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歴史に刻まれる石破茂 〜 裏切りの深化

自民党総裁選にも出馬し、過去には幹事長や閣僚も経験した石破氏。その政治家人生は華麗なものだと思いきや、「裏切り」の連続だった。

更新日: 2019年01月04日

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石破茂の代名詞は、「裏切り・背後から銃を撃つ」。自民党内のみならず、全国の支持者は減る一方である。それもそうであろう。数々の裏切り行為を見れば、同士と感じる者がいるはずはない。

なぜ、地元の有権者も裏切る?

なぜ、地元の漁場を守らない?

なぜ、日本の国土を守らない?

なぜ、韓国の方を大事にする?

石破氏は11月18日に韓国・ソウルで講演した際、韓国最高裁の異常判決について、「日本人にとり大きな驚きをもたらした」といい、日本人の「激しい怒りの声」を伝えなかったとされる。竹島でも強い主張をしなかった。これは、先の「やらねばならぬ時に…」という話と違うのではないか? 講演後、石破氏を直撃した。

石破氏は「韓国では地方創生がテーマだった。招待を受けておいて領土の話をする? そんな無礼なことができるか?」と記者をにらみ返した。

石破茂の驚愕の発言

「(韓国から)招待を受けておいて、(竹島の)領土の話をする?」

「(韓国に対して)そんな無礼なことができるか?」

竹島は石破氏の地元の鳥取県固有の領土である。地元の漁業権等、大事な問題である。にもかかわらず、韓国で直接訴えられる機会を得たのにだんまり。
竹島の問題を主張すると、韓国に無礼?・・・だそうだ。


裏切りは、30年前に始まっていた。

●<30年間の裏切りの歴史>ここから始まった

父の友人で恩師田中角栄を裏切り中曽根派から立候補

父の死後、二朗の友人であった田中角栄から「おまえが(おやじの後に)出ろ」と薦められ政界入りを志した。
石破茂氏は田中角栄の最後の教え子とされてきました。
当然、田中派からの出馬であると思われたのだが当時の田中角栄はロッキード事件の影響で表舞台での影響力は衰えていて田中角栄のコントロールから離れた中曽根派の幹部であった渡辺美智雄を頼り、中曽根派から立候補した。
1986年、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で鳥取県全県区(定数4)から出馬し、得票数は最下位ながら4位で初当選した。

政治家人生は、裏切りからスタート。
恩師である田中角栄氏を裏切り、当時最も勢いがあった中曽根派から出馬した。

すでに裏切りの歴史が幕を開けていた。

●自民党を裏切る→離党

・宮沢内閣不信任案に賛成、その後離党

石破氏は、自民党が下野するきっかけになった1993年6月の宮沢喜一内閣に対する内閣不信任案に賛成した。解散総選挙後に成立した細川護煕内閣が、同年11月に提出した小選挙区制の導入などを柱とした「政治改革4法案」にも賛成し、役職停止処分などを受けた。当時の自民党幹事長は森喜朗元首相。その後、自民党を離党し、小沢氏らの新進党の結成に参画した。

 自民党ベテラン秘書は「石破氏は自民党が野党のときに出ていき、与党のときに戻ってきた。つまり『裏切り者』だ。ドイツの哲学者ヘーゲルは『歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は茶番として』と言ったが、安倍首相の苦境、自民党の危機を利用して、けしからぬことを考えている可能性がある。

石破氏は離党の際、森元総理に『こんな党にいても何もできない』とたんかを切って出て行った経緯がある。
森元総理は石破氏に対して、「何度も党を変えるというのは、辛抱がないということだ」と公言している。

・『こんな党にいても何もできない』『私はね、政権与党にいたいんです』

森氏には「(石破氏は)『こんな党にいても何もできない』とたんかを切って出て行った」と個人的な恨みが深い。

石破氏 なぜ自民議員に嫌われる?
『自民党が野党に転落すると 立て直しに四苦八苦する森喜朗幹事長に 「私はね、政権与党にいたいんです。
自民党の歴史的使命は終わった」と捨て台詞をはき離党届。 』このやり取りは有名ですね。これこそ石破茂氏の本性でしょう。

「苦労はせず、努力もせず、常に勝者でいたい」。これが石破氏の本音であろう。初当選で落ち目の田中角栄氏に見切りをつけて飛ぶ鳥を落とす勢いの中曽根派から出馬したことを見れば一目瞭然。
だから、当時は自民党に見切りをつけて小沢一郎氏を追っかけたのだが...

●“政治屋 小沢一郎”をも裏切る

・自分の考えと違うとの理由で、さっさと離党

総選挙(96年)前、私は新進党として戦おうと、ずっと地元で活動してきた。解散の日、ファックスで新進党から送られてきた公約には消費税は21世紀まで3%を維持、集団的自衛権は認めないという、それまで新進党で私が考えてきたこととまったく違う色が出てきた。 もし、新進党公認でこの公約のもとで戦って議席を得れば、任期中はその公約にずっとしばられる。それで新進党を離党して、無所属で戦うしかなかった。それから自民党に復党した。生涯で最大の挫折でした

●派閥を裏切る

・自民党復党後拾ってくれた派閥を裏切り、派閥横断型の勉強会を発足

石破氏がかつて所属していた額賀派に影響力のある青木幹雄元参院議員会長らには「復党後に拾ってあげたのに感謝の気持ちがない」との感情も根強いという。

 石破氏は二〇〇八年の総裁選に出馬した際、額賀派の前身である津島派の支援を受けた。ところが〇九年の政調会長就任を機に額賀派を離脱し、昨年十二月に派閥横断型の政策勉強会をつくった。石破氏は今回の総裁選で「小選挙区制で派閥の影響力が薄れていくのは必然だ」と派閥批判を展開した。

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