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弁慶の立往生は実際に起きた可能性があった…医学的に証明されて話題に!!

武蔵坊弁慶といえば、義経の忠臣として知られます。義経の最期の際には命がけで戦って立往生したのは彼の忠臣さを表すエピソードですが、これが実在した可能性があるというのをご存知でしょうか?今回は医学的根拠からそれらを紹介したいと思います。

更新日: 2019年02月21日

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弁慶の立往生とは?

武蔵坊弁慶は平安末期の日本において、僧として、そして、時には自ら刀を持って戦う僧兵として活躍した人物です。

詳しい両親や出身については、諸説ありますが、その正確な情報はいまだ定かとなってはいません。

というのも、武蔵坊弁慶は母の胎内に約18ヶ月もの間いて、生まれた時にはすでに3歳程度の体格で、髪は伸びきって、歯も生え揃っているという奇妙な姿で生まれたと言われています。

さて、弁慶の逸話の中で有名なものといえば、前述した弁慶の泣き所や弁慶の立ち往生のほかに、弁慶の七つ道具、内弁慶などがありますね。

弁慶の立ち往生は、義経を守るために矢の雨をその全身で受け止め、仁王立ちのまま息絶えたという伝承。 転じて、命を投げうってでも主人を守る忠義に厚い臣下を指す言葉。

追いつめられた義経は衣川の館にこもって最期の時を迎えます。
この時、義経が自害する時間をかせぐために、1人で門の前に立って戦ったのが弁慶でした。

まさに忠義の男と話題ですが、実際にあった可能性があったというのです。

なんと実在した可能性があった!?

立ったまま死ぬ=往生することで、現代では主に、進退に窮した状態を言います。単に「立往生」と言うことも多いです。

弁慶って誰しもが聞いたことがある歴史人物。本当に実在したのでしょうか?

「そんなことあり得ない」という意見では、それぐらい強かったんだという例え話説が多いですね。
強かった弁慶を評価して、異名のようなものでつけられたのかもしれません。

いかにも、弁慶らしい最期だったわけだが、これはまれにしか起こらない事だそうだ。

医学的根拠があった

死後硬直といわれる現象は,ATPの不足によって,筋を構成するアクチンとミオシンとが強く結合して滑らなくなってしまい,硬直複合体であるアクトミオシンを形成することで起こります.

さらには血流途絶により筋肉中で嫌気性解糖が起こって,グリコーゲンが嫌気的に分解されて乳酸が生成されることで筋肉内のpHが低下することも大きな要因です.

死後硬直説
死後硬直により、体が固まって立ったまま死んだという説ですね。

弁慶が何人もの人間と戦って、筋肉内に疲労物質の量が増えている時、矢が刺さるという強い刺激が与えられると、全身の筋肉が瞬間的に痙攣し、強く固まる事はありえる。

つまり、死んですぐに死後硬直が起こり、立った状態のままだったよう。

様々な声が…

弁慶の頭脳についても触れられてますが、京の都から東北へ逃げる時にある関所で弁慶は物凄い活躍をしている。世に有名な勧進帳の逸話ですが、頭脳だけでなく主君を守るための柔軟性と忠義心も光るあの話は好きでござる。

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