国鉄 第7話 昭和32年監査報告書

産業計画会議の勧告を正面から取り上げていました。以下引用すると 「監査委員会は、これらの意見に対して、必ずしも全面的に賛意を表するものではないが、国鉄は、このような批判の、よって生じる所以を深く顧みる必要がある。として、一定の批判をしています。

更新日: 2018年10月29日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回も組織改編論議と国鉄としてアップさせていただきました。ご覧いただければ幸いです。

blackcat_katさん

国鉄の監査報告書では「経営理念」を作ることを強調

<昭和32年の監査報告書には>

  国鉄監査委員会<委員長は後の国鉄総裁に石田礼介氏長)が発表した、昭和32年度監査報告書の序章で、「国鉄経営理念の確立」を唱え、公共企業体審議会の答申と、産業計画会議の勧告を正面から取り上げていました。
以下引用すると
 「監査委員会は、これらの意見に対して、必ずしも全面的に賛意を表するものではないが、国鉄は、このような批判の、よって生じる所以を深く顧みる必要がある。そもそも国鉄は公共企業体であるが、一つの企業体である以上、それが自主性をもち、企業性の発揮によって企業としての確固たる基盤を持たなければならないことは当然である。・・・・ 今や国鉄の経営刷新が強く要望されているこの時において、国鉄が公共企業体としての、その使命を果たすための”新しい経営理念”は、外に対しては自主性を確立することであり、内に対しては企業性を強化するとともに、業績に対する全責任を明らかにすることがあると考えられるものである」
 以上のように、国鉄が新しい「経営理念」を作るべきあることを強調していました。

I第1総説
序 言 
一国鉄経営理念の確立-

 最近行われた公共企業体審議会の答申(昭和32年12月25日)およぴ産業計画会議の勧告(昭和33年7月3日)は、いずれも国鉄経営に関しきわめて示唆に富んだ意見を公けにしている。すなわち、前者においては分割民営は将来の研究に残し.さしあたり公共企業体制度を維持しつつ自主性と企業性を強化し、支社制度の強化徹底をはかり、抜本的に民間的センスに切り替え、能率的.進歩的運営をはかるぺきことを答申し.また後者においては、容共企業体としての活動の限界に達しているとして国鉄を民営に移し、これを数個のプロックに分け、それぞれ独立した特殊会社とし、これに完全な自主性を与え徹底した合理的運営を行い、「お役所仕事」の弊を払しょくし、サービスおよび能率の向上をはかるべきことを勧告しているのである。

監査委員会は、これらの意見に対 して必ずしも全面的に賛意を表すものではないが、国鉄はこのような批判 のよって 生ずるゆえんを深く顧みる必要がある。
そもそも、国鉄は公共企業体で あるが、一つの企業体で ある以上、それが 自主性をもち企業性の発揮によって企業としての確固たる基盤を持たなければならないこと は当然であるD企業の収益は、 企業の将来の危険を補い、事業の存続を保証し、 従業員の福祉厚生に資し、企業の自主性を確立し、さらにすすんで新技術の導入によりしい価値を創造 し、わが国経済の発展を具現化し、もってサービスの向上、料金の引下げ等公共性を増進しうる唯ーの手段 であるこ とはいまさ らのべるまでもないことである。
もちろん、国鉄は公共企業体であり、公共の福祉増進をその目的とするものであるから、私企業と同じ経営理念のみで貫くことはできない。

事実公共的要請はきわめて強く、この面から幾多の制約や負担が国鉄に課せられている。
これがため、従来国鉄経営は、公共性と企業性 との調和に苦悩を重ねつつも、ややもすれば公共性のために企業性が後退を余儀なくされることも少くない実情であった。
しかし、公共企業体とはいえ、国鉄が企業としての自主性をもち、自主経済の立場に立っかぎり、その採算性を確保する意味において、企業性を一層強く前面に押し出すことが必要である。
自主性と企業性とをパック・ボーンとした確固たる企業基盤のもとにおいてこそ、国鉄の真の公共的使命の達成も可能となる。
企業性の向上による企業基盤の強化なくして、企業の自主性は望むに由なく、自主なきところに責任は存せず、責任なくしては、サービスの改善も能率の向上も行われ得ない1 のである。

