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熊猫さんさん

このトンデモ「石平」氏の紹介したyoutubeアカウント停止されていた。 >江南人はもともとチャイナ人ではなかった。 これも「アイヌ民族否定」ヘイト同様、勝手に「チャイナ人」を定義して、他者のアイデンティティを否定する類いだろう。 pic.twitter.com/Nqrpm7r9W9

やはり、アカウントが停止されるような内容であったのだろう。

それにしても「石平」氏のいう「チャイナ人」とは、おそらく中国人それも漢族を指すのであろうが、思うに氏は実は「支那人」と書きたいのではないかと想像するが、まあ漢族の成立が秦漢時期だと考えるならば、確かに「江南人」(長江流域の住民)は元々漢族でなかったかもしれない。 pic.twitter.com/1PKIelEpXT

(なお漢族が一定時期に形成されたと考えると、中国大陸のどの住民も元々「漢族」ではないのだが) しかし、既に漢族が形成された後の、しかも明代に沖縄に渡来した「閩人三十六姓」を漢族ではないと主張するのは、為にする飛躍でしかないだろう。勿論、彼らが福建省出身(南方漢族)であるにしても。

現在のような巨大漢族の成立が秦漢時期だとしても、原漢族と言えるような集団は古来からいたのではないかという人もいるかもしれないが、そのようなものでさえ、成立したのは比較的新しい(周代以降?)ことのようだ。 twitter.com/xiongmao53/sta…

初期中国文明の担い手も、漢族と言うより、もっと南方的なタイ系言語を話していたような集団で、それらが長江流域のみならず、黄河流域にまで広がっていたという。後に「漢字」と呼ばれるようになった文字も、元々はそんな集団の文字であったようだ。

なお中国文明というのは決して漢族の文明ではなく「漢字」文明であると考えるが、事実関係については主に言語学者・橋本萬太郎の説によって話している。

橋本によれば東アジアの言語は漢語(中国語)を挟んで、北方系言語(アルタイ諸語など)と南方系言語(タイ諸語・南アジア諸語・南島諸語など)に大別されるが、両者は語族の違いを超えてそれぞれ共通性があると言う。この点については以下を参照のこと。 eonet.ne.jp/~shiyokkyo/eas…

ちなみに、漢語(中国語)は南方系と北方系の混合のような性質を持っていると言い(私はアルタイ化したタイ語だと思うが)、その混合的性質が文章で確認されるのは周代以降であると言う。実際、原漢族とも言うべき華夏族が黄河流域で形成されるのはこの時期であろう。

周代に華夏族が形成され、春秋・戦国を経て、黄河北方を主軸に中国は統一され巨大漢族が成立する。 「石平」氏は黄河流域の華夏族を「チャイナ人」と称しているのかもしれないが、為にする議論でしかない。 pic.twitter.com/Y2Lod2X7SF

初期中国文明で話されていたのはタイ語的な言語だという人がいますが、これは初期中国文明が東南アジア系と言うより、そもそもタイなど現在の東南アジアの住民自体が中国から南下していった人々です。 twitter.com/kanedaichi1/st…

商(殷)以前の黄河長江流域をイメージしたら、何か東南アジア的なものがあるかもしれませんが、注意しなければならいのは現在の東南アジアの人々は現在地に居住後、インド文明の影響を受けています。

古い映画ですが、中国映画『山の郵便配達』では、湖南省の山村の少数民族・侗(トン)族の踊りなどが映されていましたが、服装など何となく「東南アジア」的でした。ちなみに侗(トン)語はタイ・カダイ語族カム・タイ語派に属すると言います。南下せず、深山に残った人々もいるのでしょう。

日本では稲作の長江文明と畑作の黄河文明とを全く異質なものと考え、中には黄河文明のみを「中国」と考える向きがあるようですが、専門家の意見は違うようで、むしろ両者は一体の黄河長江文明と見るのが適切でしょう。

