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小銃とは一般的に歩兵が持ってるライフル銃のことを指しますが、ライフルの由来は銃身内にある溝のことをライフリングと呼ぶことから呼ばれるようになりました。しかし日本では小銃=ライフルではなく長い銃身を持った銃のことを小銃と呼んでいるようです。

ezurerikiさん

種子島銃

室町時代の末に日本に伝わった小銃。天文 12 (1543) 年8月種子島にポルトガル人が漂着し,先込めの火縄銃を伝えた。領主の種子島時堯 (ときたか) は家臣の篠川小四郎秀重に火薬の製法を学ばせ,鉄匠の八板金兵衛尉清定に模造を命じた。これがもととなって日本各所に火縄銃が普及し,種子島といえばこの種の火縄銃をさすようになった。

村田銃

村田銃(むらたじゅう)は、薩摩藩・日本陸軍の火器専門家だった村田経芳がフランスのグラース銃(金属薬莢用に改造されたシャスポー銃)の国産化を図る過程で開発し、1880年(明治13年)に日本軍が採用した最初の国産小銃。

明治維新前後の頃には国内で様々な輸入小銃が使用されており[1]、建軍直後の日本軍でも、陸軍がイギリス製のスナイドル銃、海軍が同マルティニ・ヘンリー銃を主に使用していたが、村田経芳が十三年式村田銃の製造に成功したことで、初めて「軍銃一定」(主力小銃の統一・一本化)が成し遂げられた。このことが後の日清戦争において、雑多な小銃を用いる清軍に対し、日本軍の優位につながる一因となった。

三十年式歩兵銃

三十年式歩兵銃(さんじゅうねんしきほへいじゅう)または三十年式小銃(さんじゅうねんしきしょうじゅう)は、1897年(明治30年)に陸軍で採用された日本のボルトアクション式小銃。

近代的な国産連発式小銃として日露戦争において陸軍の主力小銃として使用された。陸軍軍人の有坂成章によって開発されたため、欧米では三十年式歩兵銃および三十年式歩兵銃を直接・間接的に母体とする小銃(三八式歩兵銃・九九式小銃など)をまとめて「アリサカ・ライフル(Arisaka rifle)」と呼称している。

三八式歩兵銃

三八式歩兵銃(さんはちしきほへいじゅう、さんぱちしきほへいじゅう)は、1905年(明治38年)に陸軍で採用された日本のボルトアクション方式小銃である。三十年式歩兵銃を改良して開発された。日清戦争で主に使用された村田経芳開発の十三年式・十八年式村田単発銃に代わる、有坂成章開発の近代的な国産連発式小銃である三十年式歩兵銃は、1904年(明治37年)から翌1905年にかけて行われた日露戦争において、帝国陸軍の主力小銃として使用された。

出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%85%AB%E5%BC%8F%E6%AD%A9%E5%85%B5%E9%8A%83

有坂の部下として三十年式歩兵銃の開発にも携わっていた南部麒次郎が中心となり本銃の開発が始まった。この改良は順調に進み、本銃は1905年(明治38年)の仮制式制定(採用)を経て、翌1906年(明治39年)に制式制定された。部隊配備は日露戦争終戦後の1908年(明治41年)3月から始められ、約2年ほどで三十年式歩兵銃からの更新を完了している。

本銃の初の実戦投入は第一次世界大戦(青島の戦いなど日独戦争)であった。以降、三八式歩兵銃は日本軍(海軍にも供与)の主力小銃としてシベリア出兵、満洲事変、第一次上海事変、日中戦争(支那事変)、張鼓峰事件、ノモンハン事変等で使用されている。

出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%85%AB%E5%BC%8F%E6%AD%A9%E5%85%B5%E9%8A%83

