1. まとめトップ
2 お気に入り 5183 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

佐倉幸助さん

「日本の川は滝である」
明治時代に来日したオランダ人技師で、日本の砂防工事の父と言われる。
この発言は日本の川がヨーロッパなどの川に比べて流れが急なことに驚いて言った言葉とされ、社会科の時間に先生に教わった人も多いかもしれないが、
実際には富山県知事が内務大臣に出した答申書の中のフレーズが元ネタであると言われる。
いつの間にか発言者が入れ替わってしまったらしい。
なお、デ・レーケが実際に言った言葉は「日本の川が急流なのは滝がないからだろう」という言葉であり、これと混同された(もしくは誤訳された)という説もある。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
『学問のすゝめ』の序文だが、実はこの後「~と言えり」と続いているので、ただの引用文でしかない。
ちなみに「人は皆平等なので差別はいけません」の様なニュアンス。
アメリカ独立宣言の一節の翻訳という説が有力。

しかし福沢の話はこれをやんわりと否定して別の方向に展開するので、この言葉と『学問のすゝめ』の主張とはほぼ無関係。
大雑把に意訳すると、「~と言われているけど実際は公平じゃない。なぜかと言うと、学ぶ奴は良くて学ばない奴はダメ。だから勉強しようぜ」
と言った感じに話が進んでいく。
要は話の導入に使われた文章だけが独り歩きしてしまった形であり、本の内容を大雑把に説明するとタイトルが表している通り「がんばれ学生!」って事である。

「よく『漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ』だとか
『人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない』だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。」

一時期ネットに出回ったコピペの一部で、元々は具体的な例え話を交えた20行にも及ぶ長文なのだが、発言の出展が一切明らかになっていない。
こんな文が本人の死後10年近くたってから何の脈絡も無く出現し、更に10年近くたっても
実際に出典を確認した人物が現れないというのは、疑うなという方が無理な話であろう。
また「書かれている内容とF先生の作風が微妙に噛み合っていない」「F先生は一人称に「私」ではなく「ボク」を使っていた」といった指摘もあり、
コピペ自体の出来もお世辞にもいいとは言い難い。
少しニュアンスが近い本人の発言もあるが、ネタはあっという間に枯渇するから創作でも人の話でもどんどん吸収してネタを蓄えろという話で、
どっちかというと量の話である。

「自分の子どもを賭博屋に売る人間がいますか?」
鳥山明が「寺田克也全部―寺田克也全仕事集―」という本の424ページの対談コーナーで、
「自分の漫画のパチ化を許可するつもりはない」という趣旨で言った物とされているが、
実際にはそもそも件の本は424もページ数がある本ではなく、対談が載っていたとされるページ自体が物理的に存在しなかったというオチ。
ちなみにAmazonの商品ページを確認するだけでも、件の本が全部でおよそ300ページ程しかない事がわかる。

余談だが、後にこの逸話の真偽を実際に検証したブログのコメント欄にて、
コピペ制作者本人(厳密に言うと、コピペの原型となった書き込みを改変して現在の形にした人物)による釣り宣言と裏話の暴露が行われるという珍事が起きた。
その製作者曰く「まさか出典明記してる上わりとメジャーな本なのに誰もそれを読まず、あまつさえコピペされまくるとは思わなんだ」との事。

「ゲームは1日1時間」
親からしつけとして聞いた事も多いであろう。
元ハドソンの高橋名人こと高橋利幸氏が確かに言った名言である。決してゲーム規制派の主婦や専門家などが提唱したわけではない。

が、この名言には続きがある。
「ゲームは1日1時間。外で遊ぼう元気良く。僕らの仕事はもちろん勉強。成績上がればゲームも楽しい。僕らは未来の社会人」
つまり単なる「長時間のゲームプレイを辞めろ」というゲーム依存症への警鐘というよりは、
未来のために勉強して、外でも遊ぼう。成績が上がればゲームも楽しく遊べるという趣旨の発言である。

「このキャラクター(ユンゲラー)は超能力が使えます。もし貴方とこのキャラクターが似ているというなら是非ここで超能力を使ってみてください」
任天堂が超能力者のユリ・ゲラーに名誉毀損で訴えられた際の裁判で任天堂側の弁護士が言ったと言われるセリフで、
ユリ・ゲラーはこの正論に反論できず敗訴したとされている。
しかし、ユリ・ゲラーが敗訴した事自体は事実だが、実際の敗訴理由は当時ポケモンは日本国内でしか正規流通しておらず
連邦法での訴訟の要件を満たさかったためである(つまり却下に近い扱い)。

「地球は青かった」
前後の発言と共に引くと「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」というものであり、別に深い意味は無さそうである。
もう一つの名言とされる「地球は青いベールをまとった花嫁のようだった。しかし、どこを見回しても神はいなかった」に至っては完全な創作とされている。

「それでも地球は回っている」
実際には弟子の創作であるとされる。
ガリレイは地動説を放棄することで極刑を免れたのだから、実際にこんな発言をしてしかも記録されていれば無事では済まなかっただろう。
周囲にわからないようにイタリア語ではなくギリシア語でつぶやいたという説もあるが、当時屈指のインテリ揃いの裁判所で
そんなことをしたならチャレンジャーすぎである。

「余の辞書に不可能の文字はない」
原文は"Impossible n'est pas francais"であり、
直訳すると「不可能という言葉はフランス語にはない」または「不可能という言葉はフランス的ではない」という発言なので「余の辞書に」部分は意訳。
しかも実際には言っておらず後世の創作という説もある。

「そこに山があるからだ」
登山愛好家が、危険をおして山に登る理由を問われた時の決まり文句。
哲学的とか言われがちだが、実際には「そこにエベレストがあるからだ」という意味の発言であり、世界最高峰に挑戦する喜びを表現したもので
そこまで深い意味があるわけでは無さそうである。
また、彼自身の発言かどうかも実はハッキリしていない。

「ブルータス、お前もか」
暗殺間際に言ったと言われるセリフだが、近い時代の資料ではほぼ即死に近い状況で、言葉を発することなく亡くなったとされている(諸説あり)。
ちなみに最も古い伝承では「お前もか、我が子よ?」というセリフであり、上記のバージョンを定着させたのはウィリアム・シェイクスピアである。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
本来の発言は「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」
「他人の経験」を「歴史」と訳すのはかなりの意訳であるし、歴史の勉強を勧める発言ではない。
(しないよりはマシであろうが。そもそも歴史とは過去の他人の経験であるし)

ちなみにマムルーク朝のスルタンのバイバルスにも同様の逸話がある。

1