国鉄の経営理念は、この点において混迷があり不明確さがあった。この不明確は一面公共的要請に原因するとも考え られるが、同時に長年の官僚的センスあるいは不沈艦意識一企業危機に対する感覚のきはくーにもとづくとともいなめない事実である。
ともあれ 、国鉄経営に対する世の多くの批判は、 その根元をさかのぼれば、経営管理職にある者はもちろんのこと、国鉄全体の従業員がもっ経営理念の不徹底に基因するところが少くないと考えられる。
いまや、 国鉄の経営刷新が強 く要望されているとのときにおいて、国鉄が公共企業体として、 その使命を果すための「新しい経営理念」の確立こそもっとも緊要である。

そして監査委員会は、この「新しい経営理念」は外に対しては自主性を確立することであり、内に対しては企業性を強化するとともに、業績に対する全責任 (fullaccountabi1ityfor results)を明らかにする ことであると考えるものである。
以上の理由にもとづいて、 この監査報告書はその主点を国鉄の自主性不足と企業性微弱の指摘におき、 その強化について必要と考えた具体的措置を要望したが、われわれの願うところは国鉄における「新しい経営理念」を確立し、これが徹底を期するにある。

引用の文字数制限があるため、複数に分けてアップしましたが、監査報告書序文の全文になります。

政府の意向を述べる組織ではなく、言うべきことは言うと言った強力なアドバイザー的な拓わりを果たした監査報告

国鉄の監査報告書は、ややもすると政府の意向を反映する傾向にありましたが、この報告書は国鉄に対してはきわめて厳しい批判と取れる反面、力強いバックアップとも言えました。ただし、大国鉄を大きく動かす原動力とはなりえなかったのは残念でなりません。
 むしろ、国鉄ではそういった意見を耳にしながらも、戦中戦後に酷使した老朽資産の置換えもさることながら、戦後増大した輸送需要に対して、国民の付託に応えるために、大々的な輸送力増強を含めた、大幅な改善計画を発表するのです。
これが後の第一次5ヵ年計画と呼ばれたものでした。

第一次5か年計画の概要とは?

概要を以下に簡単に書かせていただきます。
 第一次5ヵ年計画の背景には戦後の国鉄輸送量の増大がありました、具体的には戦前の昭和11年と比較して旅客で3.74倍、貨物のトン数では1.65倍の増加となっていました。
 ところがこれに対し、国鉄では、戦時中の酷使で老朽化した施設や車両で対応せざるをえず、輸送力不足は否めませんでした。
 しかし、戦後のインフレーションの中では、収入で経費を賄うことも難しく、桜木町事故のように戦時中の粗悪品を使っていたことに対する国鉄の批判も大きくなっていたことから、計画されたものでした。
5ヵ年計画の基本は、
 1. 資産の健全化、老朽施設の更新、信号保安度の向上
 2. 輸送力増強
 3. 動力・設備の近代化
以上の3点を重点事項とし、総投資額は5000億円にも達しましたが、昭和32年のなべ底不況で資金事情が悪化。資金不足で設備投資が十分に出来ず、老朽資産の取替えに追われ、輸送力増強が出来ませんでした、景気が回復すると今度は輸送需要が逼迫という状態となり、計画自体が過少であったとして、第一次5ヵ年計画は35年度でひとまず打ち切り新たに第2次5ヵ年計画を策定することとなりました。
 なお、第一次5ヵ年計画では、電化・気動車化を中心とした動力近代化の端緒を開いたことは大きな功績でしたが全体としては、計画に対する達成率は68%でした。