九七式狙撃銃

九七式狙撃銃(きゅうななしきそげきじゅう)は、1930年代に開発・採用された大日本帝国陸軍の狙撃銃。開発当時の日本軍主力小銃であった三八式歩兵銃をベースとし、九九式短狙撃銃とともに第二次世界大戦における帝国陸軍の主力狙撃銃として使用された。欧米圏では有坂銃における代表的な狙撃銃としても知られている。九七式狙撃銃は三八式歩兵銃の生産ライン途中において、多数の中から銃身や機関部などの精度が高く精密射撃(狙撃)に特に向いている物を選び出し、それに狙撃眼鏡をのせる台座(マウントベース)と太い針金状の単脚を付し、さらに操作性を上げるため槓桿(ボルトハンドル)を下方に曲げ、射撃具合の調整を行い生産された。それら狙撃銃仕様の別工程作業が行われるため、機関部前部には「九七式」の刻印が菊花紋章とともになされる。

九九式短小銃

九九式短小銃(きゅうきゅうしきたんしょうじゅう)および九九式小銃(きゅうきゅうしきしょうじゅう)は、1939年(昭和15年)に陸軍で採用された日本のボルトアクション式小銃である。欧米圏では有坂銃の最も代表的なものの一つとして知られている。初期の陸上自衛隊でも短期間だが、使用されていた。三八式歩兵銃と比較して、照門がV字型から円孔式となり、照星も角柱式から三角柱式になった。照準の見出しがやりやすくなったため、兵士の間では概ね好評を得ていたとされる。ライフリングは三八式歩兵銃と同様のメトフォード型であり、イギリス製ライフルと同様の系統に区分される。

木製部分は主に長野産のクルミ材を使用していたが、代用としてブナ科の堅木も用いられた。のちに、欧米でオーク材と呼ばれる楢(なら)(日本では樫(かし))が主材料となったが、戦争末期には木材調達がままならず、乾燥処理されていない杉も使われた。

出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B9%9D%E5%BC%8F%E7%9F%AD%E5%B0%8F%E9%8A%83

四四式騎銃

四四式騎銃(よんよんしききじゅう)は、大日本帝国陸軍の騎銃(カービン)。英語圏ではType 44 carbine、Arisaka type 44などと呼称される。本銃は1909年(明治42年)に開発が開始され、1911年(明治44年)に採用された。三八式歩兵銃の騎銃型である三八式騎銃をベースに、馬上での利便性など、更に騎兵用に特化させたものである。全長が長く重いモデルが多い有坂銃の中でも三八式騎銃ともども扱いやすい軽便銃として、騎兵を中心に、歩兵、砲兵、輜重兵、憲兵、挺進部隊(陸軍落下傘部隊)の挺進兵などでも使用された。

出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%9B%E5%BC%8F%E9%A8%8E%E9%8A%83

二式小銃

二式小銃(にしきしょうじゅう)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の小銃。有坂銃の一つである九九式短小銃をベースとして、挺進兵が落下傘降下時に不便なく小銃を携行できるよう2つに分割可能にした挺進連隊(空挺部隊)用の特殊兵器である。挺進落下傘/挺身落下傘(ていしんらっかさん)からテラ銃、二式テラ銃とも称される。一般的な歩兵用の小銃では落下傘降下時に長い銃身が邪魔になるため、九九式短小銃をベースに前後に分解可能にし、挺進兵がこれを携行したまま降下できるよう、帝国陸軍の空挺部隊(陸軍落下傘部隊)たる挺進連隊用に開発された特殊兵器が二式小銃である。降下時は分解して専用の銃袋に収納・携行し、着地後に組み立てる。

64式7.62mm小銃

64式7.62mm小銃(ろくよんしき7.62ミリしょうじゅう、英語名:Howa Type 64 Rifle)は、主に陸海空の各自衛隊と海上保安庁で使用されている自動小銃。1964年に制式採用された戦後初の国産小銃である。開発と製造は豊和工業が担当し、自衛隊と海上保安庁で採用された。アサルトライフル、もしくはバトルライフルに分類される場合がある。

日本人の体格を考慮した設計となっており、命中精度を高めるために二脚を標準装備する[1]。また、連発時の命中精度向上を図り、緩速機構による低発射速度や横ブレ・振動を防ぐ部品形状・配置を採用した。1984年度における製造単価は約17万円[1]。弾倉はダブルカラム(複列)式で最大装弾数は20発。

89式5.56mm小銃

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