1. まとめトップ
  2. 雑学

多民族国家アメリカ 米国料理はそれぞれの人種のソウルフードの結晶だったって知ってた?

私たちにとって最も身近な外国文化であり、世代や考え方の違いを越えて憧れる人が多い国といえばアメリカだろう。アメリカの食文化は、多民族ごとのソウルフードが集まってできているということをあなたはご存じだろうか?

更新日: 2018年12月03日

10 お気に入り 6111 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

食を通して多民族国家アメリカを知るのはいかが?

gudachanさん

フライドチキンはアフリカ系アメリカ人の作り上げた料理だ

フライドチキンを発明したのは奴隷制時代の黒人たちだった。プランテーション経営者の白人たちの鶏肉の食べ残しを、油で揚げることで食べたことがそもそものきっかけである。その本場はもちろんケンタッキー州だ

元来、正統な米南部流の鶏肉料理法は、鳥をオーブンに焼く「ローストチキン」だった。白人農場主らは、オーブンで焼く前に、肉の多い鳥の胴体や足を除く羽や足、首は捨てた。肉があまりなく、皮を剥いて食べるのも難しかったためだ。黒人奴隷らが、これを宿にもってきたが、オーブンが無い場合がほとんどで、ローストチキンを作ることができなかった。オーブンがあったとしても、焼く調理法は、時間がかかりすぎる上、これらの部位は、焼けば肉汁がなくなり、手にできるものがあまり無かった。
その代案が、油であげることだった。羽や首などの安価に部位も、油であげれば、雑な匂いが減る上、柔らかい骨ごと食べることができるというメリットがあった。揚げ物は、高カロリーの食べ物であり、つらい肉体労働に苦しむ黒人奴隷には、よい栄養供給源となった。

歴史的には20世紀中ごろまで、アメリカでフライドチキンは「南部の黒人の好物」として偏見の目で見られ、白人富裕層は食べることはありませんでした。
アフリカ系アメリカ人のステレオタイプで、好物がフライドチキンとされるのはそこに由来します。

本来イタリア料理のはずのピザがアメリカで国民食になったわけ

フライドチキンと同じくらいに今やアメリカ料理の定番と思われているピザ。しかし元々はご存じのようにイタリアを代表する食文化だ。その背景にはイタリア系アメリカ人移民の受難の歴史があるようだ

1880年代より、イタリア人のアメリカへの移民がはじまり、それは世界的な大恐慌なども相まって500万人を超える規模となりました。当初彼らは若い国アメリカで稼いだ後祖国に帰る予定でしたが、戦争がそれを困難なものにし、定住を余儀なくされたようです。彼らの多くは貧しい南部、特にシチリア島の農民たちでした。そして定住の過程でだんだんコミュニティーを作ることとなり、やがて、有名なリトル・イタリーが各所に出来ることになります。

リトル・イタリーのあった地域はその頃他の白人たちの住んでいる地域よりも貧しく、そんなイタリア人にとって祖国のピザはおいしくて安い,ぴったりの食事だったと言えるでしょう。
またさらに、第2次世界大戦,イタリアはヨーロッパで参戦していたアメリカの帰還兵たちが,彼の地で食べたイタリアンピザをアメリカでも食べたいと思ったことも、アメリカのピザ文化を広げる大きな要因と言えるでしょう。

日系アメリカ人の象徴・スパムむすび

ランチョンミートをお米の上に乗せ、寿司のように海苔で巻くハワイ名物のスパムむすび。ハワイ発祥の日系人料理だ。日本国内では沖縄県でも県民の郷土料理になっている。日系移民において同じ南の島である沖縄出身者の割合がひときわ多くつながりがあったことや、戦後米軍統治を経験していたことが理由のようだ

アメリカ本土を始め、北米の人の多くはスパムに良いイメージを持っていないことが多いように思います。
肉を缶詰にすることが不自然で不健康だとか、貧しい人の食べ物だとか、ネガティブなイメージがあるようです。
しかし、そんな彼らの中にもハワイに来れば喜んでスパムを食べる人が多くいるのも事実。
ハワイでスパムが親しまれるようになったのは第二次世界大戦の頃。
世の中の状況的に新鮮な肉が手に入りにくい中、そのおいしさと貴重なタンパク源であることで重宝され、
ハワイ全土に広まっていったのです。
以来、ずっとハワイの人に親しまれ、年間のスパム消費量は全米1位です。

アメリカ本土の日系人や、第二次世界大戦後にアメリカ軍物資の影響でスパムが定着した沖縄県でも類似のもの(ポーク卵むすび)が食されることがある。
日本においてはスパムそのものがあまり一般的な食材ではないため、ハワイ旅行に行って初めて見る人が多い。
日米の食文化が融合した料理と言えるスパムむすびは、多くの現地の人々に受け入れられたハワイの郷土料理であるといわれている。

