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江戸時代に公許の遊女屋の遊郭とは?

江戸時代の遊郭は、江戸文化を知るうえで大変に興味深い場所です。『千と千尋の神隠しのモデル』は、洲崎遊郭ではないかと言われています。

更新日: 2019年08月15日

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misukiruさん

◆政府公営の遊び場・吉原遊郭

1872年頃の東京の吉原遊郭

滝川政次郎によれば、江戸時代の遊郭の構造は唐の長安にあった妓館の集合地である「平康里」に倣ったものだと言う。

吉原などの大遊廓は、紅色に塗られた、このような妓楼が大通り沿いにニョキニョキ建ってたらしく、「木の摩天楼」と言っても過言ではないと思います。

吉原みたいな所は格式(ランク)があります。格式がある妓楼で遊ぶには、金はもちろん、遊ぶ方にもそれなりの教養を持っているのが前提でした。

◆千と千尋のモデル?洲崎遊郭

「東京名所州崎遊郭之遠望(明治三十五年)」という洲崎遊郭の遠景を描いた絵ですが、遠巻きからでも時計台が確認できます。

◆横浜の外国人向け岩亀楼

和装折衷の豪華絢爛な造りで、286坪の敷地に和風・洋風の部屋をあつらえていた「6層」の建物だったそうです。

◆日本全国にあった遊郭

1877年(明治10年)から1958年まで約80年間続いた遊郭の面影を残す猪崎(京都府福知山市)

全国511箇所の遊廓において貸座敷を営業する者は1万1154人、娼妓は5万56人、遊客の総数は1箇年に2278万4790人、その揚代は7223万5400円。

◆参考リンク

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