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道楽生活さん

▼2018年7月の国土交通省が発表した調査では東京メトロ東西線の通勤通学時間帯の乗車率が、199%でワースト1位を記録

東京メトロ東西線の通勤通学時間帯の乗車率が、今年も199%で1位を記録した。7月17日に国土交通省が発表した調査で判明した。

2位はJR総武線(各駅停車)の197%。そのほか、JR横須賀線(196%)、JR南武線(189%)など11路線で混雑率180%を超えた。

▼ワースト5の常連だった小田急線の混雑率は複々線化の完成によって192%から一気に151%まで低下

これまでワースト5の常連だった小田急線の混雑率が、複々線化の完成によって192%から一気に151%まで低下。

これにより、混雑率180%を上回る路線は1路線減って11路線となった。

混雑率は前年度の3位から23位まで一挙にランクダウン

全国でも有数の混雑路線として知られ、これまで長い間混雑率のワーストランキングではおなじみの存在だった小田急小田原線。

最混雑区間の世田谷代田―下北沢間を含む登戸―代々木上原間約11.7kmの複々線化が今年3月に完成し、朝ラッシュ時の列車本数増加などが実現したことが大幅な混雑率の低下につながった。

複々線化によってピーク時1時間(7時31分~8時31分)あたりの本数が29本から36本に増発され、10両編成の列車が増えたこともあって、1時間あたりの輸送力は3万8347人から4万9416人へと1万人分以上増加。

国交省が継続的に混雑率を調査している「東京圏主要31区間」内での混雑率は前年度の3位から23位まで一挙にランクダウン

▼混雑率の目安

混雑率は、150%は「肩が触れ合う程度で、新聞は楽に読める」程度だが、180%で「折りたたむなど無理をすれば新聞を読める」、200%は「体が触れ合い、相当な圧迫感があるが、週刊誌程度ならなんとか読める」状態になる。

▼昭和30年代から40年代後半の高度経済成長期には、通勤ラッシュの混雑率は300%を超えていた

調査開始以前の昭和30年代から40年代後半の高度経済成長期には、通勤ラッシュの混雑率は300%を超えていたともいう。

当時の新聞を調べてみると、1965(昭和40)年6月7日の読売新聞夕刊に“通勤地獄はマンガだ”というセンセーショナルな見出しが紙面を飾っていた。

東京の新宿駅のあまりにもひどい朝のラッシュを、運輸省(現・国土交通省)の大臣が視察したというニュースなのだが、この大臣が視察後の会見で述べた「あえて“マンガ”だといおう。すさまじいマンガだ」が、この見出しのもととなっている。

添えられた写真には、4、5人の駅係員(いわゆる「押し屋」)が乗客を中央線の上り列車に押し込んでいる様子を運輸大臣が視察する姿を捉えている。

▼当時の記録映像

▼昭和40年代の混雑率300%超えでの通勤 乗客も怪我をするし、クーラーもほとんどなかった

▼昭和40年代の中央線の通勤ラッシュの混雑率は300% 昭和44年には複々線区間が三鷹駅まで延長され混雑緩和に対応

昭和40年代の中央線の主力だった101系電車

第二次大戦後は中央線の輸送力増大が重要な課題となり、1957年に東京駅 - 御茶ノ水駅間および中野駅 - 三鷹駅間の複々線化を決定するも実施に苦慮していたところ、1960年に帝都高速度交通営団から東西線との直通運転の提案を受け、東京 - 御茶ノ水駅間線増に代わるものとした。

引き続き「通勤五方面作戦」が進む中で1966年(昭和41年)に中野駅 - 荻窪駅間の複々線化が完成し、中央緩行線の電車と営団地下鉄東西線(現在の東京メトロ東西線)乗り入れの電車がこの区間に運行されている。

1969年(昭和44年)には複々線区間が三鷹駅まで延長された。

御茶ノ水から三鷹まではオレンジの電車とイエローの電車の複々線となった

▼インドネシアでの通勤風景・・・・ドアは閉まらず屋根にまで人が乗っているのがわかる

ちなみにこの電車は元東急8500系である

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