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日本国有鉄道史 交流電化の夜明け 第2話 仙山線の成功と北陸本線電化

日本の商用周波数による交流電化は、仙山線で始まりました。すでに、作並 ~山寺間は直流電化されおり、直流と交流の切り替え等の試験設備【その後黒磯駅で採用される地上切換方式】が設けられました。

更新日: 2018年12月01日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト、日本国有鉄道研究家の加藤好啓です、今回は交流電化の夜明け、第2話として、仙山線のお話をさせていただこうと思います。

blackcat_katさん

仙山線で試用された機関車は2種類

このとき導入されたのが、交流整流式電動機を採用した直接式機関車ED44(ED90)形と水銀整流器を用いたED45(ED91)形であり、当時はその性能が未知数であったこともあり、両方式が比較検討されることになりました。

直接式機関車ED44
100年の国鉄車両から引用

直接式と水銀整流器式の2種類で試作を実施

当時の資料などを参照しますと、技術陣は当初は直接式を本命としていたようです、ただし下記にも書きましたように直接式の場合起動時に整流子(ブラシ)から派手に火花を飛ばしながら走るため、 運用ごとにブラシの清掃や交換が必要となったと言われています。
 その反面重量面では不利になるものの、整流器式は想定以上の性能を示し、水銀整流器の寿命(当初は5年から10年程度と言われていた)や、高周波問題などの問題を解決する必要があったと言われています。

加藤追記
ここで、昭和29年11月号の鉄道ピクトリアルの資料から、交流電化に関する記述があったので、引用したいと思います。
国鉄としては、直接式初めてであるが、成功すれば軽量で効率的な機関車が出来るとしてかなり期待していました、この時点では整流器式に関しては高周波による電波障害を懸念して、余り期待はしていなかったように見受けられます。
なお、当時の整流器は水銀整流器と呼ばれるものでした。【後述】

出典日本電気機関車特集集成 【上】鉄道図書刊行会

a 試作方針と試作の経過
前述のように50サイクル(現在の単位では、ヘルツ)機関車には種類が多いが、電動発電機形とか相変換機とかは軸重が重くなり勝ちで軌道負担力の弱いわが国にぱ適せず、また用途も特殊なと貨物列車用に限られるのでこの研究は後廻しとし、残に2形式すなわち直接電動形と水銀整流器形が当面の試作の対象として採りあげられた。
直接電動形は主電動て製作経験が全くないので、はたして満足なものが一足とびにできるかどうかの不安があったが、もしこれが成功すれば最も簡単・経済的である。
これに対し水銀整流形は構造が複雑で製作費もやや高くなり、通信線に雑音を生ずるおそれがあるが、機器は全く初物というものはないのでただちに成功する公算が多く、またわが国は60サイクル地域がほぼ半ばをしめるので、この運転やサイクル区間の通し運転を考えると、この形式の研究かくことはできない。このような観点からつぎのような試作方針が決定された。
C直接電動形〕1両 日立製作所
 ただし、主電動機のみは日立製作所・東洋電機・富士電機で各2個ずつ製作し、試験の結果最優秀のものをさらに2個追加製作する
〔水銀整流器形〕1両 三菱電機・三菱重工業設計条件として国鉄より提示した主要要目・性能は以のとおりである
電気方式単相50Hz、20 kV (最低16~最高23 kV(車体 箱形両運転台車輪配置 B-B動軸重 15t以下(,従って全重量60t以下で)
性能 仙山線(最大こう配33 ‰を含む)において客車280 t の荷重をけん引して直流ED形機関車と同等またはそれ以上の性能を有すること(従って33‰こう配の引出しができなければならぬが、この条件はEF形機関車に換算すると本線の10 ‰ こう配で1,070 tの引出しに相当する’)
試作方針が確定したのは昨年末であったが、交流電化試験全体の遂行上の要求から各社
は全力をあげて設計・製作を進め直接電動形ED441は本年7月末、水銀整流器形は同8月末に完成された。設計・製作を含め正味8ヵ月余の短期間に全く初物の交流機関車を完成した製作会社の努力は多としなければならない
【日本電気機関車特集集成 下巻 鉄道ピクトリアル 昭和29年11月号 交流電化(下)から引用】

