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日本国有鉄道史 景気循環と国鉄 第2話 経済の発展と国鉄

国鉄野田尾1次5か年計画の頃のお話を中心にさせていただこうと思います。キハ01は当初は、白棚線用だったとか珍しいお話を組み込ませていただきながら進めていきますので、お楽しみくださいませ

更新日: 2018年12月26日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回は景気循環と国鉄の第二話として、経済の発展と国鉄と題して、昭和30年代前半の国鉄についてお話をさせていただきました。キハ01が、当初白棚線のローカル用として計画されたお話などを交えながらさせていただきます。

blackcat_katさん

増え続ける貨物輸送と旅客輸送

昨日も書きましたが、朝鮮動乱に伴う外貨の獲得は日本に好景気をもたらすきっかけとなり、昭和29年からは神武景気と呼ばれる好況な状況が作り出され、貨物・旅客ともに需要は増えていく状態でした。
 そんな中で、国鉄では積極的に輸送力の増強に努めるとともに、ディゼルカーによる地方ローカル線の輸送改善なども本格的に行っていきました。

神武景気とは?

日本初代の天皇とされる神武天皇が即位した年(紀元前660年)以来、例を見ない好景気という意味で名づけられた。

1950年(昭和25年)〜1953年(昭和28年)における朝鮮戦争中、朝鮮半島へと出兵したアメリカ軍への補給物資の支援、破損した戦車や戦闘機の修理などを日本が大々的に請け負ったこと(朝鮮特需)によって、日本経済が大幅に拡大されたために発生した。

この好景気によって日本経済は戦前の最高水準を上回るにまで回復し、1956年(昭和31年)の経済白書には「もはや戦後ではない」とまで記され、戦後復興の完了が宣言された。また、好景気の影響により、耐久消費財ブームが発生、三種の神器(冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ)が出現した。

ローカル線は、輸送の合理化を推進することに

当初投入されたのはキハ01と呼ばれる気動車で、戦時中に不要不急路線として撤去された白棚線復活用の車両として計画されたものですが、ご存じのとおり白棚線はその後専用道で復活することとなりましたが、白棚線に代えて、木原線(現在のいすみ鉄道)に投入することとなりました。
 模型等で見られた方も多いと思いますが、キハ01は両端にドアがあるタイプで、これは元々路面電車タイプで復活させることを目的としていたからだと言われています。

国鉄で昭和30年代にローカル線の輸送改善に投入されたキハ01形、当初は白棚線用の気動車だった。

昭和30年代当初の世相は、空前の投資ブーム

「戦後は終わった」の合言葉とともに、始った30年代、巷では神武景気、更にはその後なべ底不況を経て、昭和33年6月から昭和36年12月まで続く岩戸景気に繋がってといわれた好景気に支えられ、国民経済は大きく発展しました。
 当時は投資が投資を呼ぶと言われ、マネービルという言葉が使われ出したのもこの頃でした。
 マネービル、ボディビルを真似た造語のようで、証券会社が積極的にこの言葉を使っており、当時家風呂が無かったのでよく銭湯に連れて行ってもらったのですが、銭湯の洗い場の鏡などに証券会社の宣伝が入っていて、マネービルという言葉が書かれていて、幼稚園児であった子供には何のことか理解できなかったと言う思い出があります。笑
 サザエさん(原作)でも、マネービルという話題が出てくるのもこの頃で、空前の投資ブームと言われました。(今のビットコインのような感じでしょうか)
 そうした好景気に浮かれる話がある反面、森永砒素中毒事件や、水俣病(当時は、原因は不明の精神疾患が多発と報告されていた。)などの食品に関する事件が起こっていた時期でもありました。
 この辺は、本題から外れますので省略させていただきます。

