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親指族から竹の子族まで!いくつ知ってる?昭和の「〇〇族」

昭和時代、同じ行動様式をとる集団は「〇〇族」と呼ばれ、次々と生まれては消えていったが、現在への影響を残すものも少なくない。「太陽族」は映倫誕生の契機となり、「アンノン族」は女性の社会進出のきっかけとなった。「親指族」「カミナリ族」「みゆき族」「竹の子族」「クリスタル族」ほか。

更新日: 2018年11月17日

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aku1215さん

◆昭和時代、同じ行動様式の集団を「〇〇族」と称した

太宰治『斜陽』から没落階級を「斜陽族」と呼んだ

昭和の世相や一大ブームを巻き起こした流行によって生まれた○○族。

何らかのファッション・スタイルや行動様式を共有している若者集団は、かつては「∼族」と呼ばれることが一般的であった。

昭和時代には、その時代時代の世相や風潮やトレンド、ライフスタイルを体現した「〇〇族」という流行語が数多く作られました。

◆今につながる!?戦後からバブル期までを彩った「〇〇族」

▼親指族(旧)→(新)

終戦後、全国各地に広まり人気娯楽となったパチンコ。1951年に流行した親指族という言葉は、パチンコに熱中する人々のことを揶揄した言い方でした。当時パチンコは、バネ付のレバーを親指で弾いて一発ずつ打つ仕組みだったため「親指族」と呼ばれました。

その後、パチンコは電動式が主流になり、ハンドルを回すと自動的にパチンコ球が飛び出すタイプへと移り変わるのにともなって、「親指族」という言葉も過去のものになりました。

ところが、2000年(平成12年)ごろ、新たな「親指族」が登場します。この頃一気に普及した携帯やPHSのボタンを親指で猛スピードで操作する若者を指して「親指族」と呼ぶようになりました。

▼太陽族

昭和30年(1955)石原慎太郎の小説「太陽の季節」から生まれた流行語。既成の秩序を無視して、無軌道な行動をする若者たちをいった。

「問題作」は、翌年に映画化。「太陽族」たちは、映画の舞台となった湘南の海岸に押し寄せました。髪型は、後頭部と脇は刈り上げ、前髪を短く垂らす「慎太郎刈り」。そして、サングラスにアロハシャツというのがその姿。

1956年に公開された「太陽の季節」をはじめとする、いわゆる一連の「太陽族映画」に対しては、その審査のありかたについて新聞各紙の批判するところとなり、これを苦慮した映画界は第三者によって運営される自主規制機関としての映倫が誕生したわけです。

▼カミナリ族→暴走族

カミナリ族とは「大きな音を立ててバイクを乗り回す若者たち」のこと。スピードを追求して消音器のマフラーを改造したバイクにまたがり、雷鳴のような耳をつんざく音を出しながら走る様子から、こんな名前になったようです。

1960年代

彼らは、路上を高速で走行し、通行中の一般車両を縫うようにしてジグザグ運転を行うとともに、深夜の道路でスピード・レースに興じたり、水平乗り、後ろ乗り等の曲乗りを競い合ったりした。

1970年代に入り、主に都市部で起こっていた騒音問題は全国へ波及。1973年(昭和48年)に警察白書でも「暴走族」という表記が使われるようになりました。

▼みゆき族

みゆき族は、64年夏の銀座みゆき通り周辺に集まった若者たちに付けられた名称である。

女の子はウエストの紐ベルトを後ろで結んだスリムなロングスカート,ロングヘアにリボン,素足にサンダル,男の子はボタンダウンのシャツに,マドラス・チェックのバーミューダ・パンツか丈の短いコットン・パンツをはき,ともに大きな麻袋をもっていた。

東京オリンピックを翌月に控えたころ、「みゆき族を取り締まってほしい」という苦情が警察に殺到し、対応を検討。警視庁築地署はみゆき族の一斉補導を敢行する。 その後、銀座のみゆき族は急激に減少。その年の秋口には姿を見ることがなりました。

▼アンノン族

1970年頃に登場した「アンノン族」とは、日本各地を旅する20歳代前半の女性たち。彼女たちの多くが、“ある雑誌”の影響を強く受けていたことからそう呼ばれていました。その雑誌とは、いまも多くの女性ファンを持つ『an・an』と『non-no』。

若い女性だけで草原のペンションや、小京都(もちろん京都も)を旅行するのが流行し、パンタロンの裾を引きずってお寺の畳の上を歩く若者が非難されたりしていた。1970年代には、若い女性だけで旅する、というだけでとても新しい動きに見えたのだ。

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