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日本国有鉄道史 新性能電車の幕開け 第2話

101系導入計画の頃は、オール電動車にすることで、輸送力増強を図れると考えていましたが、電力量が多くなり、地上設備の増強が必要となることが判明し、結果的には電動車比率を下げる計画変更を余儀なくされることになりました。

更新日: 2019年02月05日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回は101系導入の頃の背景と言うことで簡単にまとめさせていただきました。中央線沿線は戦後急激に人口が増加した地域であり、国鉄としてもラッシュ時の解消は社会問題となっていました。

blackcat_katさん

引続き、101系のお話を少しだけさせていただく前に、中央線に最初に101系が投入されたのかという経緯を知る必要があるかと思います。
中央線沿線は、戦後の人口増加が大きかったと言われています。
いささか乱暴な話ですが、中央線が通過する八王子市の人口を八王子市の統計で見てみますと、上記のグラフに有るように、昭和30(1955)年に大きく増加し、その後昭和40(1965)年までは周囲の町村合併もあったとはいえ人口が爆発的に増加していることが理解していただけると思います。

中央線に101系が最初に投入された背景を知る

本日から、新性能電車の幕開けとということで何回かに分けてお話をさせていただこうと思います。
しばしお付き合いくださいませ。

八王子市の人口は昭和27年頃から急速に増え始め右肩上がりの増加を示している。

殺人ラッシュと言われた、朝の通勤混雑

開発に輸送力が追いつかなかった時代

これは、戦後、東京都民が郊外に引っ越したことも原因としてあったかもしれませんが、この頃から東京一極集中の問題は起こっており、鉄道輸送にあっても、昭和8(1933)年6両編成でスタートした中央線は、昭和30年には9両編成まで対応できるようにホームを延長、その後昭和31(1956)年11月には10両編成まで対応可能となったそうですが、抜本的な改善には至っておらず、連日ダイヤの乱れによる混乱があったと記録には残っています。
昭和32年には、東京駅に中央線ホームの改良に着手しホーム拡幅工事を行ったと記述されています。

新型車両で輸送力増強を計画するが

改善案として、旧形のモハ72形電車に代えて、新性能電車(101系)を導入することで、時間短縮が図れるとして計画されたのでした。
当初の計画では、オール電動車で製作する代わり、加速度は3.2km/h/sec 減速度 4.0km/h/secで、130cmの両開きドア併用で、運転自分の短縮が図れるとしていましたが、

旧型国電と呼ばれる車両は吊りかけ駆動方式で。加速度も2.0km/h/s 程度でした

72系電車よりも高性能なはずだったのだが・・・実際には変電所の強化などが必要になり、オール電動車構想は消えることに

国鉄最初の新性能電車101系、当初はオール電動車で計画されましたが、変電所の強化などが必要になり、電動車の比率を減らすことになりました。

101系4ドア両開きで、乗降時間が多少なりとも短縮されると試算された。

変電所の強化など別の問題が発生

実際には、オール電動車にすることでピーク電流(ノッチ投入時にかかる過電圧)の増大やこれに伴う架線電圧の降下などもあり変電所を強化する必要があり、その費用だけで役10億円(昭和32年当時)であり、それ以外にも性能に合わせて信号設備なども最適化を図るとなるとその経費も膨大になることや、旧形国電との混用ではさほど高加速があっても使いづらいと言うことから。当面は、出力を下げてMT比を下げる手法が取られました。

101系は、通勤電車としては10両編成2分間隔運転と輸送力増強が頭打ちになっていた中央線快速に投入することを想定して仕様が決められ、従来の旧形電車の加減速の約2倍の性能をもってラッシュ時の運転間隔を短縮することで、輸送力を増強することとされた。

101系と相前後して落成した、日本初の高加減速電車である近鉄6800系(ラビットカー)など、私鉄各社でも高性能車と呼ばれる高加減速の電車が出てきていたこの時期、開発当初は加減速性能の向上を狙って全電動車方式(オールM編成)を採用したのが大きな特徴である。個々の電動機の能力を極限まで高めるのではなく、全車両を電動車として編成全体の出力を高める方針が取られ、電動機は高回転型で小型軽量になり急行形などとも共通の標準形としたMT46A形が用いられた。

しかしこの構想は、以下に詳述の通り電力設備等の問題により変更を迫られることになり、後には例えば電動車6両に付随車を2-4両連結して使用された。これでは所期の性能が発揮できず、またなお残る経済性の問題から、後継として103系電車が開発され、国鉄の標準通勤電車の位置を譲ることになった。これらのことから、国鉄においてはカルダン駆動の車両を「高性能車」と呼ぶのをやめ、「新性能車」と呼ぶようになった。

当初は8M2Tその後6M4Tとトレーラーの両数を増やす形で性能は最終的には旧形国電とさほど変わらない2.0km/h/secになってしまいました。
それでも、当初は将来的には電動車化するとのことで付随車(サハ)も動力台車を履くこととなり、DT21T(Tはトレーラーの意味)と呼ばれる電動車用台車を履き、また一部のサハにはパンタグラフの設置のための準備工事なども行われていました。
この失敗に懲りたのか、それ以降は国鉄では電車の起動加速度を積極的に公表することはありませんでした。
現在のN700系の加速度2.6km/h/secであり101系よりも速いことになります。

101系は、地上設備が追いつかないことから、性能を落として使用されることに

応荷重装置を用い限流値を空車時350A - 満車時480Aにすることで乗車効率に関わりなく起動加速度を3.2km/h/sとする運転方法は、5ユニットによるピーク電流が5600Aにも達すること、架線がシンプルカテナリーでありパンタグラフが2両に1つとなり集電量が増加したことによる架線温度上昇の問題が出たため全性能運転することができず、応荷重装置を未使用にして限流値を乗車効率に関わりなく280A固定とすることで、ピーク電流を編成あたり3650Aに抑えて運転することになった。そのため起動加速度は旧形車同様に乗客数によって変化した。

加藤追記
中央線の変圧器増強などで当時の金額で10億近くかかると言われており、これを避けるため上記のように、限流値(回路の流れる電流量を制限】することで、加速を抑制していたようです。

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