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【完全版】 世界最高FWの歴史      日本人が知らない怪物たち。

世界のサッカー史で、「その時代、一番、凄かったストライカー」を時代順に紹介して行きます。

更新日: 2019年10月13日

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この記事は私がまとめました

世界のサッカーで、最も優秀だったストライカーを時代ごとに紹介します。

rulliさん

以上、【ペレ、豆知識】でした。

ペレは、16才でデビューし、
プロ1年目から得点王になるなんて、
本当に「天才」ですね。
日本人はTBSの『消えた天才』とかいうバカ番組を
見て生きているので、本当の天才を知らない。
だから頭のとてもおかしい民族だと思います。
本当の天才は、プロ1年目で得点王、
プロ2年目、17才で
(日本だと高校3年生、初夏)、
W杯を主役で優勝してます。

ペレは、メッシというW杯優勝できない凡才とは、
違いますね。
その後、ペレはプロ・デビュー1年目から
「9年連続、得点王」の記録を作りました。
やっぱり、メッシとは格が大きく違いますね。

日本人と言うのは、本当に特殊な民族で、
他のまとめサイト、日本のサッカー雑誌、テレビでも、
「ペレ以降」(1960年頃)からしか歴史を語らず、紹介もしません。
白黒写真、白黒映像を見ると「低レベル、関心を持たなくていい」と、全否定にかかる、
頭のおかしい民族です。
そんなバカな日本人に歴史を紹介したいと思いました。
昔、養老孟司という解剖学者が「バカの壁」という本を出版し、ベスト・セラーになりました。
「バカの壁」とは、「最初から理解する必要はないと決め、無関心で、拒否的態度を取る」
事だそうです。
まさに日本人は、「白黒テレビ時代のサッカー」に対し、
強固な「バカの壁」を、「脳内」、「心」に築いています。
私が、今回、それを破壊できたなら、幸いです。

ページ数が増加した為、シャーロシ(Sárosi)とサンフィリッポ(Sanfilippo)以外は、
「各まとめサイト・ページ」をほぼ全部作りました。だから、選手の名前を検索すれば、
わざわざページに行かなくて簡単に見つけられるのではと思います。
(見つからない場合もあるかもしれません。その時は、すいません)。
お手数ですが、シャーロシ とサンフィリッポを読みたい方は、
そのぺージまで行って下さい。


【目次】

【1930年代 前半】

1位 Giuseppe Meazza [伊]
2位 Bernabé Ferreyra [アルゼンチン]
3位 Francisco Varallo  [アルゼンチン]
4位 Matthias Sindelar [オーストリア]
5位 Hughie Gallacher [スコットランド]
6位 Jimmy  McGrory  [スコットランド]
7位 Dexie Dean    [英]

【特別紹介】
Guillermo  Stabile [アルゼンチン]


【1930年代 後半】(ページ 4辺り)

1位 Arsenio Erico   [パラグアイ]
2位 Leonidas      [ブラジル]
3位 Sárosi György   [ハンガリー]
4位 Franz Binder   [オーストリア]
5位 Zsengellér Gyula [ハンガリー]
6位 Silvio Piola    [伊]
7位 Teodoro ”Lolo”  Fernández [ペルー]


【1940年代 前半】(ページ 6辺り)

1位 Isidoro Langara  [スペイン]
2位 Josef Bican    [オーストリア/チェコスロバキア]
3位 Atilio García   [アルゼンチン]


【1940年代 後半】(ページ 8辺り)

1位 Alfredo Di Stefano   [アルゼンチン]
2位 Ademir de Menezes [ブラジル]
3位 Deák Ferenc     [ハンガリー]
4位 Telmo Zarra       [スペイン]
5位 Szusza Ferenc    [ハンガリー]


【1950年代 前半】(ページ 9辺り)

1位 Gunnar Nordahl [スウェーデン]
2位 Kocsis  Sándor   [ハンガリー]
3位 Baltazar      [ブラジル]


【1950年代 後半】(ページ 10辺り)

1位 Puskás Ferenc  [ハンガリー]
2位 Just Fontaine  [フランス]
3位 José Sanfilippo  [アルゼンチン]
4位 Uwe Seeler   [ドイツ]
5位 Quarentinha   [ブラジル] 


【特別紹介】

 Dida [ブラジル]

6位 John Charles [ウェールズ]


【1960年代 前半】  (ページ 13辺り)

1位 Jimmy Greaves [英]
2位 Albert Flórián  [ハンガリー]
3位 Tichy Lajos   [ハンガリー]
4位 José  Altafini   [ブラジル]
5位 Denis Law    [スコットランド]

【特別紹介】
Pele [ブラジル]


【1960年代 後半】  (ページ 13辺り)

