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新性能電車の幕開け第3話 小田急SE車による高速試験

国鉄は、小田急のSE車を借り入れて、高速度試験を行うことになりました。この借り入れには、国鉄部内でも賛否両論があったそうですが、最終的に十河総裁の決断で決定したと言われています。

更新日: 2019年02月05日

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この記事は私がまとめました

小田急SE車による高速試験のお話しなどを簡単にまとめさせていただきました。昭和30年代の国鉄そして私鉄の状況を知っていただければ幸いです。

blackcat_katさん

国鉄技術研究所の協力で誕生した小田急3000形

本日は、小田急が開発したSE車が、国鉄線を走った頃のお話をしてみたいと思います。

1)国鉄技術研究所の協力で始まったSE車
小田急のSE車は、ご存じのとおり小田急が最初に開発した特急専用電車であり、現在も1編成が海老名車両基地(神奈川県海老名市)の専用保管庫に保存されています。
当初は、鉄道技術研究所の協力で開発が始まったそうで、完成後は小田急線内で最高速度を出せるところがなかったので、これまた国鉄で試験をさせて欲しいということになったそうです。

小田急3000形電車(おだきゅう3000がたでんしゃ)は、1957年から1992年まで小田急電鉄において運用された特急用車両(ロマンスカー)である。

新宿と小田原を60分で結ぶことを目指した「画期的な軽量高性能新特急車」として計画され、 開発に際して日本国有鉄道(国鉄)の鉄道技術研究所より技術協力が得られたことから、日本の鉄道車両において初の導入となる新技術がいくつか盛り込まれた車両である

SE車の設計にあっては、鉄道技術研究所(現在のJR総研)の助言が得られ、昭和29年10月から昭和30年1月までの間に8回の研究会を経て基本設計概要がまとめられたといいます。
なお、基本設計は以下の通り各メーカーが分担して行われたといいます。
日本車両・川崎車両      車体
近畿車両           台車・ディスク制動装置
東洋電機           主電動機・駆動装置・集電装置
東芝電気           制御装置
三菱電機           空気制動機・ファンデリヤ

出典交通技術、昭和32年4月号

交通技術昭和32年10月増刊号

試験に際しては、部内でも反対意見が多かった

国鉄の部内にも私鉄の車両を借り入れることに対して反対意見も多かったそうで、借入費用が大きくなることや、車両自体が信託(住友信託銀行)されていたこともあり、最高速度は設計最高速度である145km/h以上出さない様に事前に取り決めたり、「高速試験」自体に保険をかけたり、145km/hにおけるブレーキ距離が600mを越えることから運輸省の特認が必要といった手続きもあったと言われています。
また、国鉄として私鉄の車両が走ることは面子が立たないと言った意見もあったそうですが、詳細は省きますが、個々の調整も進み、小田急と国鉄の間で貸借契約が交わされ、下記の日程と場所で試験が行われることになりました。

9月20日~9月26日
  大船~平塚間の旅客下り線
  ロングレールを敷設した、モデル軌道区間を含む当時として最も軌道の良い区間で、架線も高速集電に有利なコンパウンド・カテナリ架線方式

9月27日・28日
  函南~沼津間の下り線
  普通の状態の保線区間で、架線も従来のシンプルカテナリ式架線方式

この辺の事情は、wikipediaに詳しいので引用させていただきます。

この決定には、国鉄部内でも「国鉄が私鉄の車両を借りて高速試験をするとは何事だ」「ライバル路線の私鉄電車を国鉄線で試験するなど論外」といった反対意見が出た。当時の国鉄部内には客車を機関車が牽引する機関車列車方式(動力集中方式)に対する「信仰」が根強く残っていたが、分散動力方式の支持者からも「国鉄の面子が立たない」という反対意見が多かった。最終的には「国鉄が試験車両を作るまで待てない」と押し切るしかなかったという。

一方、SE車は日本で初めての信託車両であり、最終所有者は支払いが終了するまでは住友信託銀行であったため、「80系電車のように試験中に燃えてしまったらどうするのか」という声も上がった。また、国鉄線内で事故が発生した場合の責任所在などの問題もあった。それらの問題を解決し、1957年9月に小田急社長の安藤楢六と国鉄総裁の十河信二との間で、SE車の貸借について契約が行われ、高速試験そのものに保険を掛けることで決着した

SE車は当初から、格下げ使用しないことを前提に軽量化設計がなされていた。

試験の結果、従来車両に比べて横圧(レールを外に押し出そうとする力)でありこの力が大きいと軌道の狂いが生じるため小さい方が好ましいことになります。
従来の車両では4t程度あったものが2.5tと軽減されていることが確認されたと言う記述がなされています。

集電に若干問題が残ったことや、高速度でのブレーキの利きが悪くて600mを越えたことなどの問題点もあったそうですが、概ね初期の性能は確認できたとのことでした。
また、流線形の効果による空気抵抗軽減も十分確認されたことから、国鉄としても私鉄の車両を走らせることに抵抗は有ったものの結果的には新幹線に繋がる貴重な資料を提供したと言われています。
実際に、高速度試験での離線状況などから新型のヘビーコンパウンド式カテナリ―架線が開発されたりしました。
明日からは、新幹線建設のお話に移りたいと思います。

交通技術 昭和32年4月号参照
諸元
本車両は8両編成の逮節式で車長108,!00mm、自重147t、定員354名、電動機出力100KW×12、常用最高速度125km/h、平坦線平衡速度145km/h及び最高平均減速度4.J5km/hl sec (初速125km/h)

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