以上
引用終わり

試作車の概要

1次試験対応試作車

1955年(昭和30年)の実験線試験では、以下の比較検討となった。

交流電流により交流整流子電動機を駆動する直接式
交流電流を整流器で直流に変換し従来の直流直巻電動機を駆動する整流器式

このためED44 1とED45 1の2両が試作された。

直接式 ED44 1

ED44 1

1955年7月20日に日立製作所水戸工場で製造された日本初の交流電気機関車である。

機器・性能

直接式交流機関車で直流電気機関車の抵抗制御器を低圧タップ切換器に置き換え、単相交流整流子電動機を釣掛式で駆動する。
単相交流整流子電動機は、回転子と固定子の間で変圧器が構成されることによる起電力(以下、変圧器起電力と称する)が常に生じる。起動時には火花を抑える働きをする補極の効果は期待できず、変圧器起電力による短絡電流で整流子に火花が飛ぶことが避けられない。そればかりか整流子による短絡電流による起磁力は主極(界磁)の起磁力を打ち消して起動トルクを減少させてしまう。周波数が高くなるにつれて変圧器起電力が大きくなることから、主極(界磁)の起磁力が変圧器起電力に対して小さい場合、最悪、起動電流を増しても整流子による短絡電流ばかり増えて整流子の過熱焼損に至る。当時の日本には商用周波数である50Hzという高周波数の交流電動機の製造経験がなく、14 - 16極と直流機の4倍の磁極を入れることで変圧器起電力を下げている。
主電動機は日立製作所のほかに東洋電機製造・富士電機でもそれぞれ2基ずつ製造し、各メーカーのものを乗せ換えながらテストを行った。
台車は後年の交流機でも問題となる軸重移動の問題が当初より考えられたことから、車体から伸ばした脚に板バネで台車枕バネと接続し、レール面に近い位置で引張力を伝えることで台車のピッチングを抑えて解決を図ったDT108形を採用した。

車体

秩父鉄道デキ101 - 103や大井川鉄道E103と同系統の車体を採用した。
当初デッキの手摺をほとんどもたず、転落事故などが懸念されたことから、暫くして増設工事がされた。
側面の通風フィルターは製造当初縦型のものだったが、デッキ手摺増設に前後して十字型の枠をもった形状に変更された[4]。
製造当初はアルファベット表記の凝ったデザインの製造銘板(筆記体で"Hitachi")を装着していたが、国鉄側がこれを問題視したため取付規程を制定する遠因となり、本機も後日漢字表記の銘板に交換されている。

整流器式 ED45 1

ED45 1

1955年9月28日に三菱電機・新三菱重工業で製造された。

機器・性能

送油風冷式変圧器・水冷式イグナイトロン(=水銀整流器)・低圧タップを併用して直流電動機を駆動する制御方式を採用した。
小型高速型のMT903形主電動機を採用し、緩衝作用をもつクイル式駆動装置を初採用した。
台車も防振と軽量化のためコイルばねとウイングばねを用いた電車的な構造をもつDT109形を採用した[5]
整流器式は車上に変電所をもつようなものであり、当初の見積では自重が100t超となったことから、電気・機器部分にこれまでの常識を覆すほどの軽量化が行われて国鉄上限規格の60トンに収めた。

車体

三菱製の私鉄向電気機関車の設計を応用しており、小田急電鉄デキ1041や大井川鉄道E101・102と類似する。また、正面尾灯からに側面にかけてステンレス製の飾り帯をもつ。

直接式以上に良好な成績を示した整流器式

最終的には、水銀整流器を採用したED45が、25‰勾配(1000mで25m上昇の意味)における引出し試験で、ED44が360tの性能であったのに対し、ED45は600t(ちなみに、定格出力はED45 の方が上)を示し、当時のF級直流機関車とほぼ同等の性能を、D形で実現したのでした。
これは、水銀整流器による界磁制御粘着性能の直流F機と同等の性能を示したのは驚きであったと言われました。

