1. まとめトップ

日本国有鉄道史 高速鉄道の可能性を求めて

昭和39年に開業した新幹線ですが、世界の4大バカと言われるほど、世論は厳しく誰も新幹線が成功するとは思っていませんでした。現在では、「Shinkansen」で通じる高速鉄道ですが、50年以上前は誰しもが半信半疑でした。

更新日: 2019年01月09日

1 お気に入り 2671 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、本日から新幹線建設に至る経緯についてお話をさせていただこうと思います。 新幹線の建設は第2次5カ年計画の目玉施策として計画されたもので、経済発展に呼応して増大する鉄道輸送をいかに効率よく進めるかに意が注がれました。

blackcat_katさん

慢性的な輸送不足だった昭和30年代

本日から、高速鉄道の可能性についてと言う話題でお話を進めて行きたいと思います。
戦後の輸送量は飛躍的に増加し、経済成長率は戦前の水準を越えたと思われ、昭和32年当時、輸送申込みの60%しか輸送できなかったと、国鉄線の記事では出てきますが、当時は他の輸送機関が殆ど発達しておらず、(飛行機も60人程度の定員で東京~福岡などは、特急1等運賃で東京~博多まで行くのとほぼ同じ金額(当時はあえて、航空運賃を高く設定すると言う政策的な部分がありました。)
利用者の多くは、鉄道に頼らざるを得ない状況でした。
 そのような中、輸送力の拡大(特に東海道線)は喫緊の課題だったのです。

参考 昭和31年当時の運賃
「特急あさかぜ」で東京~博多まで利用した場合
2等A寝台を利用した場合
運賃   2等運賃 3100円
特急料金 2等特急料金 2400円
寝台料金 2等A室   2160円【下段 2760円】
A室【個室】
合計         7660円【下段 8260円】
3等寝台を利用した場合
運賃   3等運賃 1290円
特急料金 3等特急料金 1000円
寝台料金 3等寝台   720円【中段 840円・下段 960円】
合計         3010円【中段 3130円・下段 3250円】
当時の初乗り運賃が10円ですが、現在の物価水準に換算しますと、約20倍になりそうですので、換算してみますと、A寝台個室を利用とすると、153,200円、普通車でB寝台移動で、60,200円と言ったところでしょうか。

出典昭和31年時刻表を参考に算出

昭和33年当時の初任給が、大卒初任給 約1万3,500円です。

当時、国鉄本社の予測では、現在の経済成長が続く限り、東海道本線の輸送力は昭和39年頃には飽和状態に達するであろうと考えられていました。
 その解決策として、東海道本線の全線複々線化による解決策を模索していました。
 昭和21年当時にも戦前の弾丸列車の復活を提唱する意見もありましたが、新幹線の実現と言うのは夢のまた夢と思われていました。
 そんな折、鉄道技術研究所【現在の鉄道総研】が昭和32(1957年年)5月30日に銀座山葉ホール「東京~大阪間3時間」の構想を発表した時は大変な反響がありました。
 画像は、昭和31年交通技術に掲載された「広軌幹線の構想」に掲載された、広軌高速鉄道建設要綱(案)になります。参照 交通技術昭和31年2月号

以下に、上記画像の全文を示します。

広軌高速鉄道建設要綱(案)
 第1 日  的       。
 国有鉄道の東海道線は、現在殆んど輸送限度に達し。速やかに画期的な増強を要する事態にある。東海道の大量大単位位の客貨の輸送方式は、今後の交通文化水準においては高度に近代化された広軌による鉄道、即ち『地平線上を飛ぶ船舶』であり、航空機の速度と船舶の輸送量とを鉄道の保安度の上に総合したものでなけれぱならない。
 この鉄道の建設により、画期的な客貨の輸送による産業の理想的育成、・資本の効率的使用および国民生活領域の拡大を期するとともに、日本の客貨輸送の大半を占める東海道の近代的交通体系を形成せしめ、日木経済の飛躍的発展を促進するものである。
 本鉄道は東京~大阪間を第1次営業範囲とし、大阪~博多、東京~札幌に輸送の要請により業務を拡張するものとする。
 第2 計画概要
  1.広軌新報は、第1次事業として東京から大阪に至る約530km延長の主要都市間を最短距離・最短時間で結ぶ。
 i)運転時間約2時間30分(200km/h)
 ii)旅客駅は中間主要都市6~10駅とする。
 iii)貨物駅は50~70kmごとに都市郊外に設置し、駅を中心として自動車運搬網を形成し、戸口から戸口の輸送および連絡輸送を便にし、貨物の超速達化をはかる。貨物ヤードは不要である。
 iv)動力方式は電気で、線路は複線であり、市街地は高架乃至地下鉄道とする。
  2.この鉄道は世界最高水準の規格による設備により経営上最も合理的な形式を有するものである。
  3.この鉄道は。国家・民間および場合により一部外資をもって建設し、経営は特殊法人による。総事業費約1,500億円。ただし、一部の業務について民間経営を行うことができる。

国鉄本社は、この発表に関しては消極的であった

高速鉄道建設の話題は、新聞にも大々的に扱われたため、85%以上の人が知っていると答えたと言われています。
 だた、本社としては、鉄道技術研究所が勝手なことをしたといって物議を醸したとも言われています。
 当時、本社では鉄道技術研究所という組織は、あくまでも付属物であり、本社の命令で動いていればよい、そんな風潮がありました、しかし、東海道線改良の抜本的対策は新幹線しかないという信念を持って、かつその実現の推進に尽力したのが、十河信二国鉄総裁でした。
 なお、十河総裁については改めてお話をしたいと思います。
 ちなみに、国鉄当時の運転速度では、3時間10分運転であり、3時間ではないと言うご意見もあるかもしれません、当初の計画では、京都停車は想定していませんでした、ところが、世界的観光地である京都を通過させるのは問題があるという経営的判断から停車が決定したと言われています。
 それにより当初は東京~大阪3時間運転の予定が、3時間10分に延長となりました。
 京都通過の列車が誕生したのは、平成元年にデビューした「のぞみ1号」東京発の列車で、途中新横浜以外は全て通過と言う過激な?運転でしたが、その後は名古屋財界の猛反発もあり、現在の形になったのはご存知のとおりです。

参考 昭和31年の運賃・料金など

特急・急行・準急で料金が異なり、かつ等級によっても運賃が異なっていた。
基本は、三等運賃の2倍が二等、3倍が一等運賃ですが、一等・二等は20%の通行税が賦課されています。
東京~大阪の特急料金で、特急料金一等が2,160円ですので、単純に10倍と換算すると、特急料金だけで21,600円となります。

三等【現在の普通車】の運賃、二等はこの2倍、一等は三倍した値段に+20%に税金を賦課した金額が、運賃であった。

併せてご覧ください。

京都駅の新幹線駅が決定するまでの経緯はこちらもご参照ください。

新幹線に関連する記事一覧

1