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日本国有鉄道史 交流電化の夜明け 第1話 商用電化の実用化

今回から、交流電化についてお話をさせていただこうと思います。交流電化は、き電線や変電所の建設で固定費が軽減されるとして、昭和30年代に東北方面や九州・北海道などで電化が推進されましたが、機関車牽引ではなく、電車が主流となったため、デメリットが目立つ結果となりました。

更新日: 2018年12月01日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回から交流電化の夜明けとして解説を加えて行きたいと思います。

blackcat_katさん

日本の交流電化は、昭和28年からスタート

終戦、そしてGHQにより日本占領が終了した昭和27年、国鉄は輸送力増強そして動力の近代化に前向きに取組こととなりました。
海外に目を向けてみると、昭和26(1951)年フランスが商用周波数による交流電化(それまでは16 2/3と言う特殊な周波数を使っており、変換装置などが大掛かりなものとなり、決してコスト的に安いものではなかった)が完成したとのニュースは、日本における交流電化に向けて大きな励みになりました。
早速日本でも、昭和28年、交流電化調査委員会が設けられ、研究が開始されました。

加藤追記
交流電化は、長崎惣之助総裁の意向で交流電化調査委員会が設置されました。
当初のメンバーは
委員長 国鉄副総裁
副委員長 技師長
委員 運転、施設、電気、工作各局長、総裁の命ずる副技師長、鉄技研所長
幹事
技師長付および各関係課長であり、その下に施設および車両の分科会をおいている。
分科会の主査は、それぞれ施設分科会は電気局長、車両分科会は工作局長で、関係課長が委員、補佐が幹事となっていた。

1954-07_交通技術(s29) -から引用

903年 ベルリン郊外で運行された三相交流の試験電車。縦に3本の架線を並べている点に注意。
スペイン国鉄ヘルガル-サンタ・フェ線で使用された電気機関車No.3。屋根上のビューゲル先端の集電部は2つに分かれ、2本の架線に接する。2本の架線とレールから三相交流電源が供給される。
ユングフラウ鉄道のパンタグラフ。三相交流のため、2本の架線が並んでいる

ユングフラウ鉄道のパンタグラフ。三相交流のため、2本の架線が並んでいる

一方、単相の交流で交流整流子電動機を直接駆動することも考えられた。この場合、周波数に比例して発生する電機子起電力により整流悪化が発生するため、25 もしくは 16 2/ 3 Hzなど周波数の低い交流電気を使用する。欧州では1904年にジーメンスの手によりドイツ・バイエルン地方のムルナウ - オーベルアンメルガウで実施したのがはじまりである。

フランスに試作機の購入を打診

当初は、実用実験に入るため、フランスから試作機を購入することを打診しますが、継続した車両の購入などを要求されるなど諸般の事情から、結局は輸入ではなく、国鉄を中心として車両メーカーが試作することとなりました。
当時、国鉄では経済復興に伴う輸送力の増強が求められており、さらなる輸送力の基盤整備を求められることとなり動力の近代化と幹線の電化は喫緊の課題となっていました。
 電化も推進されることとなりましたが、交流電化という新しい方式が注目されたことも事実で、その理由を列記してみたいと思います。

1. 交流電化方式は、直流電化と比較して地上設備が簡単安価。
2. 機関車の粘着性能が直流機関車と比して有利。
3. 列車本数の少ないローカル幹線などでは貨物輸送も、旅客輸送も行える機関車方式が有利
等の経済的メリットがあったと言われています。

加藤追記
当初は、フランスから2両程度の輸入を打診しますが、交流電化を売り込みたいフランスは、機関車の大量購入を要求してきたことから、結果的には、国鉄部内で技術課題等を検討し、フランス方式を参考にしつつも、独自のシステムを開発した日本型の交流電化となりました。

出典1957-11_交通技術(s32)

