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【完全版】 世界最高FWの歴史      日本人が知らない怪物たち。

世界のサッカー史で、「その時代、一番、凄かったストライカー」を時代順に紹介して行きます。

更新日: 2019年04月22日

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この記事は私がまとめました

世界のサッカーで、最も優秀だったストライカーを時代ごとに紹介します。

rulliさん

以上、【ペレ、豆知識】でした。

プロ1年目、16才でデビューして、
1年目から得点王になるなんて、
本当にペレは「天才」ですね。
日本人はTBSの『消えた天才』とかいうバカ番組を
見て生きているので、本当の天才を知らない。
だから頭のとてもおかしい民族だと思います。
本当の天才は、プロ1年目で得点王で、
プロ2年目、17才(日本だと高校2年生)、
でW杯を主役で優勝してます。

ペレは、メッシというW杯優勝できない凡才とは、
違いますね。
その後、ペレはプロ・デビュー1年目から
「9年連続、得点王」の記録を作りました。
やっぱり、メッシとは格が大きく違いますね。

【目次】

【1930年代 前半】

1位 Giuseppe Meazza [伊]
2位 Bernabé Ferreyra [アルゼンチン]
3位 Francisco Varallo [アルゼンチン]
4位 Matthias Sindelar [オーストリア]
5位 Hughie Gallacher [スコットランド]
6位 Jimmy  McGrory [スコットランド]
7位 Takács Jozef [ハンガリー]
8位 Dexie Dean [英]

【特別紹介】
Guillermo  Stabile [アルゼンチン]


【1930年代 後半】(ページ 4辺り)

1位 Arsenio Erico [パラグアイ]
2位 Leonidas    [ブラジル]
3位 Sárosi György [ハンガリー]
4位 Franz Binder  [オーストリア]
5位 Zsengellér Gyula [ハンガリー]
6位 Silvio Piola [伊]
7位 Teodoro ”Lolo”  Fernández [ペルー]
8位 Teleco     [ブラジル]


【1940年代 前半】(ページ 7辺り)

1位 Isidoro Langara [スペイン]
2位 Josef Bican  [オーストリア/チェコスロバキア]
3位 Atilio García  [アルゼンチン]
4位 Sylvio Pirillo   [ブラジル]


【1940年代 後半】(ページ 8辺り)

1位 Alfredo Di Stefano [アルゼンチン]
2位 Ademir de Menezes [ブラジル]
3位 Deák Ferenc    [ハンガリー]
4位 Telmo Zarra     [スペイン]
5位 Szusza Ferenc   [ハンガリー]
6位 Tesourinha     [ブラジル]
7位 Carlitos       [ブラジル]


【1950年代 前半】(ページ 10辺り)

1位 Gunnar Nordahl [スウェーデン]
2位 Sándor Kocsis [ハンガリー]
3位 Baltazar     [ブラジル]
4位 Claudio     [ブラジル]


【1950年代 後半】(ページ 12辺り)

1位 Puskás Ferenc [ハンガリー]
2位 Just Fontaine  [フランス]
3位 José Sanfilippo [アルゼンチン]
4位 Uwe Seeler   [ドイツ]
5位 Quarentinha   [ブラジル] 

【特別紹介】

 Dida [ブラジル]

6位 John Charles [ウェールズ]


【1960年代 前半】  (ページ 15辺り)

1位 Jimmy Greaves [英]
2位 Albert Flórián  [ハンガリー]
3位 Tichy Lajos   [ハンガリー]
4位 José Altafini   [ブラジル]
5位 Denis Law   [スコットランド]

【特別紹介】
Pele [ブラジル]


【1960年代 後半】  (ページ 15辺り)

1位 Eusebio    [ポルトガル]
2位 Bene Ferenc [ハンガリー]
3位 Luis Artime  [アルゼンチン]
4位 Luigi Riva   [伊]


【1970年代 前半】  (ページ 17辺り)

1位 Gerd Müller    [ドイツ]
2位 Fernando Morena [ウルグアイ]
3位 Jupp Heynckes  [ドイツ]

【1970年代 後半】  (ページ 17辺り)

1位 Mario Kempes   [アルゼンチン]
2位 Roberto Dinamite [ブラジル]
3位 Hans  Krankl   [オーストリア]


