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日本国有鉄道史 気動車の発展と開発 液体式気動車の苦悩 第4話

今回は、本格的な液体式気動車の開発が始まり、量産が開始される頃の前後のお話をさせていただこうと思います。安定までには色々な失敗もあったようです。

更新日: 2019年04月14日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回は液体式気動車誕生時のお話しを中心にさせていただきました。比較検討の結果、国鉄では液体式が採用されることとなり、キハ450000から増備が開始されました。

blackcat_katさん

国鉄の気動車は、電気式から液体式気動車へ

本日は、液体式気動車の発展と言うことで綴らせていただこうと思います。
現在は電車の部品と共用する目的から、鉄道車両では電気式を選択する例も増えていますが、国鉄時代はDMH17エンジンに液体変速機の組み合わせが圧倒的で、昭和43年から量産された181系や同エンジンを積んだ、キハ65等を除けば非電化区間の主役としてそれこそ日本全国走っていました。
日本で液体式が発展した背景には、欧米と比べると貧弱な線路にもその原因はあったと言われています。DMH17系エンジンは、戦前のGMH17(ガソリンエンジン)をディーゼルエンジンに設計変更したものが基本で、液体変速機共々戦前に設計されたもので初期のDMH17系エンジンは150 PSその後160 PS、過給機を付けて180 PSまで引き上げましたが、これ以上は難しかったようです。

加藤追記
私鉄向けには、300PSまで出力を増大させたDMH17SBと言うエンジンが存在し、岩手開発鉄道DD43形ディーゼル機関車に搭載されたそうです。

DMH17エンジンに過給器と中間冷却器〔インタークーラー)で300PSを引き出していた
300PS×2エンジン

液体式気動車の発展

さて、ここで今一度液体式の発展を振り返ってみたいと思います。
キハ44500 初めての液体式気動車でキハ44000と同じ3ドア湘南形 後にキハ15形
キハ45000 後の17形と呼ばれた気動車
さらに、キハ17をベースに2エンジン車としてキハ50が試作されました。
キハ50は、車体長22mは長すぎてポイントで支障が出ることが判明したため、使用箇所は限られてしまいました。
その後車長を切り詰めて21.5mに抑えたキハ51が量産され、勾配線区での活躍も始まることとなりました。
その後、キハ17の後継としてキハ20系が製造されるとともに、昭和31年には準急用ディーゼル気動車として、キハ55が誕生することになりました。
と続くことになります。

液体式気動車誕生(キハ44500形)

キハ44500形は、昭和28年3月に4両が試作車として誕生するのですが、昭和43年の鉄道ピクトリアルでは昭和27年10月に落成したと言う記述もあるのですが、交通技術その他複数の資料では、昭和28年3月日本車両で製造されたとなっていますので、昭和28年落成とします。

キハ44500液体式気動車、電気式のキハ44000と外観は同じ
100年の国鉄車両から

液体式気動車成功までの道のり

また、液体式のこうした成功に至るまでには数々の苦労があったようで、昭和43年鉄道ピクトリアル7月号の記事を参照しますと、戦後の燃料事情が好転したことから、昭和26年に鷹取工場に、神鋼造機製の液体変速機が保管されているものが見つかったのでこれをメーカーに送って整備した後、5月からエンジンと液体変速機を組み合わせた状態で2か月程試験を行ったところ、所定の成績を得られたので、名古屋工場で「機械式気動車を液体式に改造」キハ42500形42503(後のキハ07)に取り付けて、走行試験を行うことになりました。
しかし、十分な加速力も得られず、実用化は不可かと思われたとき、亀山付近の勾配で白煙をあげて停止してしまったそうです。
液体変速機が焼き付きを起こしていたとのことで、原因は変速機に十分な油が充填されていなかったために、十分か加速が得られなかったうえに焼き付きを起こした原因であることが判りました。
再び、神鋼造機株式会社で修理をしたうえで、同年11月2日に再び名古屋~亀山間で現車試験を行い好成績を得ました。

量産型液体式気動車として活躍

低い背ずりは当時の気動車の特徴、車内中心部にエンジン排気管が見える。

10系気動車の優等車として製造されたキロハ18、千葉地区と、関西線にのみ投入された

千葉局にキロハ18が配置された背景には、千葉地区の自治体による優等車の設定を強く希望されたためと言われています。

加藤追記
キロハ18は、準急かすが(名古屋~湊町(現在のJRなんば)間)に、キハ50と共に運用されました。
ただし、キハ55系(キハ26やキロ25)が誕生すると見劣りがしたため、昭和35年には全車(8両)郵便荷物車キハユ15形6両、キニ15形に改造されて消滅しています。

出典交通技術 昭和35年9月号

勾配を登れない気動車

その後、キハ42503は大宮配置となり川越線で試用されることになりました。
使用に先立ち、御殿場線で試運転を行ったところ、駿河小山駅の25‰勾配での曲線でクラッチが滑り運行不能となり試験員全員で後押ししたという情けない結果になったそうで、帰路は蒸気機関車にけん引されたと記録されています。
原因を調査したところ、クラッチ版が弱いことが判明し、改造して強化するなどして、同年12月末には安心して運用を任せられるようになりました。
ただし、160PSではやはり勾配線区では非力であることは否めず、その後2エンジンのキハ50が試作されることとなるのは既に書かせていただいた通りです。

歯車式気勁車は全気動車2,200両のうち170両あるが、大部分は戦前製のもので近く廃車するとしても、戦後製の20両(キハ07形式の一部)は。まだまだ使用の要があるので、これを最近の液体式気励車のように、総括制御出来るように改造する。すなわち動力伝途装置の歯車箱をトルクコンバーターに置替え、これに伴なう運転装置を付加するものである。今年は名寄線用として5両を苗穂工場で施工し、中部地方三国線用・樽見線用として5両を各古屋工場で施工する計画である。
交通技術 1961年8月号

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