東海道線の全線電化が完成

話題を鉄道に戻しますと、昭和31年11月には最後まで非電化で残っていた米原~京都間が電化され、東海道線は全線電化が完成。
 これによりC62やC59など特別幹線用機関車はその活躍の場を山陽本線に移すとともに、東海道区間は快適な電化の旅となり、特別急行用の機関車には、淡いグリーン(通称青大将塗装)のEF58が客車とともに準備されました。
 当時は、現在と比較にならないくらい貧富の格差が激しく、特急は特別な人が乗車する列車であり、一般庶民は急行が最も早い列車と言われていました。
 その代わり、編成の半分以上が1・2等車(現在のグリーン車)という徹底ぶりで、(普通車は3等の時代です。)食堂車には、2等車以上の客しか入れないそんな風格のある列車でした。
景気拡大が続く中、昭和33年には、動くホテルと揶揄された、20系客車が151系「こだま」とともに、デビュー、ビジネスライクなこだまに比べ、個室寝台を1等座席車、食堂車などからなる全室冷暖房完備の車両は庶民の憧れと言えるものでした。
完全冷暖房、固定窓による快適な車内はたちまち人気となり、こだま同様切符の取れない列車として有名になりました。

用語解説

マネービルの意味
《money buildingから。「ボディービル」をまねて作られた語》株式・債券などによる、利殖の道。財産づくり。

森永ヒ素ミルク中毒事件(もりながヒそミルクちゅうどくじけん)とは、1955年(昭和30年)6月頃から主に西日本を中心としてヒ素の混入した森永乳業製の粉ミルクを飲用した乳幼児に多数の死者、中毒患者を出した毒物混入事件である。森永ヒ素ミルク事件(森永砒素ミルク事件、もりながヒそミルクじけん)とも。

水俣病は、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物を、魚、エビ、カニ、貝などの魚介類が直接エラや消化管から吸収して、 あるいは食物連鎖を通じて体内に高濃度に蓄積し、これを日常的にたくさん食べた住民の間に発生した中毒性の神経疾患です。
熊本県水俣湾周辺を中心とする八代海沿岸で発生し、始めは原因の分からない神経疾患としてあつかわれていました。その後新潟県阿賀野川流域においても発生が確認されました。
水俣湾周辺の水俣病については、昭和31年(1956)5月、初めて患者の発生が報告され、その年の末には、52人の患者が確認されました。 この疾患は昭和32年(1957)以降「水俣病」と呼ばれるようになりました。

キハ01のお話はこちらに詳しく書かせていただきました。

当初計画された、キハ01はバスの両端に運転台を付けたような構造で、レール面近くまで伸びたドアが特徴でしたが、白棚線はバスで復活させることとなり、設計変更【ドア部分のステップを高くするなど、して木原線【現・いすみ鉄道】などに投入されました。

白棚線用に計画された初期案
ホームは低いままとしており、バスのように乗降口が低くなっている。

設計の要点としてはさきにのぺたようこ、出来るだけ小形軽量、価格低廉なものとするため、機関をはじめクラッチ、変速機、プレーキなどはパスと同一のものを使用し、冷却器。運転制御装置、プレーキ装置。電気装装置なども極力同一部品が使用出来るよう考慮し。車体走行部分なども寿命をある程度犠牲にして思いきって軽量の設計としてある。
  この動車は彩式をキハ10000とし、その主要目は別表のとおりである。
  この動車の性能は性能曲線に示すとおりで、
  (1)坦線ツリ合速度(90人乗車時第4速)約70km/h)
  (2)10‰勾配線速度(90人乗車時第4速)約40km/h)
  (3)25‰勾配線速度(90人乗車時第3速)約35km/h)(短時間)
  (4)25‰勾配線速度(90人乗車時第2速)約25km/h)
  (5)35‰勾配線速度(90人乗車時第2速)約25km/h)
となり。簡易線の最急勾配を上ることも可能である。また走行抵抗が小さいためパスよりも軽快に遠く走る二とが出来、乗り心地も優れている。

この動車は形式図で見るように2軸車で、両端に運転台をそなえ。出入口は片側2ヵ所で折タタミ式のドアを設け、座席はすべてクロスシートである。機関は床下につり下げ。クラッチ、変速機、プロペラ軸および逆転機を経て後ろの車軸を駆動する。単車運転を原則とするが。両端に簡易な連結器(キハ41500のものと同一)を備えているので。重連或いは列車に連結して回送することが出来る。

詳しくはこちらも参照してください。

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