【1980年代 前半】(ページ 17辺り)

1位 Karl- Heinz Rummenigge [ドイツ]
2位 Preben Elkjær      [デンマーク]
3位 Quini [西]


【1980年代 後半】

1位 Marco van Basten [オランダ]
2位 Hugo  Sanchez   [メキシコ]


【1990年代 前半】

1位 Romario      [ブラジル]
2位 Alan Shearer   [英]
3位 Bebeto       [ブラジル]
4位 Jürgen Klinsmann [ドイツ]


【1990年代 後半】  (ページ 18辺り)

1位 Ronaldo Nzario  [ブラジル]
2位 Gabriel Batistuta [アルゼンチン]
3位 Raul Gonzalez   [西]


【2000年代 前半】

1位 Thierry Henry    [フランス]
2位 Andriy Shevchenko  [ウクライナ]
3位 Ruud van Nistelrooy [オランダ]


【2000年代 後半】  (ページ 19辺り)

1位 Samuel Eto'o  [カメルーン]
2位 Didier Drogba [コートジボワール]


【2010年代 前半】

1位 Lionel Messi    [アルゼンチン]
2位 Zlatan Ibrahimovic [スウェーデン]


【2010年代 後半】

1位 Cristiano Ronaldo [ポルトガル]

【本編開始】

「キャプテン翼」の悪影響か、世界で一番、「10番」、「10番」うるさい日本人に、「9番」(センターフォワード)の歴史と魅力を教えたいと思いました。

9番(センターフォワード)を中心に紹介しています。
しかし、CFでないが、ウィングなどで、
「CFより高い得点能力」を持つFWが居るので、
その場合は、そちらの選手を紹介してます。

同じチームの
ロナウド・ナザリオに9番を取られたサモちゃんの
悲哀。分かるかな~。

日本のサッカー誌とテレビ局はバカなので、こういう歴史は紹介しません。だから、私が日本人を教育したいと思いました。          日本人の「知識レベル」を上げたいです。

サッカー史で、各時代の『世界最高ストライカー』を紹介します  (5年区切りで紹介しています)。世界では、1930年頃にプロ化した国が多いので、この時期から紹介します。

1910年、イタリア生まれ。    

【主な所属クラブ】
1927年-1940年  インテル・ミラノ  348試合、241得点

セリエA 優勝   3回(1930、1938、1940)
     得点王   3回(1930、1936、1938)

ミトローパ・カップ得点王 最多 3回(1930、1933、1936)


【イタリア代表】 
1930年―1939年  53試合33得点

「W杯1934、MVP」受賞。

彼は、イタリア代表がW杯1934、W杯1938、「大会2連覇」した時の
主力FW。

現在でも、「イタリア史上最高の選手」と評価されている。

イタリア代表での、メアッツァ。


評論家はメアッツァについて
「メアッツァは身長169センチと小柄であったが、
ジャンプするタイミングが素晴らしく、彼より背の高い
相手にも競り勝ち、ヘディングで数多くのゴールを決めた」
と説明している。


メアッツァは17才でインテルでデビューし
1930年、19才でイタリア代表デビューした。
デビュー戦のスイス戦で2得点した(4-2で勝利)。
彼は、代表4試合目で、強豪ハンガリーと対戦して
敵地でハットトリックし、5-0で勝利した。
イタリアが歴史的大勝をした「立役者」となった。
彼は若くして才能が開花していたタイプだった。

W杯1934では、「大会MVP」に選ばれた。

彼はテクニックと創造性で勝負するFWだった。

ドリブルが得意なFWであった。

ビットーリオ・ポッツォ(1930年代、イタリア代表監督)は、
「メアッツァは生まれながらのストライカーだった。
そして彼は状況を把握し、試合の流れを読む事ができた。
彼は技術志向の試合の進め方で、攻撃全体を機能させる事ができる
選手だった」
と説明している。

