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【あの時君は若かった】加藤一二三九段は、まぎれもない将棋の神童だった(写真・動画紹介)

愛くるしいひふみんですが、誰もが恐れる将棋の神童でした。いまのバラエティに出ている姿ではないりりしいお姿をお届けします。

更新日: 2019年03月04日

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orihoanさん

加藤一二三(かとうひふみ) 九段

棋士番号64
生年月日1940年1月1日(79歳)
出身地福岡県嘉麻市
師匠(故)剱持松二九段

ひふみん△!/名人経験者でストレート昇級は加藤一二三・九段のみ(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190304-… @YahooNewsTopics

将棋が趣味の方にいくつかいいね頂いたので更に言及すると、羽海野先生が3月のライオンを構想したのが今から12年前でその頃はひふみんこと加藤一二三さんや藤井七段も今ほど広く認知されてなかったように思う。私も正直作品を見るまで将棋は頭のいい人たちの世界だなと思ってた。

pic.twitter.com/iLrY6KuqNG 加藤一二三(1940~) 将棋棋士。史上初の中学生プロ棋士。名人をはじめ数々のタイトルを獲得。棒銀や矢倉の定跡の発展に大きく寄与し、「加藤流」という戦法は数多い。「神武以来の天才」「ひふみん」の愛称で親しまれる。 #天才列伝

憂鬱な月曜日の朝を吹き飛ばす「天国将棋・吉本新喜劇将棋部による将点」 米長先生生き返って欲しい 【神回】加藤一二三、米長邦雄、羽生善治による将棋漫才!この豪華すぎるキャスティングは反則だろ!? youtu.be/KtZSIiDHyyw @YouTubeさんから

活躍を知らない人にはおもしろいおじいちゃんに見えていますが、日本の宝・異彩の天才です。

netallica.yahoo.co.jp/news/20190303-… みんな、将棋プロ棋士「加藤一二三」を知らないんだよな ただのかわったオモロイ人では、語れないのよ

「神武以来(じんむこのかた)の天才」・「1分将棋の神様」の異名を持つ。

加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年1月1日 - )は将棋棋士。

実力制6人目の名人。剱持松二九段門下(当初は南口繁一九段門下)。棋士番号は64。2017年6月20日に現役を引退した。福岡県嘉麻市出身、同市の名誉市民。仙台白百合女子大学客員教授(2017年6月23日 - )。

戦前生まれの名人経験者最後の存命者である。「神武以来(じんむこのかた)の天才」・「1分将棋の神様」の異名を持つ。

最高齢現役(2017年6月20日引退)、最高齢勝利、最高齢対局、現役勤続年数、通算対局数、通算敗戦数は歴代1位であり、1950年代、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代の各年代で順位戦最高峰A級に在籍したことがある唯一の棋士である

14才7か月でプロになる。

1940年1月1日、福岡県嘉穂郡稲築村(現・嘉麻市)で生まれた。カトリック信者であり、1986年にローマ教皇庁から聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章している。紫綬褒章(2000年春。嘉麻市名誉市民(2016年)。旭日小綬章

京都府立木津高等学校卒業、早稲田大学第二文学部中退。
「一二三」という名前の由来は「一月一日(紀元二千六百年)に生まれた三男。青年棋士時代、他の棋士からの愛称は「一二三」の「一」にちなむ「ピンさん」であり、加藤はこの愛称を気に入っていた。中年時代のあだなは「ベア(熊)」。

2017年現在、幅広い層から「ひふみん」の愛称で親しまれている。また自身の洗礼名にちなんだ「パウロ先生」という愛称もある

14歳7か月で当時の史上最年少棋士(62年後の2016年に藤井聡太が更新)・史上初の中学生棋士となった。

棋風

半世紀にわたる棋士人生を通して居飛車党を貫き、数々の定跡の発展に貢献してきた。また、よいと思った戦型はひたすら採用し続ける傾向にある。羽生善治は「作戦が立てやすいことは立てやすいが、100%同じ戦法で来るとなると不気味でもある。一つの戦法を突き詰めていくのも一つの生き方だし、一局一局が確実に次への知識になる。悪いことばかりでもないようだが、作戦が読まれて相手の研究にはまる危険性を考えると現実にそういう人はほとんどいない。だが加藤先生は全然恐れておられないようだ」と書いている(羽生善治「羽生善治 好機の視点」小学館文庫、初出は月刊将棋マガジン)。

特に「加藤棒銀」と呼ばれるほど棒銀戦法の採用率が高いことが有名で、四間飛車に対して居飛車穴熊が流行してもなお、棒銀で挑み続けている。また、相居飛車の一つである角換わりの将棋においても、棒銀を採用する傾向にある(一般的には棒銀よりも腰掛け銀を採用する棋士が多い)。また、矢倉▲3七銀戦法や、中飛車に対する袖飛車からの急戦は「加藤流」と呼ばれ、多くの棋士が採用している。

対振り飛車戦の居飛車では、特に大山康晴との戦いの経験を生かして作り上げた居飛車舟囲い急戦の各種の定跡において、加藤の創案が多い。対三間飛車急戦も、加藤の創案した仕掛けが多い。基本的に振り飛車には急戦で立ち向かうが、1980年に居飛車穴熊を主に対大山戦で数局ほど採用したことがある。

ひねり飛車や横歩取り3三桂のような空中戦も得意としており、後者は一時期後手番でも採用したことがある。さらにその後は、後手番では矢倉中飛車を多用した。

一流として必要なことを「行き詰まりの打開」と答えている。30代の時に行き詰まりを経験したが、「精神的な力を得て」それを克服することでその後に繋がったという。

とにかく強かった加藤一二三名人

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