1位 Eusebio     [ポルトガル]
2位 Bene Ferenc  [ハンガリー]
3位 Luis Artime  [アルゼンチン]
4位 Luigi Riva   [伊]
5位 Alberto Spencer [エクアドル]

【1970年代 前半】  (ページ 15辺り)

1位 Gerd Müller    [ドイツ]
2位 Fernando Morena [ウルグアイ]
3位 Jupp Heynckes   [ドイツ]


【1970年代 後半】  (ページ 15辺り)

1位 Mario Kempes   [アルゼンチン]
2位 Roberto Dinamite [ブラジル]
3位 Hans  Krankl    [オーストリア]


【1980年代 前半】(ページ 15辺り)

1位 Karl- Heinz Rummenigge [ドイツ]
2位 Preben Elkjær       [デンマーク]
3位 Quini [西]


【1980年代 後半】

1位 Marco van Basten [オランダ]
2位 Hugo  Sanchez   [メキシコ]


【1990年代 前半】

1位 Romario       [ブラジル]
2位 Alan Shearer    [英]
3位 Bebeto       [ブラジル]
4位 Jürgen Klinsmann [ドイツ]


【1990年代 後半】  (ページ 16辺り)

1位 Ronaldo Nzario  [ブラジル]
2位 Gabriel Batistuta  [アルゼンチン]
3位 Raul Gonzalez   [西]


【2000年代 前半】

1位 Thierry Henry      [フランス]
2位 Andriy Shevchenko  [ウクライナ]
3位 Ruud van Nistelrooy [オランダ]


【2000年代 後半】  (ページ 17辺り)

1位 Samuel Eto'o  [カメルーン]
2位 Didier Drogba  [コートジボワール]


【2010年代 前半】

1位 Lionel Messi     [アルゼンチン]
2位 Zlatan Ibrahimovic [スウェーデン]


【2010年代 後半】

1位 Cristiano Ronaldo [ポルトガル]

【本編開始】

「キャプテン翼」の悪影響か、世界で一番、「10番」、「10番」うるさい日本人に、「9番」(センターフォワード)の歴史と魅力を教えたいと思いました。

9番(センターフォワード)を
中心に紹介しています。
しかし、CFでないが、ウィングなどで、
「CFより高い得点能力」を持つFWが居るので、
その場合は、そちらの選手を紹介してます。

インテル時代、同じチームの
ホナウド・ナザリオに9番を取られたサモちゃんの
悲哀。分かるかな~。

日本のサッカー誌とテレビ局はバカなので、こういう歴史は紹介しません。だから、私が日本人を教育したいと思いました。          日本人の「知識レベル」を上げたいです。

サッカー史で、各時代の『世界最高ストライカー』を紹介します  世界では、1930年頃にプロ化した国が多いので、         この時期から紹介します(5年区切りで紹介しています)。

1910年、イタリア生まれ。    

【所属クラブ】
1927-40  インテル・ミラノ  348試合 241得点

セリエA 
  優勝  3回(1930、38、40)
  得点王 3回(1930、36、38)

 「リーグ史上、最年少得点王 19才と317日」の記録を持つ
 (2019年、現在)


ミトローパ・カップ 得点王 最多 3回(1930、33、36)


【イタリア代表】 
1930―1939  53試合33得点

「W杯1934、MVP」

彼は、イタリア代表が
W杯2連覇(1934、1938)した時の主力FW。

現在でも、「イタリア史上最高の選手」と評価されている。

評論家は
「メアッツァは身長169センチと小柄であったが、
ジャンプするタイミングが素晴らしく、彼より背の高い
相手にも競り勝ち、ヘディングで数多くのゴールを決めた」
と説明している。

メアッツァは17才で、プロ・デビューし
19才でリーグ得点王になった。
(89年経つが、未だに史上最年少得点王)
[2019年現在]

1930年、彼は、19才でイタリア代表デビューした。
初戦、スイス戦で2得点した(4-2で勝利)。

彼は、同年、代表4試合目、
「中欧カップ、強豪ハンガリー戦」で
敵地でハットトリック達成した。
5-0、歴史的大勝の「立役者」となった。

彼は、10代で才能が開花していた。

W杯1934で優勝し、23才で「大会MVP」に選ばれた。

彼はドリブルが得意で
テクニックと創造性で勝負するFWだった。


ビットーリオ・ポッツォ(1930年代、イタリア代表監督)は、
「メアッツァは生まれながらのストライカーだった。
また彼は状況を把握し、試合の流れを読むのが得意だった。
彼は技術志向の試合の進め方で、
攻撃全体を機能させる事ができる選手だった」
と説明している。

