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日本国有鉄道史 交流電化の夜明け 第3話 米原田村間を結んだED30

北陸本線は、交流電化されましたが、米原~田村間は非電化としてその間を非電化として蒸気機関車(E10)で連絡したことは前述しましたが、昭和昭和38(1963)年12月28日、米原駅~田村駅間が直流電化され、田村駅の米原寄りにデッドセクションが設置されることとなりったと書かれています。

更新日: 2019年01月31日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回は、本格的な商用電化による開業路線として北陸本線をアップしたいと思います。交流電化のメリット、デメリットをまとめさせていただきました。

blackcat_katさん

本格的な商用電化、北陸本線は、当初接続部は非電化だった

北陸本線は、昭和32年10月1日、田村駅~近江塩津駅~敦賀駅間が交流電化されましたが、米原~田村間は、その区間を非電化として蒸気機関車(E10)で連絡したことは前述しましたが、昭和昭和38(1963)年12月28日、米原駅~田村駅間が直流電化され、田村駅の米原寄りにデッドセクションが設置されることとなりました。

米原~田村間の接続用に改造されたED30

米原~田村間は小運転の専用機関車で接続すると言うことで、EF55-3の部品を流用して(実際はモーターなど一部のみ)(記事によればEF10という記述もあり)の直流機器と475系の交流機器を使って昭和37(1962)年10月初旬に浜松工場でED30形電気機関車が誕生したそうです。
 この機関車の特徴は低い屋根と、そこに交流機器を無理矢理載せたので、かなり屋根がひしゃげた印象を受けるEF13の近代化版とでも言える車両でした。
 結果的には、試作車は1両のみで終わり、柳ケ瀬線廃止に伴い余剰となったDD50にその任を譲って、鉄道技術研究所で保管されることとなり、昭和51(1976)年に廃車されています。

EF55-3の電気機器と、475系電車の部品を使って浜松工場で改造されたED30

製造当初のEF13形、その後EF58形の旧型車体を譲り受けることになる

車上切換が主流となり、余剰のDD50に活躍の場を譲ることに

151系電車の成功以降、高加減速が期待できる動力分散列車(いわゆる電車や気動車)が増えてくると、交流電化のデメリットが目立つようになってきました。
そうです、車両価格が、直流車両に比べると割高になることです。
 特に交直流電車の場合、直流電車に変電所を搭載してるようなものですから、車体は重くなるし車両価格も高くなるのは当然で、その後交流電化が下火になる原因を作ったと言えるかもしれません。

ED30は、結局DD50にその活躍の場を譲ることに成りました。

検討の結果、将来的には電車が増えることを考慮しての決定【加藤追記】

当時の検討した事情を、国鉄部内誌、交通技術昭和35年10月号から引用してみたいと思います。
これによりますと、将来的にも非電化で残すことは有利ではなく、車上切換とした上で、将来的に電車列車が増えた場合を想定して.機関車はEF30のような低出力の機関車で行くべきであるとしています。

本邦初の商用周波単相20kv交流電化実川区間として、昭和32年10月1日営業運転を開始した北腱本線米原~敦賀間と、既設直流電化区間の東海道本線との披続方式については、当時、米原―田村間で独卜切替か、同区間で車上切首かという点に紋られたが、仙山線の献験結果などからみて、前者がやや有力であったが、なお検討の余地ありとして、暫定的に米原-田村岡(約4.7km)では蒸気運転による岡接接続方式を採用し、現在に至っている。<br>
 ところで、最近は交直接続方式も逐年進歩し、車上切替方式によれば。工事費も安く、年間経費も少なくてすむなど。有利な点が認められた。そこで米原~田村間もどういう方式の交直接続が凩も適当か再検肘することになり次の4案について極々な夕|度から検肘が加えられた。

第1案 現行のまま蒸気運転により間接接続
 第2案 米原一日】村間車上切倖とし、米原一敦賀間に交直両用機関車を使用する。
 第3案 同上。ただし交直両用機関車は、米原-田村間のみとし、従って小出力の機関車とする。
 第4案 米原一田村間は直漉電化、田村駅碑内で地上切替を行なう。


この各案の結果を簡単に紹介ずると、投資額・年間径費は大差ないが、将来の電車化計画を考慮すると、第2案・第3案が有利となる。この2案をさらに比較して考えると、将来、旅客列車の大部分が電車化された場合、交直両用幟関車が過剰となる欠点を第2案は持ち、結局第3案が晨も有利だといえる。以上の検討結果を常務理事会議に提出し。いろいろ討議された結果。米原~田村間の交直接続方式は、車上切控と決定され。交直機関車の運用は更に検討した後決定されることになった

出典交通技術 昭和35年10月号

参考 昭和36年10月《デッドセクション設置前の時刻表》

全ての列車が、田村駅で停車して、機関車の開放作業を行っています。

参考 昭和37年10月時刻表

一部電車による運転が始まっており、田村駅を通過する急行電車があります。

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