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日本国有鉄道史 気動車の発展と開発  戦前の気動車のお話 第1話

気動車発達史として、今回から何回かに分けてアップさせていただきます。気動車の歴史を簡単ではございますが、概括していきますので、ご覧いただければ幸いです。翠明期の、工藤式蒸気動車並びに、キハニ5000の画像を追加しました。

更新日: 2019年04月14日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回から何回かに分けて、気動車のお話をさせていただこうと思います。国鉄の気動車は戦後急速な発展を遂げますが、戦前は内燃機の技術も低くて、戦時中の石油事情もありその発展は戦後までまつしかありませんでした。

blackcat_katさん

1)戦前はガソリン動車、戦後はディーゼル動車

戦前の国鉄でも、実は気動車は運用されており、特に地方ローカル線などでは経営の合理化として使われる例がありました。
戦前の気動車としては、大宮の鉄道博物館に保存されている、キハ41000形(キハ04)やキハ07(キハ42500形)が存在しましたが、戦前はディーゼル機関車ではなく、ガソリンエンジンを搭載した気動車が一般的でした。

翠明期
気動車の歴史を振り返るとき、第一号と言えるのは、蒸気動車と呼ばれるものが最初で、湊町~橿原間に運転開始されたものが最初と言われています。
蒸気機関車の小型版のようなもので、ボイラーで発生した蒸気により車輪を駆動するもので、ハンガリーガンツ社製で4両(2両と言う記述もあり、また関西鉄道時代に導入されたようで、その後国鉄で使用)が輸入されたと記録されています。
ただし、ガンツ式は構造が複雑で、当時の日本の技術力では整備しきれなかったとも言われています。
その後汽車会社で、工藤式蒸気動車が開発されます、性能はガンツ式に劣りますが、当時の技術水準には合っていたようで、私鉄の他、鉄道院にも明治45(1912)年、から大正4(1915)年までの間に18両ほど納入されたと記録されています。

地方私鉄でも大正末期から小規模なガソリン動車が誕生し、鉄道省でも、昭和4(1929)年に12両が製造されました。
しかし、10mの車体で2.8m車体幅でありエンジンの出力に対して、重量が過大(19t(公称は15.5t)であり、走行性のも低く成功とは言えませんでした。)
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画像 Wikipediaから

製造後は、姫新線 姫路 - 播磨新宮間や播但線 姫路 - 寺前間等で使用された他、東海道本線 大垣~美濃赤坂~(西濃鉄道)市橋間等で使用されたと記録されています。

鉄道省が採用したガソリン動車。前後はデイゼルエンジンを搭載して、キハ04となりました。【一部エンジンの違いで05となった車両もある】

ディーゼル機関を積んだ気動車は、昭和11年

ディーゼル機関の開発は遅く、試作エンジンが、昭和11年に作られました。
試行錯誤の結果、予燃焼室付きのでエンジンが開発され一応の完成を見るのですが、戦争の激化により開発は中止されてしまいます。
この時試作されたエンジンが戦後の気動車化発展の基礎をつくるDMH17ですが、その辺はもう少し後の話となります。

ルーツは鉄道省及び民間メーカーの協力により1932年(昭和7年)度に設計された定格100馬力の6気筒ガソリンエンジン、GMF13形エンジンである。鉄道省キハ41000形に搭載されたこのエンジンをベースに8気筒化したものがキハ42000形用の150PSガソリンエンジン・GMH17形エンジン(1935年(昭和10年))である。

基本設計は太平洋戦争前に行なわれていたもので、重量の割に出力は十分でなく、設計の古さから燃費や始動性も芳しくなかったが、このエンジンを基軸とした標準化が優先して推進されたことや、DMH17系に代わる軽量で高効率な大出力エンジンがなかなか実用化されなかったこともあり、このエンジンを搭載した気動車は、一般用から特急用に至るまで長期量産されることになり、同時期に新製された私鉄向け気動車にも搭載された。

上記に書かれているように、戦前にはGMF13H形エンジンは。上記の車両に搭載されていました。その後、キハ42000下記画像の車両が開発されました。

九州鉄道記念館に保存されているキハ07
この同型車のガソリンエンジン車が、戦前の桜島線【当時の名称は西成線】で転覆事故を起こし、189名もの犠牲者を出しました。

ルーツは鉄道省及び民間メーカーの協力により1932年(昭和7年)度に設計された定格100馬力の6気筒ガソリンエンジン、GMF13形エンジンである。鉄道省キハ41000形に搭載されたこのエンジンをベースに8気筒化したものがキハ42000形用の150PSガソリンエンジン・GMH17形エンジン(1935年(昭和10年))である。

この時代から、ディーゼルエンジンがガソリンエンジンに比して経済性に勝ることは認知されており、鉄道省でも1935年(昭和10年)頃から気動車用ディーゼル機関の開発が試みられた。1935年以降、GMF13形・GMH17形エンジンと同等スペックのディーゼルエンジン開発が計画され、当時高速ディーゼルエンジン開発に取り組んでいた新潟鐵工所、池貝製作所、三菱造船の各社競作により試作が行われた。各社のエンジンはほぼ同クラスの性能・サイズであったが、燃焼室構造などには差異があり、新潟LH8形、池貝8HSD13形はいずれも渦流室式、三菱8150形は直噴式で、部品の相互互換性は無かった。試作エンジンは当時の標準型機械式気動車に搭載され、試験が繰り返された。

ガソリン車故の悲劇も

なお、昭和15年には西成線(現在の桜島線、安治川口駅)で駅員が列車通過中にポイントを切り替えたため車両が脱線転覆した事故がありました。
これについては、Wikipediaの西成線列車脱線火災事故に詳しく書かれていますので、詳細は省略しますが、概要は下記の通りです。
遅れていたダイヤを復旧させるために、信号掛が分岐器付近を通過中していた列車の位置を十分な確認をしないままポイントを切り替えたため、走行していた3両編成気動車の最後尾1両が、2対のレールにまたがったまま進行することとなり(泣き別れ)、同駅構内の島屋町踏切付近の構築物に衝突して脱線・転覆。何らかの火花などが、これまた運悪く破損していたガソリンタンクから漏れたガソリンに引火、火災が発生して189名が死亡、重軽傷者69名を出した事故です。→ 西成線列車脱線火災事故

google mapでは、ガソリンカー慰霊碑と書かれています。
駅を下りてすぐの駐輪場の近くにあります。

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