高速鉄道建設の話題は、新聞にも大々的に扱われたため、85%以上の人が知っていると答えたと言われています。
 だた、本社としては、鉄道技術研究所が勝手なことをしたといって物議を醸したとも言われています。
 当時、本社では鉄道技術研究所という組織は、あくまでも付属物であり、本社の命令で動いていればよい、そんな風潮がありました、しかし、東海道線改良の抜本的対策は新幹線しかないという信念を持って、かつその実現の推進に尽力したのが、十河信二国鉄総裁でした。
 なお、十河総裁については改めてお話をしたいと思います。
 ちなみに、国鉄当時の運転速度では、3時間10分運転であり、3時間ではないと言うご意見もあるかもしれません、当初の計画では、京都停車は想定していませんでした、ところが、世界的観光地である京都を通過させるのは問題があるという経営的判断から停車が決定したと言われています。
 それにより当初は東京~大阪3時間運転の予定が、3時間10分に延長となりました。
 京都通過の列車が誕生したのは、平成元年にデビューした「のぞみ1号」東京発の列車で、途中新横浜以外は全て通過と言う過激な?運転でしたが、その後は名古屋財界の猛反発もあり、現在の形になったのはご存知のとおりです。

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日本国有鉄道史 高速鉄道の可能性を求めて

昭和39年に開業した新幹線ですが、世界の4大バカと言われるほど、世論は厳しく誰も新幹線が成功するとは思っていませんでした。現在では、「Shinkansen」で通じる高速鉄道ですが、50年以上前は誰しもが半信半疑でした。

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