直接式は当初から、引張力に問題が指摘されていた。

iii)直接電動機関車の問題点 ヨーロッパにおける最近の流行であるBB形(140km/h)またはCC形(最高速度160km/h)の客貨万能機関車は。軸重20tの粘着重量をぎりぎり生かし、1動軸当り1,000~1,300HPが必要である。これに対し、わが国ではあらゆる条件を考慮し、万能機関車でなけれぱ、1動軸当り500HPというところであろう。したがって、出力の点においては、わが国の50Hz交流電勘機はヨーロッパよりも楽であるといえよう。
 問題はやはり24tの起動引張力をどうして出すかにある。この理由から、今回の試作該関平ED44形では6動軸機関車の24tに相当する4動軸16tの起勘引張力を出し得る"たぬき電動機"が行われた。
 交流電気としては、単相直巻整流子電動機が用いられる。在来の交流電化が特殊の低調周波数16 2/3Hzを採用したのは、周波数に比例して、大きくなる変圧器起電カ(et)の存在により、電動機の整流が厄介となるためである。交流電化の発達はまさにこの(et)を征服し、いかにして整流の良い大出力電動機を得るかという努力にあつたといえよう。
 i)交流電動機はなぜ起動が難しいか この(et)は電動機電流のみによるものであり、電機子の回転速度には関係がない。しかし速度が高くなると、分路抵抗付補極などの手段によつて打消し得るが、起皿時には全く補償されない。
 したがって電動機が起動しようとするとき、etがあまり大きいと、整流のためブラシにより短絡されている電機子コイルに大きな循環電流が流れて、整流火花を生じ、これが甚だしいときには整流子を破壊するにいたる。またこの循環電流は界磁曲線を弱める作用をするので、回転力(磁束と電流の積に比例する)を減じ、ますます列車の起動を困難にする。

加藤追記
1次試験の結果
直接式のED44形に多数の問題点が露呈しました。
特性上、高速域では、高出力となりますが、起動トルクが弱い点が指摘されましたが、これは当初から想定されていた点でした。
実際に、ED44に関しては、派手に主電動機のブラシ付近から火花をあげながら加速したとか、ブラシの保守に手を焼いたとかかれていますが、それは、直接式の場合どうしても避けることの出来ない構造的な問題であったようです。
その反面、整流器式に関しては、当初からF級の直流電気機関車に相当する条件を示していた【上述、日本電気機関車特集集成参照】のに対して、そうした条件が示されていなかったのは、当初から起動にかなり困難な事情があることが予想されていたからと言えそうです。

実際の試験結果では、直接式は、1時間定格出力においてはED44形がED45形を上回っていたにもかかわらず、25‰勾配上における列車の引き出し能力である牽引定数は、ED44形が420tに留まったのに対して、ED45形は600tと大きな差がついたとされており、国鉄としても交流電化は、整流器式で置くことが決定事項とされました。

上記wikiを参考に、加筆訂正

以上
引用終わり

商用電化に於ける機関車は整流器式でいくことを決定

こうなると、交流電気機関車は間接式(整流器式)を中心に考えることとなりました。
 商用数は数による交流電化の目処が付いたことから、国鉄では幹線区間における電化は交流電化で行くことを決定しました。
 その第1弾として北陸線 田村~敦賀間が選定されました。(これは、60Hz区間における交流電化を検証する意味合いもあったようです。)
 昭和32年10月1日 北陸線 田村~敦賀間交流電化完成、(木ノ本~近江塩津~敦賀間新線開通、旧線は柳ケ瀬線として存続)し、ED70形がED45形をベースとして18両製造されました。

整流器式
100年の国鉄車両から引用

整流器式に関しては、直接式と比較した場合、整流器を搭載することで重量面で不利とされていましたが、整流器の技術は戦前に既に完成していた、ただし、車載に伴う振動の対策をどうするかと言った問題は残されていました。【シリコン整流器が実用化はされていませんでした。】

柳ケ瀬線に関しては、柳ケ瀬線の廃止を当時の資料から振り返る
https://local-line.at.webry.info/201802/article_5.html
も併せてご覧ください。
なお、ED70形機関車は、長浜鉄道スクエアに1両保存されています。
特徴ある全面の入口部分が溶接されているなど、原型を崩してしまっているのは寂しいことですが、量産型交流機関車の始祖として永久に保存していただきたい車両です。

昭和34年には東北線黒磯以北が50Hzで電化が始まり、ED70を改良した高出力機ED71が昭和33年の試作機を経て38年まで製造され、長く東北本線の顔として君臨していました。
なお、北陸本線に関しては交流と直流を直接つなげないので、米原~田村間を非電化とし、蒸気機関車(当初はE10)で接続を行っていました、東北本線黒磯では、黒磯駅構内に共用区間を設けて、そこで交直切替えを行う。機関車交換方式をとっていました。(現在、北陸線は敦賀まで直流化されており、デッドセクションはそれ以遠に設置されています。)

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