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この記事は私がまとめました

学校の情報の授業で緒方貞子氏について扱い、そのなかでルワンダ虐殺について掘り下げて調べました。

NGSNさん

ルワンダ虐殺とは

ルワンダ虐殺とは、1994年にアフリカのルワンダで発生したジェノサイドです。ルワンダ国内の部族対立という側面のみで語られることもありますが、その背景には欧米の植民地支配が深く関係していました。
第一次世界大戦後にベルギーが、ドイツ領アフリカの一部を引き継ぐという形でルワンダを植民地化します。その植民地化政策の中で、ベルギーはルワンダに存在するツチ族とフツ族という二つの部族を利用します。少数派のツチ族を支配階級に置き、フツ族を支配させることでベルギーに向けられる不満をツチ族に誘導しようとしたのです。ツチ族による間接支配体制が続いたのち、ルワンダでは1959年にルワンダ革命が発生しツチ族による支配体制が転覆し、民主主義国家となります。そうなると今度迫害を受けるのは少数派でしかもこれまで不満を向けられていたツチ族となります。そしてフツ族の指導者たちもツチ族との対立を煽り立てます。そのような状況が長く続いたのち、1994年、フツ族のハビャリマナ大統領が搭乗した飛行機が首都キガリにて撃墜されます。その事件をフツ族の指導者たちはツチ族の犯行だとして国中にツチ族の殺害を呼びかけました。その後ルワンダでは100日間の間にフツ族系政府と過激派フツ族によってツチ族と穏健派フツ族が50万~100万人ほどが殺害されたとされています。

正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、およそ50万人から100万人の間[2]、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されている。

国際社会は何をしていたか

事件発生当時、国際社会はアフリカで発生した戦争への介入に積極的ではなく、その消極的な姿勢によりより多数の死者が発生しました。ちなみにルワンダでの人道的活動の縮小を意図した安保理決議第912号が可決となった同日に、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、特にゴラジュデ安全地帯の治安維持活動の堅持を決議した安保理決議第913号が可決されています。

私にとって、ルワンダ人の苦境に対する国際社会、とりわけ西側諸国の無関心と冷淡さを悼む行為はまだ始まってもいない。なぜなら、基本的には、非常に兵士らしい言葉遣いで言わせてもらえば、誰もルワンダのことなんか知っちゃいないからだ。正直になろうじゃないか。ルワンダのジェノサイドのことをいまだに覚えている人は何人いる? 第二次世界大戦でのジェノサイドをみなが覚えているのは、全員がそこに関係していたからだ。では、ルワンダのジェノサイドには、実のところ誰が関与していた? 正しく理解している人がいるかどうか分からないが、ルワンダではわずか3ヵ月半の間にユーゴスラヴィア紛争をすべてを合わせたよりも多くの人が殺され、怪我を負い、追放されたんだ。そのユーゴスラヴィアには我々は6万人もの兵士を送り込み、それだけでなく西側世界はすべて集まり、そこに何十億ドルも注ぎ込んで解決策を見出そうと取り組みを続けている。ルワンダの問題を解決するために、正直なところ何が行われただろうか? 誰がルワンダのために嘆き、本当にそこに生き、その結果を生き続けているだろうか?

当時、国連ルワンダ支援団の司令官であったロメオ・ダレール氏が事件後にカナダのテレビ番組で述べた言葉です。

UNHCRの人道支援

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は隣国のザイールに向かって100万人流出したルワンダ難民の支援を行いました。その中で、他の支援団体は「難民の中には虐殺に関与した武装兵士や民兵が紛れ込んでいる」として道義的な問題を理由に次々と撤退していきました。しかし、そのなかでも当時国連難民高等弁務官であった緒方貞子氏は旧戦闘員を区別することなく人道に沿った支援を続けました

私たちの仕事がどれほど容赦ない現実との戦いであり、実践的であり、具体的な結果が求められるかを、私は知っております。また同時に、今日の世界が直面する問題と関わっていることも承知しております。このように、きわめて過酷な現実と、力強い理想主義の組み合わせのなかで活躍しているところに、UNHCRの強みがあります。

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