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日本国有鉄道史 新性能電車の幕開け第4話 特急電車151系の誕生

新性能電車の幕開、第四話として特急電車151系の誕生時のお話しを中心にさせていただこうと思います、特急こだまとしてデビューして、その後特急つばめ・はと等も置換え、新幹線開業前の華やかな時代を作りました。

更新日: 2019年02月06日

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この記事は私がまとめました

151系誕生までのお話しを少しだけまとめてみました。151系は、当初は20系電車と呼ばれており、誕生に際してはユニットクーラーの試験、冷房装置の試験、ディスクブレーキの試作なども行われました。ディスクブレーキに関しては別のblogで紹介させていただきます。

blackcat_katさん

小田急3000形試験で弾みが付いた、高速電車の開発

昨日は、小田急の車両を借り入れて高速試験を行ったと言うお話をさせていただきましたが、実は3000系の設計には国鉄の技術研究所がかなり設計に関しては技術協力をしたそうですが、小田急としてもかなり部内で物議は有ったそうです。
特に、運転台が低くなることが万が一の事故の場合どうするのかとか、見通しが悪くなると言う問題提起がなされたと言います。
また、連接台車に関する保守も保守部門からは不安が有ったそうです。

製造途中の珍しいスナップ写真
1957-04_交通技術から引用

101系による高速試験と151系の開発

また、、お役所以上に固い(融通が利かない)と言われた国鉄ですが、この高速試験は結果的には大成功であり、最終的に3000系で培われた軽量化の技術は、国鉄の車両設計にも大いに影響を与えたようです。

なお、高速試験は、101系も試験に供されました、台車を試作の空気ばねに変更し、歯数比を変えた特別仕様で135km/hを記録しました。

最初は物議をかもした、小田急3000系の借り入れですが、結果的には多くの貴重なデータを提供することになりました。
連接台車については、国鉄では591系誕生まで持ち越されることになりましたが、こうしたデータは新幹線建設のための基礎データを提供したと言われています。

151系誕生

川崎工場で保存されているクハ26

また、昭和33年には国鉄としても101系に搭載されたMT46モーターを搭載した日本初の特急電車として151系を誕生させることになりました。
151系は小田急の車両を参考にしたと言うよりも、国鉄独自の軽量設計の集大成と言うべき存在でした。

151系誕生に関しては、下記blogも参照してください

151系誕生に際して、高速試験など数多くの試験が行われた

特に、それまでは食堂車・展望車など1等車の一部にしか設置されていなかった冷房装置を3等車にまで広めた功績は大きく、車両に取り付けるユニットクーラーをサロ85に設置して試験が行われた他、101系には試作空気ばねでの試験などが行われ、10系客車なで採用された軽量車体を含めて、当時の国鉄における技術の延長線上にあった車両でした。

また、高速運転を考慮して運転台を上げた独特のボンネットスタイルはヨーロッパのTEEなどを参考にしたとはいわれていますが、優雅にまとめられており、国鉄の黄金時代を彩る列車として、また戦後の復興のシンボルとしても評価に値する列車と言えましょう。

空気バネ改造された電車は、モハ90-502でした。

試験に際して、下記のような改造が施されました。
i )歯車比の変更
通勤用に作られたモハ90は主電動機の歯車比が84/15=5.6であったのを79/20=3.95に改造(モハ90501・モハ90502の2両)
輪軸組立は新製品と振替え。ただし歯車箱・歯車箱ツリは流用。
主電動機はB月の試験の際、弱め界磁率が56%程度であったので41%に改造した。
ii〕空気パネの試用
DT21台車のマクラパネを空気バネに改造し、長距敵高速電車としての乗心地改善をはかった。そのため上下揺レマクラ・空気バネを新設し、台車ワクを一部改造(モハ90502号車)
iii)ブレーキ装置の改造電磁直通空気ブレーキのブレーキ率を速度制御さぜるため、部品(ブレーキ弁・抑圧弁なりを一部改造し、速度制御機構を仮設。またブ、レーキ倍率を増大しその値を8程度に高めた。これにより100km/h以上の高速度からブレーキをかけても短い距離で確実に減速停止し得るようにした

ⅳ)試作高性能パンタグラフの取付高速運転時でも架線に対する追随もよく押上量も過大にならないような試作パンタグラフXPS18A型及びXPS18B型2種1個ずつ試験車に取付けた。これはいままでの高速度集電試験及び集電委員会の研究結果に基いて製作されたもので、従来のPS13Cでは高速時で離線率が大きくなる傾向にあるのを改善しようとするものである。パンタグラフの集電状況はSE車と同様に、車室内に工業用テレビ受像機を据付けて観測できるようにした

ユニットクーラーも151系誕生前に試作が行われました

1958-09b_交通技術
国電初めての冷房装置が湘南電車サロ85020号車に夜付けられた。在来の客車冷房装置と異なり、市販のウインド形ユニット・クーラの部品を利用して天井に取付けられるようにしたもので、世界でも最初の試みであるが良好な成績をおさめたので、33年度のビジネス特急の全車両に装備されることになっている。

当初の予定では、「つばめ」・「はと」は客車で置き換え予定

当初は、特急「つばめ・はと」を置換える予定はなく、あくまでもビジネス特急としての計画であったことから、3等車のみの編成で計画していたそうですが、途中からやはり2等車は営業上必要であると言われて設計変更がなされその格差に苦慮したと言う記述が星晃氏の回想録などで出てきます。

その時に試作されたものの一つにシートラジオがあったそうですが、当時はイヤホンを一つ一つ消毒していたそうで(持ち帰り式の安いイヤホンではなかった)その手間が邪魔だったことや携帯式のラジオが普及したことで廃止になったと言われています。
当初は、あくまでもビジネス特急としてのスタートであり、当初は8両編成でスタートしますが、完全冷暖房の車内は好評を持って迎えられ、昭和34年には増備が始まり、編成は12両まで拡大、その後本格的に特急「つばめ・はと」も客車ではなく、電車で置き換えようと言う話となり、それまでは優等列車は客車による機関車牽引と言う意見は姿を消し、電車による置換えが検討されることになるのですが、その辺りはまた別の機会にさせていただきます。

シートラジオに設けられたイヤフォンは、使用の都度消毒していたそうですが、手間がかかることとポータブルラジオが普及したことから中止となりました。
回想の旅客車 上巻から引用

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