これについて中国古代史家・伊藤道治は次のように述べています。 「(新石器時代の黄河長江流域の諸文化は)それぞれ独自の文化をもちながら、一方では東西にも南北にも文化を交流させて発展してきたのである。したがって、黄河のみの文化でもないし、長江のみの文化でもない、両者にまたがる文化、➡

河江文化と総称しても良いと思う。」(『古代中国』講談社 2000年2月)

また、弥生文化は稲作だから伝えたのは長江流域の住民だとついつい考えてしまいますが(私も一時そのように考えていました)、そもそも黄河流域でも適した所では稲作をやっています。 twitter.com/xiongmao53/sta…

南北両集団の融合による漢族などの形成と言うシナリオは言語学のみならず、遺伝子人類学の面でも証明されつつあるようだ。去年も書いたが、ディヴィッド・ライク『交雑する人類』によれば、現在の大多数の東アジア本土人の遺伝子は、「非常に古い時代に分離した2つの系統の➡ twitter.com/xiongmao53/sta…

さまざまな比率の混じり合いに由来する」と言い、「この2つの系統のメンバーがあらゆる方向に拡散し、お互い同士や遭遇した集団と混じり合って」、現在につながる東アジアの民族状況を形成したという。

ライクは「東南アジアと台湾では、DNAの大半またはすべてを同じ祖先集団から受け継いでいる集団が多い」とし、これらが長江流域からの稲作の拡散と一致する為、長江流域で稲作を始めた集団の子孫ではないかと推定し、これを「揚子江ゴースト集団」と呼んでいる。「ゴースト」というのは、➡

これら集団の直接の古代DNAがまだ入手されていないからであり、このライクの言う「揚子江ゴースト集団」は、先に述べた「南方系言語集団」の祖先と考えていいだろう。即ち東南アジアや台湾に居住しているタイ・カダイ語族、オーストロアジア語族、オーストロネシア語族の言語の話者である。

ちなみに漢族は、この「揚子江ゴースト集団」の直接の子孫には合致せず、「非常に異なる別の東アジア人系統からも、DNAを大きな比率で受け継いでいる」と言い、そのもう一つの集団を「黄河ゴースト集団」とし、これが「北部で農業を発展させながらシナ=チベット語を広めたという仮説」を立てている。

しかし、南方系言語と北方系言語の混合による漢語の形成と言う推定から考えれば、「揚子江ゴースト集団」と違った「もう一つの集団」はむしろ北方アルタイ系言語の話者ではないかと言う気もし、去年はそうtwしたのだが、これはあくまで素人考えである。

少なくともDNAからは言語が分からないのであり、「揚子江ゴースト集団」と交雑して漢族を形成するに至った「黄河ゴースト集団」はシナ・チベット語の話者ではなく、北方系言語の話者であり、シナ・チベット語自体が南北言語の混合により形成されたのではないかと愚考するのだが。

何にしろ、漢族が南北両集団の交雑によって形成されたことは遺伝子的には間違いなく、その言語も基本的には南北両言語の交渉によって形成されていったことは間違いないと思う。実際、漢族と言っても南北では遺伝子・言語共に大きな差異があるのであり、北へ行くほど北方的要素が強く、南へ行くほど➡

南方的要素が強くなるという風に、南北で勾配を為しているのである。 この南北両者の混合によって形成された集団の、どちらか一方のみを「チャイナ人」などと称することは全く不適当であることは言うまでもない。

なお「漢族が南北両集団の交雑によって形成された」と書いたが、これは大別すればの話であり、南北両集団とも、遺伝子的にそれぞれ類似していたとしても、現在の中国の55少数民族など及びも付かない雑多な民族集団を包含しており、それらが混合して漢族が形成されたのである。 twitter.com/xiongmao53/sta…

つまり中国の漢族と少数民族の関係というのは、基本的に数多の少数民族が混合して形成されたのが漢族であり、混合されず周辺に流出したり山間部に残存したものが少数民族と考えるとよい。勿論、流出した先や山間部などで少数民族同士が分離したり混合したりして、新民族が形成されることもあるのだが。

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