この辺の事情は、wikipediaに詳しいので引用させていただきます。

この決定には、国鉄部内でも「国鉄が私鉄の車両を借りて高速試験をするとは何事だ」「ライバル路線の私鉄電車を国鉄線で試験するなど論外」といった反対意見が出た。当時の国鉄部内には客車を機関車が牽引する機関車列車方式(動力集中方式)に対する「信仰」が根強く残っていたが、分散動力方式の支持者からも「国鉄の面子が立たない」という反対意見が多かった。最終的には「国鉄が試験車両を作るまで待てない」と押し切るしかなかったという。

一方、SE車は日本で初めての信託車両であり、最終所有者は支払いが終了するまでは住友信託銀行であったため、「80系電車のように試験中に燃えてしまったらどうするのか」という声も上がった。また、国鉄線内で事故が発生した場合の責任所在などの問題もあった。それらの問題を解決し、1957年9月に小田急社長の安藤楢六と国鉄総裁の十河信二との間で、SE車の貸借について契約が行われ、高速試験そのものに保険を掛けることで決着した

出典小田急3000形電車 (初代) - Wikipedia

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新性能電車の幕開け第3話 小田急SE車による高速試験

国鉄は、小田急のSE車を借り入れて、高速度試験を行うことになりました。この借り入れには、国鉄部内でも賛否両論があったそうですが、最終的に十河総裁の決断で決定したと言われています。

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