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中日ドラゴンズ歴代監督一覧

中日ドラゴンズ歴代監督一覧です。

更新日: 2019年02月13日

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ssszさん

中日ドラゴンズ

中日ドラゴンズ(ちゅうにちドラゴンズ、英語: Chunichi Dragons)は、日本のプロ野球球団。セントラル・リーグに所属する。
愛知県を保護地域とし、同県名古屋市東区にあるナゴヤドームを専用球場(本拠地)としている。また、二軍(ウエスタン・リーグ所属)の本拠地は同市中川区にあるナゴヤ球場である。

歴代監督

池田豊 1936

1936年、大学の先輩河野安通志が総監督をつとめる大日本野球連盟名古屋協会(名古屋軍)の初代監督に就任。河野が後楽園イーグルスを設立すると同時に辞任した。

桝嘉一 1937

1937年と1943年には監督 、1941年から1942年までは助監督も務めた(すべて選手兼任)。

根本行都 1938 - 1939

プロ野球選手としての経歴はないものの、指導者として長く様々なチームに関わった。早大進学後には、合宿を抜け出して母校の竜ヶ崎中学を泊まり込みで指導し、甲子園に導いている。秋田商や中大の監督を経て、1938年に桝嘉一の後任として名古屋軍の監督に就任した。

小西得郎 1939 - 1941

小西 得郎(こにし とくろう、1896年7月10日 - 1977年6月9日)は、昭和期のプロ野球監督、野球解説者。

本田親喜 1941 - 1942

本田 親喜(ほんだ ちかよし、1911年8月17日 - 1989年5月22日)は、アメリカ合衆国ハワイ州出身のプロ野球選手・監督。

桝嘉一 1943 (二期目)

三宅大輔 1944

1936年には阪急軍、1944年には産業軍、1947年には国民野球連盟の大塚アスレチックス監督を歴任した。

竹内愛一 1946

戦後の1946年には中部日本の監督に就任。ショーマンシップがあったが、酒絡みのトラブルで選手からは反発され、7月には更迭された。

杉浦清 1946 - 1948

7月からは選手兼任監督も引き受けたが、就任時に「本社(=運営母体の中部日本新聞社)からきた監督」と宣言した事から、当時名古屋軍時代からの赤嶺昌志球団代表の影響下にあった選手達の反発を買った。さらに本社が赤嶺を解任して中村三五郎を新代表にした際、赤嶺が主な選手を引き連れて退団(「赤嶺旋風」のきっかけとなる)するなどチームが弱体化し、苦戦を余儀なくされた。

天知俊一 1949 - 1951

1949年に中日ドラゴンズの監督に就任。1952年に実権の無い総監督に異動となるが、1954年に監督に復帰し、チームを初優勝と日本一に導いた。日本一が決まった後に天知は涙が止まらず、選手たちから胴上げされるときも涙を拭きながら胴上げされた。また選手たちも「人情派監督」の日本一に感激しほとんどの選手が涙を流した。

坪内道典 1952 - 1953

1949年に助監督兼外野手として中日ドラゴンズに移籍。1951年限りで現役引退し、1952年から1953年まで中日監督、その後は西鉄ヘッドコーチ(1960年 - 1961年)・一軍打撃コーチ(1962年)、中日ヘッドコーチ(1965年 - 1966年)・二軍監督(1967年)・寮長兼コーチ(1979年 - 1986年)、ロッテ二軍監督(1972年)を務めた。1992年に野球殿堂入り。

天知俊一 1954(二期目)

野口明 1955 - 1956

1955年に中日の選手兼任監督に就任したが、選手としてはこの年に2試合に出場したのみだった。1956年シーズン終了後に引退、退団した。

天知俊一 1957 - 1958(3期目)

杉下茂 1959 - 1960

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