信心深きアイルランド系アメリカ人の料理「コンビーフ・キャベツ」

プロテスタントが主流のアメリカにあって、カトリックが多いアイリッシュ。アイルランド料理は数あれど、「アイルランド系アメリカ人の料理」といえるのがこのコンビーフ・キャベツだ

アイルランドの料理では豚の使用が一般的なのだが、アメリカ合衆国へ渡ったアイルランド系移民にとって豚は入手が難しく、牛肉が手頃な食肉であったため、コンビーフの利用が一般的になった。コンビーフとキャベツの煮物はアメリカの聖パトリックの日の食事として定着している。

アメリカではアイルランドの伝統料理と思われていますが、実はアイルランド系
アメリカ人の伝統料理ってのが正解です。
アメリカ人みんなが「感謝祭にはロースト・ターキーとクランベリー・ソース」
と同じくらいアイルランド系の人達にとって「セント・パトリックス・デーには
コンビーフ・キャベツ」。お決まりっ。

チリコンカンはヒスパニック系アメリカ人の食文化

学校給食でもおなじみのチリコンカン。南米発祥ではなく、テキサス州南部で編み出されたと言われているテクス・メクス料理の代表格だ

ヒスパニック系アメリカ人の多いアメリカ合衆国南西部では、非ヒスパニック系の間でも、よりスペイン語に近いチリコンカルネと呼ぶこともある。日本ではチリコンカーンの他、チリコンカンとも呼ばれている。
チリコンカーンのレシピは、19世紀半ばにメキシコから独立しアメリカ合衆国に併合されたテキサス州南部で考案されたと言われており、テキサス州はこれを「州の料理」に指定している。

1930年代の世界恐慌や第二次世界大戦の影響で、全米で牛肉が手に入りにくくなった際、ひき肉に豆やトマトを加えてボリューム感を出したチリコンカンがもてはやされ、全米に広がったと言われています。

イングランド系アメリカ人の「おふくろの味」アップルパイ

日本人にとってはお味噌汁のようなアメリカの「おふくろの味」に相当する家庭料理がアップルパイ。これは初期の植民地移民であり独立戦争で建国を成し遂げたイングランド系住民のソウルフードだ

アップルパイ:釜焼きはニューイングランドの人々の好物であり、それが現在のアメリカのアップルパイや七面鳥の丸焼きなどにつながった。

アメリカでのアップルパイの歴史は、イギリスからやってきたピルグリムがリンゴの種を蒔いて育て、収穫したリンゴでアップルパイを作ったことにさかのぼる。アメリカ東海岸から西へリンゴの種を蒔きながら移動したジョニー・アップルシードの伝承も有名である。リンゴは環境への適応が比較的強く、生水が危険で飲めず、小麦が貴重品だった当時はリンゴは重要な飲料水と炭水化物の摂取源であり、貴重な小麦を嵩増しできるアップルパイは貴重な主食だったと言う。感謝祭には、七面鳥の丸焼きやコーンブレッドの他にアップルパイを出すことが多い。

ハリウッド映画によく出てくる「中華の箱」の中身は何なのか

カリフォルニアゴールドラッシュの時代、太平洋の向こう側の中国広東省などからやってきた華僑たちがアメリカの地で独自に作り上げたアメリカ風中国料理の代表格がチャプスイ。よくハリウッド映画などで中華のデリバリーやテイクアウトの箱に入った食事をしているシーンがあるが、あの中身だ

19世紀、サンフランシスコの中国人が、主に現地の中国人により支援されることで洗練された豪華な中国料理店の経営を開始した。一方、小規模都市のレストランはポークチョップサンドイッチやアップルパイから豆や卵まで、地元の客の需要に答えた料理を提供していた。これらの小規模レストランはよりアメリカ人の舌にあった料理へと変更を加えていくことによりアメリカ風中華料理を発展させていった。当初アメリカ風中華料理の購買層となったのは鉱山労働者や鉄道労働者であり、中国人移民は中華料理について全く知らないような町で新たな小規模食堂を建設し、地域の食材を用いて料理を作り客の要求に答えていた。
次第に、チャプスイのような中国南部の料理が見られるようになり、中国本土では見られないようなスタイルの中華料理が生み出されるようになった。

チャプスイは、米国でアレンジされた中華料理の一つ。豚肉や鶏肉、あるいはハムなどの肉類とタマネギ、シイタケ、モヤシ、白菜などの野菜類を炒いため、スープを加えて煮た後に片栗粉でとろみをつける。八宝菜に似ている。そのままシチューのように食べることもあるが、麺やご飯にかけたりするのが一般的なようだ。
 起源には諸説あって、初期の中国系米国移民の出身地、山東省泰山で作られていた料理が原型とする説、19世紀に大陸横断鉄道工事に携わった中国人労働者のコックが発明したとする説などがある。

1