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日本国有鉄道史 気動車の発展と開発 天然ガス動車のお話 第2話

今回は、天然ガス動車に特化してまとめさせていただきました。天然ガス動車といえば、タクシー?というイメージですが、千葉や新潟では戦後、天然ガスボンベを車体に積んだ気動車が走った時期がありました。

更新日: 2019年04月14日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回も日本国有鉄道史として、気動車に発展と開発の第2話、天然ガス動車のお話をさせていただこうと思います。天然ガス動車に関しては、資料を中々見つけることが出来ず、手元にある資料だけでまとめております。ご了承願います。

blackcat_katさん

戦後の徒花、天然ガス動車

今回は、戦後一時的に使われた天然ガス動車のお話をさせていただこうと思います。
戦後の一時期、新潟県と千葉県で天然ガスが採取できたことから。
ガソリン不足で休車となっていたキハ42000(後のキハ07)を改造して天然ガスで走れるようにした車両が存在したそうです。

関東地方南部の平野の地下には約250〜40万年前に海底に堆積した上総 (かずさ) 層群と呼ばれる地層が分布しており、この地層の隙間にある地下水 (鹹水 (かんすい) ; 化石海水) には天然ガスが溶けています。この地層から千葉県で生産されている天然ガスは、日本の天然ガス生産量の十数%に当たります。この南関東ガス田に埋蔵されている天然ガスは、国内の天然ガス確認埋蔵量の9割を占めるほど膨大なものです。

天然ガスが噴出する千葉では鉄道の救世主に

そこで、当時の技術資料などを参考にしてみますと、昭和21年頃から天然ガス動車を活用してはどうかという意見があったそうです。
天然ガス動車の技術は昭和10年頃には完成していたそうで、小湊鉄道は昭和16年に内燃気動車(ガソリン車)の天然ガス気動車化の改造を行い戦時中も気動車を運転したと言う記録もあります。
当時の総武線は車両の老朽化が著しく、輸送力が慢性的に不足していたこともあり、千葉区におけるガスカーの導入は待望されたものでした。

1951-01_交通技術から引用
ガソリン動車の約70%のエンジン出力となっていることが理解いただけると思います。
画像をクリックで拡大します。

キハ41200・41300形

キハ41000形のうち、天然ガスの産地であった千葉・新潟地区に配置されていた、キハ41002・41019 - 41021・41033・41034・41053・41056・41060・41077・41088・41127の合計12両について、1948年(昭和23年)よりガソリンに代えて天然ガスを燃料とする天然ガス動車へ改造し、区分のためキハ41200形(キハ41200 - 41211)という新形式となった。

この天然ガス動車はガソリン使用時の約80%に出力低下したものの、始動不良やエンジン損傷などの問題は、木炭ガス発生装置など他の代替燃料車に比べれば良好であった。

しかし天然ガス動車は、ガスが燃料としては高価であったことや、ガス充填の手間がかかること、ガス爆発のリスクなどの問題を抱えており、その後の機関老朽化とディーゼル機関の実用化、燃料統制の解除によって役割を終えることになる

天然ガス動車の問題点

当時の資料などを参考に調べてみますと。
天然ガス動車の運転開始は概ね昭和23年頃であり、昭和27年にはDMH17エンジンに換装されて消滅しています。
天然ガス動車は、ガソリンエンジンを使う気動車と比べれば割安でしたが、
1)出力は、ガソリン機関と比べて、85%程度の出力
2)床下にボンベを搭載しなくてはならず、重量面でも不利
といった問題点がありました。

1950-05_交通技術から引用
機関車、ガソリン気動車、天然ガス動車、デイゼル気動車の比較が出ています。

当時の石油事情に振り回された、天然ガス動車

また、天然ガス動車は、ガソリンエンジンの気動車と比べても割高という問題もありましたが、ディーゼルエンジンの軽油+天然ガスで走らせる、混合型にしますと、ガソリン車よりも安く出来るようになったそうで、本格的な天然ガス動車の発展が期待されたのですが、軽油の供給が安定したこともあり結局、天然ガス動車はその使命を終えて消えて行きました。

なお、天然ガス動車では、キハ41000(後のキハ04)では、ボンベを8本、キハ42000(後のキハ07))では、12本~16本を床下に搭載していたそうで、ボンベ1本あたり10㎞~12㎞でしたので、キハ42000で、120 km~144 km、空ボンベを一本一本取り替える方式でしたが、その後は親ボンベから充填する方式に、昭和25年時点ではガス会社に引き込み栓を、設けて直接ガス会社で充てんする方式に変更したと記述があります。
その後は、
なお、ボンベ1本あたり10 km~12㎞程度しか走れず、120 km~144㎞程度であり、当初は終着駅でボンベを積み替える作業が伴っていたそうですが、その後はガス会社に直接引き込み線を伸ばして、直接ボンベに充填する方式に変更されたそうです。

して、充填操作につき一言すると従来はボンべを、キハ
41000型で8本、キハ42000型では12~16本をつんで終点でこれら空ボンベを一々取かえで非常な手数であ
ったが、其の後200気圧の親ボンべから移充填の方式に変わり、更に現在では新潟、千葉ともガスの会社に引込線
を設け、ここへ動車を入れて圧縮磯により押し込む方式へと進歩し充填時間の節約をはかっでいる。

天然ガス動車は、新潟・千葉県の一部でのみ運転された

終戦直後、ガソリンは統制品として自由に輸入できず、
1952年に石油製品の価格および配給の両統制は撤廃され、石油は為替管理を除いては自由販売となったとなっており、実際昭和25年頃には天然ガス動車は、その数を減らしていくことになります。

天然ガス動車は千葉と新潟だけで運転された。
天然ガス動車は、千葉と新潟地域だけで運転されました、その理由はいずれの地域も天然ガス田があり、自給できることが大きかったと言われています。
古い資料を参照しますと、最初にガス動車が運転されたのが、昭和16年5月に木原線で運転開始されたのが最初だそうです。
戦後は、昭和22年3月10日から木原線で再び運転開始されたと記録されています。

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