1957-11_交通技術(s32) の記事を参考に、加藤好啓追記

しかし、これは既設の直流電化と交流電化の接続を考慮しないことを前提としており、実際に、交直接続をどうするのかという点がその後大きな問題となってくるのでした。
 仙山線では当時、作並~山寺間が既に直流1500Vで昭和12年に電化されており、この区間を交流電化に変更することで試験が行われることになりました。
 変電所などの地上設備を少なくすることで、建設費用が安くなるとして、交流電化にはメリットがあると言われましたが、地上設備が安くなっても、機関車の価格が高くなってしまいました。
 さらに、旅客列車は動力分散化列車(電車)が主流となったため、結局車両設備が高くなってしまうという矛盾が顕著になってきました。

手前の車両は、飯田線の買収国電クハ5,900を改造したクハ490-11、後方はモハ73を改造した、クモハ491-11
日立製の変圧器とエキサイトロン整流器が設置された、他にも、三菱電機製の変圧器とサイクロトロン整流器を取り付けたクハ491-1+クモハ491-1が試作され比較されました。

最近は、車両制作費の方が高くなるためことから電化方式としては高速鉄道以外は採用されず

最近では、それほど交流電化のメリットが考えられないことから、北陸線の米原~敦賀間のように、交流→直流に戻す例も出てきました。
 話を、交流電化に戻しましょう。
昭和28年7月に設立された交流電化調査委員会は、初代委員長に副総裁の天坊氏、副委員長に、技師長の藤井松太郎氏(昭和48年から第7代国鉄総裁)が就任しました。
実験線に仙山線 北仙台~作並間を選び、昭和29(1954)年9月から地上設備の試験が行われました。
翌昭和30(1955)年8月10日には、交流化試験線として、仙山線「陸前落合~熊ヶ根間」が交流20kV・50Hzで電化、さらに、9月5日には、仙台~陸前落合間、熊ヶ根~作並間が電化され。仙台~作並間交流電化で営業運転が開始されました。

国鉄技術陣も注目した、フランスの商用電化

参考

ドイツでも、1936年からドイツ南部のヘレンタール線で、この方式(20000 V, 50 Hz)が試行された。車両の方式は

回転周波数変換・二次抵抗制御により三相交流誘導電動機を使う方式(E244 31号機)
変圧器タップ制御により交流整流子電動機を使う方式(E244 21)
単極水銀整流器・変圧器タップ制御により直流直巻電動機を使う方式(E244 11)
多極水銀整流器・格子制御・直並列制御により直流直巻電動機を使う方式(E244 01)

の4種類が試された。

この技術は第二次世界大戦でドイツが敗戦した後に、この地を占領統治したフランスが接収する。その後、1950年頃からヘレンタール線での資材を転用して自国領内のサボア線を20000V・50Hzで電化して、変圧器タップ制御により交流整流子電動機を使う方式と高圧タップ切替・水銀整流器を用いて直流直巻電動機を使う方式の2種類の機関車を試作して試用した結果、優れた性能が確かめられ、その試験結果が1951年10月にアヌシィで「アヌシィ・レポート」として公表された。サボア線での成功の後にフランスの鉱山重工業地帯にある北部幹線のヴァランジエンヌとティオンブルの間を20000V・50Hzで電化し、試験を続行。1954年にはサボア線で試作した2種類に別の方式の2種類を加えて4種類の機関車を計105両を製造して交流電化に適した方式を見定めようと本格的な営業運転を開始した。

高圧タップ制御により水銀整流器を用いて直流直巻電動機を使う方式(BB12000形)
変圧器タップ制御により交流整流子電動機を使う方式(BB13000形)
回転機による三相変換・周波数変換機を用い三相交流誘導電動機を動かす方式(CC14000形)
単相同期電動機で直流発電機を動かし、その発生電力で直流直巻電動機を動かす方式(CC14100形)

である。この結果、BB12000形が最も良い結果を納め148両が製造された。 またCC形は、重量貨物機として設計されたものでCC14100が20両なのに対し、CC14000が102両製造されている。

以降、世界的に商用周波数交流電化と、車両上で整流の上で直流電気に変換する方式が広まった。

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