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日本国有鉄道史組織改変論議と国鉄 第8話 第三次長期計画と輸送力増強

昭和36年度を初年度とする第2次5ヵ年計画は、輸送量の増加が当初予想を上回り、計画がこれをカバーしきれないことが確実となったほか、資材・用地・賃金等の高騰が当初予想の資金では不足をきたす結果となりました、

更新日: 2018年10月29日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回は第2次5カ年計画が頓挫するまでの経緯を語りたいと思います。

blackcat_katさん

第1次5カ年計画に続き、第2次5カ年計画計画も頓挫した、長期計画

昭和36年度を初年度とする第2次5ヵ年計画は、輸送量の増加が当初予想を上回り、計画がこれをカバーしきれないことが確実となったほか、資材・用地・賃金等の高騰が当初予想の資金では不足をきたす結果となったうえ、三河島事故の発生で、安全面の投資不足が大きくクローズアップされるなど、昭和37年7月には第2次5ヵ年計画はまたまた修正を余儀なくされました。

 そこで、政府は総理府に「日本国有鉄道基本問題懇談会」を設置し、審議の上意見書として5ヵ年計画の見直しを提言しました。

日本経済の発展に伴つて急速に増大する輸送需要に対処するため,国鉄では32年度および36年度に,それぞれ第1次および第2次の設備投資5カ年計画をたて,幹線輪送の増強,電化・ディーゼル化等の輸送手段の近代化,通勤輸送の改善等に努めてきたが,輸送需要の伸びが予想を著るしく上回つたこと,資金面に制約があること等の事情から、これらの計画の進ちよく状況は必ずしも良好でなく,現在に至るまで国鉄の投資不足は依然として解消されていない。ちなみに,現在実施中の第2次5カ年計画は,39年度で第4年目を迎えたが,第3章第1節において述べたように,39年度末までの総投資額は9367億円(39年度は国会予算)と見込まれており,その進ちよく率は69.4%,うち東海道新幹線の100%を除けば58.4%である。このような実態にかんがみ,政府としては,部内に「日本国有鉄道基本問題懇談会」を設け,40年度を初年度とする国鉄の長期計画について抜本的な検討を行なうこととした。

この懇談会は,38年12月の閣議了解および39年4月の関係事務次官申合せに基づいて設置されたものであり,構成員は,総理府総務副長官,経済企画・大蔵・農林・通商産業・運輸・建設の各省庁事務次官と国鉄副総裁であるが,審議に際しては,広く民間から学識経験者を招いて意見をきいている。
  なお,この懇談会では,過去の二度にわたる5カ年計画の実施状況からみて,資金確保の可能性いかんが計画の成否を左右する条件であることにかんがみ,長期計画について審議すると同時に,そのための資金確保の方法についても審議が行なわれている。
  39年5月の第1回会合以来9月30日まで15回開催されたが,当初3回は国鉄から,国鉄の概要,国鉄輸送の現状と問題点,都市交通の現状,運転保安の現状問題点等について説明が行なわれた。

当時の過剰投資が現在のJRを支えている

この提言に基づき、国鉄は第2次5ヵ年計画を39年度までで打ち切り、新たに昭和40年度から第2次計画の2.2倍に当たる、総額2兆9,720億円を投入する第三次長期計画が昭和46年までの7年間の計画でスタートしました。
 おりしも、昭和39年には、国鉄は赤字を計上したにもかかわらず、その無謀とも言える計画はスタートしたのです。
 この計画では、通勤通学輸送の改善に関する投資額が大幅に増えたことで、第2次5ヵ年計画では5.8%、777億円だったものが、17.5%、5,190億円と大幅に増えました。
この背景には、線路増強を行なわなかったために過密なダイヤとなり結果的に三河島事故や鶴見事故と言った重大事故を起こしたという事実がありました。

加藤好啓追記
鶴見事故に関しては、詳細な検討が行われましたが、結局原因は判明せず、二軸貨車による競合脱線が引き金となり、そこに過密なダイヤで運転されていた電車が接触して対向電車を破壊するという不幸な出来事が重なったという見方をしています。
なお、事故の原因であったワラ1形貨車ですが、その後踏面の改良やリンク装置の改良などを受けて、昭和61年まで使用されました。59年2月の改正以降は、大量に販売されました