当時の国鉄の事情を見ますと、老朽車両の置き換えとして、オハ61に代表されるように、木造客車の鋼体化工事や、モハ63形電車の改造工事73形への改造なども行われていましたが、貨車などは老朽化し、信号設備など戦中。戦後の酷使で老朽化したものをかろうじて使用している状況であり、駅舎の老朽化なども問題となりつつありましたが、遅々と進まないという状況でした。
予算的な制約もあり、民有車両という制度が取り入れられたのもこの時期でした。
民有車両とは、簡単に言えばローンで車を買ったようなもので、5年年賦で支払うというもので、車両には民有車両を示す印【赤丸だったと思う】が車内の製造銘板横に付けられていました。
なお、買い取り後はそのマークは消されるのですが、この民有車両、正確には車両会社に資産としてはあるのですが、これにも納付金が課されるなど、税制としても疑問が残るものでした。

(加藤好啓追記)

昭和36年度からは、第二次5か年計画に移行

さて、国鉄の第一次5ヵ年計画は、電化の推進(東海道線全線電化)など一定の成果は得られましたが、計画が過少であったとして、輸送力の増強。動力と輸送の近代化を盛り込み、経営の長期安定を目指し、昭和36年度を初年度とする第2次5ヵ年計画がスタートしました。
これは、投資総額が9,750億円(当時)という巨大なものでした。
具体的な内容は、昭和39年版運輸白書で参照すると、以下のようになっています。
 1. 東海道線に広軌鉄道を増設すること。
 2. 主要幹線区約1100キロを複線化し,150キロの複線化に着手すること。
 3. 主要幹線区を中心に約1700キロの電化を行ない,これを電車化すること。
 4. 非電化区間および支線区の輸送改善のために約2600両のディーゼル動車と約500両のディーゼル機関車を投入すること。
 5. 通勤輸送の改善のために,約1100両の電車を投入するとともに,駅その他の施設を改良すること。
 ただし、昭和38年度までの進捗状況は概ね60%以下で推移しており決して充分な進捗状況であると言えるものではありませんでした。
 しかし、ここで注目いただきたいのは、国鉄諮問委員会(原安三郎委員長)が、昭和35年9月に、第2次5ヵ年計画への切替えを勧告した意見書で、過度の公共負担や、不採算路線の建設、運賃制度の不合理、中ぶくれの人員構成の、「4つの根本的な病根」と呼び、政府に抜本的な対策を政府に望んでいました。
第2次5ヵ年計画も、東海道新幹線は完成にこぎつけたものの、急激な高度経済成長に追いつけず39年度で再び見直しを迫られることとなりました。
特にこういった一連の輸送力増強計画に際して、自己資金以外は、国鉄自身の借入金で賄わせたことに大きな問題がありました。
昭和38年5月に提出された監査委員会の答申書「国鉄経営の在り方についての答申書」によると、国鉄が名ばかりの公共企業体となった原因を政府にあると、その責任を追及しています。
ここでその内容を引用させていただきますと、

昭和38年の監査報告書では、企業性”が与えられていないと明確に指摘

「国鉄に果たして”企業性”が与えられてきたか、ほとんど完全に否である。・・・、国鉄の理事者は、その判断の自由と行動の自由とを、運輸省の一般監督、大蔵省の予算制度上の監督、国会が運賃決定権を握り、国鉄総裁は、その万般にわたる質問に対して自ら答弁に当たらなければならないことなどによって、まさにガンジガラメに縛られていたのである。・・・国鉄は、”企業性”を阻まれてきたが故に、そのうべかりし”収益力”を発揮しないできた、と同時に国鉄は”公共性”の名によって過大なる公共負担を負わされてきた。それが国鉄の今日ある所以である。別のいい方をすれば”独立採算制の公共企業体”たるべき国鉄に、その実が与えられていないこと、そこに全ての原因があるのである」
とはっきり指摘していました。
また、民営化論議に対しても、国鉄に対してもっと公共企業体としての実を与えることができるように配慮すべきであると指摘していました。
「国鉄を一会社の運営にまかせるのはムリだが、分割の方法が立ちにくい、資産の評価もむずかしく、今の国鉄には買い手がつかないだろう。民営にしたらうまくゆくという保証もえられない」として退けています。また、官営に戻す案に対しても、「国鉄が企業体であることによる利益を放棄してしまうことになるとし、政府に対し、国鉄に公共企業体としての実を与えることを求めていました。

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