写真、左が メアッツァ。

イタリアは、ギリシアに4-0で勝利した。
この試合、メアッツァは2得点した。

イタリアは「W杯、本大会出場」を決めた。

イタリアは「W杯地元開催」なのに、
W杯予選を戦ったんですよ。

負けたらどうすんだ? と思いますね。

イタリアは「1試合だけ、W杯予選」を
ミラノで戦いました。
ホームでこのギリシア戦だけ、試合しました。
1発勝負でした。

初期のW杯は、やっている事が厳しくて笑えます。

写真、左が、メアッツァ。

メアッツァはCFだったが、この大会、右サイド
のポジションを命じられ、見事にこなした。
準々決勝スペイン戦では、
ヘディングで決勝ゴールを挙げた(1-0で勝利)

イタリア代表は準決勝も オーストリアに
1-0で勝利し、決勝進出を決めた。

決勝戦は、チェコスロバキアを2-1で下し、
「W杯、初優勝」を成し遂げた。

メアッツァは、「大会MVP」に選ばれた。
W杯1934では、2得点(5試合)した。

写真、中央、背広姿の男性が、
名将、ビットーリオ・ポッツォ監督。

ポッツォ監督は、4年後のW杯も監督を務め、
大会2連覇を達成した。

写真、右が メアッツァ。
   左が MF、マルチン(ブラジル代表)。


メアッツァは、W杯1938にも優勝し、
見事、「W杯2連覇」を果たした。


W杯1934は、地元イタリア独裁政権が
審判買収し、優勝した。
しかし、4年後のW杯1938は
「疑惑なしで優勝」した。
だから、彼の実力は本物である。

写真、左が、メアッツァ。

後半15分、
メアッツァが、イタリア2点目のゴールを
PKで決めた。

イタリアは、ブラジルを2-1で下し、
決勝進出を決めた。


この後、イタリアは、
決勝でハンガリーを4-2で下し、
見事、W杯2連覇を果たした。


メアッツァはW杯直前の1938シーズン、
「セリエA得点王」になり好調だったが
W杯では準決勝、ブラジル戦のPKでの得点、
1点のみに終わった。
この大会も彼はサイドのポジションを務め、
CFのシルビオ・ピオラのアシスト役に回った
(ピオラは活躍し、5得点を挙げた)。

写真、右が メアッツァ。

メアッツァは、全国リーグとなった
「セリエAリーグ創設、初年度」に
得点王に輝いた。
まだ19才だった。
31得点(33試合)を挙げ、
断トツで得点王になった。

2位は、ロドルフォ・ボルク(ローマ)21点。
3位は、2人。
アントニオ・ボヤク(ナポリ)
ブルーノ・マイーニ(ボローニャ)で
20得点だった。

メアッツァは「ミトローパ・カップ」で
得点王、最多 3回。
得点王回数は、フェレンツバーロシュ[HUN] の
シャーロシ・ジェルジと並び最多。

「通算得点、歴代2位 29得点(27試合)」
(1930年代後半、シャーロシに抜かれるまで
1位だった)

写真、右が メアッツァ。

現在、インテルのホーム・スタジアムは、
なんと彼の名前がスタジアム名である。
名称は「スタディオ・ジュゼッペ・メァッツァ」。
それぐらい死後も讃えられている。

「ミトローパ・カップ」とは、
中央ヨーロッパ各国のリーグ戦上位チームが参加し、最強チームを決める大会である。
現在の欧州CLに近い国際大会であった。
オーストリア、イタリア、チェコスロバキア、
ハンガリー等、1930年代の強豪国クラブ・チームが参加した。
この大会でメアッツァは大活躍した。
しかしインテルは一度も優勝できなかった
(最高成績は、1933年の準優勝)。

1909年、アルゼンチン生まれ。

【主な所属クラブ】

1932-1939  リーベルプレート 
               185試合187得点

アルゼンチン・リーグ 優勝 3回
(1932、36、37)

アルゼンチン・リーグ 得点王 1回(1932)


「得点率が、1試合1得点を上回って」現役生活を
終えた、歴史的名選手。

1931年に、アルゼンチン・リーグがプロ化した時の最初の大スター。

【アルゼンチン代表】
1930ー1937  4試合1得点

コパ・アメリカ1937  優勝

1932年に、CAティグレから、リーベルプレートへ
「世界最高額」で、移籍した
(35000ペソ [当時23000ポンド])。

この移籍金額は、当時、破格で、
この後、世界で20年も破られなかった。
彼の移籍をきっかけに、リーベルプレートは
「ミジョナリオス」(大富豪)
という愛称で呼ばれるようになった。

フェレイラは、移籍1年目、44得点(33試合)を挙げ、
得点王に輝いた。チームは優勝した。

彼は、未だに
「アルゼンチン・リーグ通算得点の史上最高『得点率』、1.04」
を持っている(185試合187得点)。

彼が引退して、80年経つが(2019年現在)、
誰も破れない。

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