東京5方面作戦など、通勤輸送を充実

この通勤路線増強計画の主体は、東京に放射状に集中する5路線、すなわち東海道・中央・総武・常磐・東北の各線を指し、一般的には「東京(通勤)5方面作戦」などと呼ばれました、なおこの詳細は別に機会に譲りたいと思います。
 ただ、これらの資金は、独立採算制を建前とする国鉄ですので基本的には運賃収入及び借入金で賄う必要が生じたのです。
 やがて、国鉄の第三次長期計画も、収入に対して過大な投資を強いられていたので、黒字経営に転換することもなく、昭和43年には積立金も食い潰してしまう、破産状態となってしまいます。
 この頃を境として、国鉄は政府からの出資を受け入れることになるのですが、既に高速道路などは、道路公団時代は、自動車重量税などに代表される特定財源で補てんされていたのに対し、国鉄の場合はその額は、他の港湾整備や空港整備と比べても少なく、かつ、運賃は引続き法令改正によることとされていたため、時には意図的に値上げ率を引き下げられたリ、場合によっては改定時期をずらすと言ったことも行われ、結果的に建設費用の不足をきたすこととなり、臨時で国鉄に貸し付けると言った法案を別途審議するといった無駄なこともありました。

その反面、石田総裁時代には営業面で積極的な増収策もい打ち出されたことは注目に値すると思います。
 例えば、エック(旅行会社に委託したエコノミークーポンの愛称)の販売がありました。また、「Discover Japan 美しい日本と私」は、国鉄時代の最大のヒット企画だったと言えますが、こうしたキャンペーンの導入などを含めて国鉄は輸送力の増強とともに、積極的に旅客を誘致する方向に変わっていきました。
 しかし、第3次長期計画も国鉄に対して政府が積極的に補助を行うことはなく、もっぱら郵便貯金を中心とする大蔵省資金運用部資金を借り入れた他、鉄道債券(政府保証付)等で調達されました。
その後、鉄道債券の償還期間が10年程度と短く、かつ金利も7%近くあったため、建設が終わるころには最初の償還期限を迎えることとなり、財政的には償還金を返すために更に鉄道債券を発行すると言った悪循環となり、例えは悪いが高利の金融機関で借りた元金を返すために更に別の金融機関で借りる状況になっていました。
事実、国鉄の負債は昭和50年頃から急激に増大していくのでした。
 その結果、国鉄に対して政府からの補助金、利子の棚上げなど、つじつま合わせのような施策が行われますが、事態は改善せず。
 公共企業体国鉄は、運輸省、国会議員や政府の顔色を伺う状態となっていくことになっていきました。
 歴史にIFはないのですが、昭和40年代の第三次長期計画が、政府主導で資金助成などが行われていたならば財政悪化も抑えられたのではないでしょうか。
 ただ、国鉄の問題は、単純にここに原因があった・・・と言えるほど単純ではなく、複数の要素が絡み合っているだけに。建設補助を出したら国鉄は赤字にならなかったとか、労使関係が良好であれば赤字にならなかったとか。分割民営化は無かったとは言い切れないと言えます。

金運用部資金法に基づく,郵便貯金や年金積立金,各種の特別会計の積立金および余裕金などから構成された資金。2001年,財政投融資制度改革に伴い資金運用部資金法が改正され(財政融資資金法に改題),大蔵省の資金運用部は廃止,資金運用部資金は財政融資資金と改称された。資金運用部資金は,確実かつ有利な方法で運用することで公共の利益に寄与せしめることが目的とされ(1条),社会資本整備などを行なう特殊法人などを対象とした財政投融資の原資として用いられた。郵便貯金と年金積立金は,その全額が預託されていた。

出典https://kotobank.jp/word/%E8%B3%87%E9%87%91%E9%81%8B%E7%94%A8%E9%83%A8%E8%B3%87%E9%87%91-72793

日本国有鉄道法第42条の2(借入金及び鉄道債券)にもとづき、国鉄の長期財源に充当することを目的に国鉄が発行したもので、社債でも公債でもないため関係法令の適用を受けず、引受先の制限はなく外債資金調達も認められた。

発行には運輸省の認可が必要で、発行限度額については国会の議決を要した。運輸大臣の認可を受けて銀行または信託銀行に発行事務を委託することができた。また東海道新幹線建設資金借り入れにあたり、国際復興開発銀行に引き渡す鉄道債券を発行するため、1960年に国鉄法を改正して外国の銀行または信託会社に発行事務を委託することも可能とした。

消滅時効は元金は10年、利子は5年で完成した。償還期限が短いため、国鉄財政の悪化に伴う債券残高増加が償還額の増加に直結。資金繰りを圧迫する要因の一つとなった。

出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E5%82%B5%E5%88%B8

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