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2月14日はバレンタインデーということで、みんな職場でチョコをもらっていると思います。しかしこの日はシカゴギャングのアルカポネの聖バレンタインデーの虐殺の日でもあるのです。

ezurerikiさん

聖バレンタインデーの虐殺

聖バレンタインデーの虐殺(せいバレンタインデーのぎゃくさつ、英: St. Valentine's Day Massacre)とは、1929年2月14日にシカゴで起きたノースサイド・ギャングとサウスサイド・ギャング(後のシカゴ・アウトフィット)との間で起きた抗争事件である。別名、聖バレンタインデーの悲劇、血のバレンタインとも呼ばれる。

犯行はサウスサイド・ギャングのボスであるアル・カポネが指揮していたと言われ、抗争を繰り広げていたバッグズ・モラン率いるノースサイド・ギャングの構成員4人及び一般人3人の計7人が殺害された。

ノースサイド・ギャング

ノースサイド・ギャング(The North Side Gang)とはアメリカ合衆国イリノイ州シカゴに存在した禁酒法時代のギャング。ライバルであるサウスサイド・ギャング(後のシカゴ・アウトフィット)と凄惨な抗争を繰り広げた。この組織はシカゴに存在した他のギャングと同じく、スリ、こそ泥、労働者への圧迫行為等で生計を立てていたマーケット・ストリート・ギャングが源流である。

シカゴ・アウトフィット

シカゴ・アウトフィット(The Chicago Outfit)とは、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴに本拠を置くマフィア組織。別名、The Outfit。かつてはサウスサイド・ギャングと呼ばれており、その歴史は古く1920年代の禁酒法時代以前にまで遡る。ニューヨークのマフィアとの違いは、ニューヨーク・マフィアが5つのファミリーにより分割支配されているのに対し、シカゴ・アウトフィットはシカゴを単独で支配している唯一のマフィア・ファミリーである。イリノイ州を中心にアメリカ中部そしてフロリダ、ラスベガス等にもその影響力は及んでいる。

現在、4人のボスによって共同統治体制がとられていると考えられている。

事件概要

映画「聖バレンタインデーの虐殺・マシンガンシティ」

モラン率いるノースサイド・ギャングとカポネ率いるサウスサイド・ギャングは血で血を洗う抗争を繰り返しており、モランは頻繁にカポネの命を狙っていた。危機を感じたカポネはモラン一味に密造酒の偽取引を持ち掛けて抹殺すべく、カポネと部下のジャック・"マシンガン"・マクガーンにより計画され、サウスサイド・ギャングと協力関係にあったデトロイトに本拠を構えるパープル・ギャングの協力を得て実行された。

マックガーンは暗殺部隊としてカポネの用心棒フレッド・“キラー”・バーク (Fred Burke)、ジョン・スカリーゼ、アルバート・アンセルミ、ジョゼフ・ロロルド、キューウェル兄弟(パープル・ギャングのメンバー)の6人のチームを編成した。

1929年2月14日の午前10時半頃、モランと関係者たちはパープルギャングが強奪したウィスキーを、シカゴ北部のSMC運送会社の倉庫にあるモランの本部に配送することになっていた。モラン組の関係者6人が倉庫に入り、たまたまそこを通りかかった眼鏡屋のラインハルト・シュヴィマーと話をしていると、5人の警察官が倉庫にやってきて全員に壁に並ぶよう命じた。7人は素直に指示に従ったが、実はこの警察官はカポネ側のヒットマンが扮装した偽警察官であり、トンプソン・サブマシンガンとショットガンを取り出して一斉に発砲し彼らを蜂の巣にした。時間はわずか8分ほどで素早く行われた。本物の警察官が現場に駆け付けた時にはフランク・グーゼンバーグのみ生存しており、病院に搬送されたが3時間後に死亡した。

しかし、モランは倉庫に到着するのが数分遅れたため倉庫の前に偽物のパトカーが止まっているのを見て警察の手入れを恐れて、連れのマークスとニューベリーの2人とその場を逃げ出し、事なきを得た。

アル・カポネ

アル・カポネ(英語: Al Capone、1899年1月17日 - 1947年1月25日)は、アメリカのギャング。「カポネ」はイタリア語の発音であり、英語の発音では「カポーン」が近い。

禁酒法時代に、シカゴで高級ホテルを住まい兼事務所にしてそこから組織を指揮し、密造酒製造・販売、売春業、賭博業をして組織を拡大し、犯罪組織を統合近代化していったことで知られている。

身長は179cmで、当時としては大柄であった。顔に傷があったことで「スカーフェイス」というニックネームがあった。しかし、本人はこの呼び名を嫌っていたため、本人の前で呼ぶ者はいなかった。

ジョージ・モラン

ジョージ・クラレンス・"バグズ"・モラン(George Clarence "Bugs" Moran、1893年8月21日 - 1957年2月25日)はシカゴのギャングスターで、ノースサイド・ギャングのリーダー。ライバルであるサウスサイド・ギャング(後のシカゴ・アウトフィット)と凄惨な抗争を繰り返した。

出身はミネソタ州セントポール。本名はアデラード・クニン(Adelard Cinin)といい、父はフランス出身の移民であり、母はカナダ出身だったとされる。厳しい父とは折り合いが悪く、信心深い母が間を取り持っていたという。生涯に2度結婚しており、一人目の妻であるイブリンは彼の暴力的な生きざまについていけずに離婚し、二人目の妻であるルシール(トルコ系アメリカ人)との間に息子を一人儲けた。

出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3

カポネは事件当時はフロリダで事情聴取を受けていた。マックガーン、アンセルミ、スカリーゼは事件後起訴されたが、アリバイを主張して無罪となった。結局、この虐殺の罪では一人も逮捕されなかった。事件後、ノースサイド・ギャングはカポネに対して最早重要な脅威ではなくなり、モランは1957年まで生き永らえた。

この凄惨な事件がマスコミによって大々的に取り上げられると、これまで大衆の人気者だったカポネは一転憎悪の的となり、警察は総力を挙げてカポネ起訴に乗り出すことになる。

パープル・ギャング

パープル・ギャング(The Purple Gang)とはアメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに存在した禁酒法時代のギャング。別名、The Sugar House Gang。1920年代後半にはデトロイト全域を支配するまでの勢力を誇った。

「パープル・ギャング」という名前の由来には複数の説があり、ボクシングをしていたメンバーのパンツが紫色だったという説や、メンバーが「腐敗した(紫色の)肉のような奴ら」と呼ばれていたという説がある。

トンプソン・サブマシンガン

トンプソン・サブマシンガン(Thompson submachine gun)は、アメリカ合衆国で開発された短機関銃である。トムソン銃、シカゴ・タイプライターといった通称を持つことで知られるが、本項ではトミーガンに統一して表記する。「サブマシンガン」という言葉を初めて用いた製品としても知られる。

トミーガンは、禁酒法時代のアメリカ合衆国内において警察とギャングの双方に用いられたことで有名になった。1919年から累計170万挺以上が生産され、今日でも民生用モデルの製造が続けられている。頑丈な構造を持ち、耐久性と信頼性に優れ、5kg近い重量のおかげでフルオート射撃を制御しやすい特性から、世界各国で広く用いられた。

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