1. まとめトップ

日本国有鉄道史 国鉄VS東武 日光観光客争奪戦 第1話

現在でこそ、頭部とJR東日本は共同運行で日光までの観光客輸送を行っていますが、昭和30年代の国鉄は、私鉄に対して強い対抗心を持っており、キハ55では役不足を感じており、電化とともにデラックスな準急電車を誕生させました

更新日: 2019年02月21日

2 お気に入り 1996 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回は日光線の昭和30年代のお話しを中心にまとめさせていただきました。昭和34年、国鉄は東京・新宿から日光に向かう列車を誕生させました。東武が上野駅を起点としていたことに対する対抗措置でした。

blackcat_katさん

世界的観光地日光

現在でこそ、JR東との相互乗り入れが行われていますが、かつて国鉄時代は国鉄と東武双方が競争していました。
昭和31年、東武が1700系特急車と呼ばれるロマンスカーを導入、国鉄も負けじと同年10月10日から、準急用気動車として開発したキハ55を投入します。
160PSのエンジンを2基搭載した強力型とはいえ、東武の1700系と比べれば見劣りする車両であり。
決して有利な戦いとは言えませんでした。
その後、昭和34年には、日光線も電化されることとなり、東武と競争条件がほぼ同じとなりましたので、ここで積極策に出ることになります。

JR東日本からはE253系改造車が、東武からは100系スペ-シァで運転

JR東日本からはE253系改造車が、東武からは100系スペ-シァで運転

東武が日光輸送に投入した電車

東武が日光線に投入した、日光行き電車、157系の登場で、東武は1720系を投入することとなった。
その後、昭和46年に更新工事を行い1720系と同じボデイに載せ替えられた。

国鉄はキハ55形気動車で対抗

キハ55系の呼称は国鉄の制式系列呼称ではなく同一の設計思想により製造された形式を便宜的に総称したもので、具体的には新製車であるキハ55形(キハ44800形)・キハ26形・キロハ25形・キロ25形および派生形式のキユニ26形・キニ26形・キニ56形を指す。
引用 wikipedia

キハ55形 日光号に投入された気動車の概要
1956年製。当初はキハ44800 - 44804の車両番号が付与されたが、1957年4月の気動車称号改正で改番した。側窓はスタンディングウインドウ、正面窓は小窓。車内灯は白熱灯。前位戸袋部は2人掛けのロングシートであり、前後デッキ部には折りたたみ式の補助イスが各2人分設置された。後位側車端部隅にもRが付いている。

スタンディングウインドウ=いわゆる、バス窓

昭和32年の時刻表から

準急日光、気動車の表示が見えると思います。

攻める国鉄と追われる東武

国鉄は日光線の電化工事を行い、電車列車並びに一部列車は客車に戻して機関車牽引とし、当時地方で要望の多かった気動車は地方線区に回す措置が取られたそうです。
観光輸送列車である「日光号」に関しては、キハ55に代えて、157系と呼ばれる特別準急電車が製作されました。

157系電車は、既に多くの鉄道雑誌などで紹介されているのでご存じの方も多いと思いますが、当時としては珍しく列車名によって始発駅が異なっていました。(東京起点で)
1)日光号  東京~日光
2)中禅寺号 新宿~日光
3)なすの号 上野~黒磯
となっていました。
当時から、新宿発の設定があったことも興味を持たされるところです。

準急中禅寺・日光が157系で運転、だいやは、湘南電車で運転されていました。
他に、午後からの初黒磯行き。「なすの」も157系で運転されていました。

【中禅寺】新宿→日光→【快速】→黒磯
【なすの】黒磯→上野→上野→黒磯→【快速】→日光
【日光】日光→東京
翌日
【日光】 東京→日光→【回送】→宇都宮
宇都宮→【回送】日光→新宿

中禅寺と日光に挟まれる形で、「だいや」号が運転されますが、車両の格差がありすぎるので、日光・中禅寺に利用が集中したと書かれています。

157系電車の特徴

157系電車の特徴は、準急電車とはいえ当時の特急とほぼ同じ設備を持っていたことであり、3等車(後の2等車)は電車特急こだまの3等車と同じ回転クロスシートであり、2等車(後の1等車)もリクライニング装備となっていました。
当初は冷房装置の搭載も計画されたそうですが、そうなると特急列車との格差が無くなってしまうと言うことで冷房装置取り付けは見送られたものの、準備工事が行われていました。
冷房を設けない代わりに窓は開閉式とされ、下降窓が設けられましたが、この下降窓の設備に不備があり結果的に車体寿命を縮めてしまったことも皆様よくご存じだと思います。
157系の登場で焦ったのは、東武の方でした。
今まで優位性が157系の登場で大きく崩れてしまったからです。

電車のアルバムⅠ
から引用



157系全景





モハ156中間電動車






サロ157 2等車

157系がDRCを誕生させた

157系の登場で焦ったのは、東武の方でしょう。
今まで増備されていた1700系の製造を打ち切り、マイナ^チェンジ版として1720系(DRC)が誕生するきっかけとなりました。
151系を意識しつつも、独自のデザインの車両でした、製造はナニワ工機(後のアルナ工機)が製造を行いました。
阪急の2000系以降に見られる、窓枠にアルミを巻く独特のスタイルを関東で見ることが出来ました。
また、当時の車両としては珍しく、4号車にはジュークボックスを備えたサロンカーを設けるなど、国鉄の157系をかなり意識した車両でした。
明日は、東武1720系登場以降の様子をアップします。

1