イタリアは、ギリシアに4-0で勝利した。
この試合、メアッツァは2得点した。

イタリアは「W杯、本大会出場」を決めた。

イタリアは地元開催なのに、
W杯予選を戦ったんですよ。

負けたらどうすんだ? と思いますね。

イタリアは「1試合だけ、W杯予選」を
ミラノで戦いました。
ホームでこのギリシア戦だけ、試合しました。
1発勝負でした。

初期のW杯は、やっている事が厳しくて笑えます。

写真、左が、メアッツァ。

メアッツァはCFだったが、この大会、右ウィング
のポジションを命じられ、見事にこなした。
準々決勝スペイン戦では、
ヘディングで決勝ゴールを挙げた(1-0で勝利)

イタリア代表は準決勝で オーストリアに
1-0で勝利して、決勝進出を決めた。

決勝戦もチェコスロバキアを2-1で下して、
「W杯、初優勝」を成し遂げた。

メアッツァは、「大会MVP」に選ばれた。
W杯1934では、2得点(5試合)した。

写真、中央、背広姿の男性が、
名将、ビットーリオ・ポッツォ監督。

ポッツォ監督は、4年後のW杯も監督を務め、
大会2連覇を達成した。

写真、左が、メアッツァ。

後半15分、メアッツァが、イタリア2点目の
ゴールを、PKで決めた。

イタリアは、ブラジルを2-1で下して、
決勝進出を決めた。


この後、イタリアは、決勝でハンガリーを4-2で
下して、見事、W杯2連覇を果たした。


メアッツァはW杯直前の1938シーズン、
「セリエA得点王」になり好調だったが、
W杯では準決勝、ブラジル戦のPKでの得点、
1点のみに終わった。
この大会も彼はサイドのポジションを務め、
CFのシルビオ・ピオラのアシスト役に回った
(ピオラは活躍し、5得点した)。

写真、右が、メアッツァ。

メアッツァはインテル時代、
「ミトローパ・カップで3回も得点王」になった
(得点王回数は、フェレンツバーロシュ[HUN] の
シャーロシ・ジェルジと並び最多)。

「ミトローパ・カップ」とは、
中央ヨーロッパ各国のリーグ戦上位チームが参加し、最強チームを決める大会である。
現在の欧州CLに近い国際大会であった。
オーストリア、イタリア、チェコスロバキア、
ハンガリー等、1930年代の強豪国クラブ・チームが参加した。
この大会でメアッツァは得点王に3回なり
大活躍した。
しかしインテルは一度も優勝できなかった
(最高成績は、1933年の準優勝)。

現在、インテルのホーム・スタジアムは、
なんと彼の名前がスタジアム名になっている。
名称は「スタディオ・ジュゼッペ・メァッツァ」。
それぐらい死後も讃えられている。

W杯1934優勝は、地元イタリア独裁政権が、
審判買収して達成した為、
メアッツァの実力は怪しいと思うかも知れない。
しかし、彼は本物である。

彼は4年後のW杯1938は
「疑惑なしで優勝」した。
また彼はインテルで大活躍しており
ミトローパ・カップでは
「得点王、3回」(最多)、
「通算得点、歴代2位 29得点(27試合)」
である。
(1930年代後半、シャーロシに抜かれるまで
1位だった)

1909年、アルゼンチン生まれ。

【主な所属クラブ】

1932-1939  リーベルプレート 
               185試合187得点

アルゼンチン・リーグ 優勝 3回
(1932、1936、1937)

アルゼンチン・リーグ 得点王 1回(1932)


「得点率が、1試合1得点を上回って」現役生活を
終えた、歴史的名選手。

1931年に、アルゼンチン・リーグがプロ化した時の最初の大スター。

【アルゼンチン代表】
1930ー1937  4試合1得点

コパ・アメリカ1937  優勝

1932年に、CAティグレから、リーベルプレートへ世界最高移籍額で、移籍した(35000ペソ[当時23000ポンド])。

この移籍金額は、当時、破格で、
この後、世界で20年も破られなかった。
彼の移籍をきっかけに、リーベルプレートは
「ミジョナリオス」(大富豪)という愛称で呼ばれるようになった。

フェレイラは、移籍1年目、43得点を挙げて、得点王になった。
チームは優勝した。

彼は、未だに
「アルゼンチン・リーグ通算得点の史上最高、得点率 1.04」
を持っている(185試合187得点)。

彼が引退して、80年経つが(2019年現在)、
誰も破れない。

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