1. まとめトップ

日本国有鉄道史 気動車の発展と開発 液体式気動車の苦悩2 第5話

今回は、キハ17系の発展と言うことで、まとめさせていただきました。なお、試作された電気式気動車キハ44000,44100は全車液体式に改造されたうえ。ハ44500共々荷物車に改造されました。

更新日: 2019年04月14日

2 お気に入り 1904 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリストの加藤好啓です。今回も国鉄気動車発達史として、キハ17と2エンジン付キハ50までのお話をさせていただきました。あまり専門的になりすぎるのも思いましたので、出来るだけ簡潔にまとめてあります。

blackcat_katさん

軽量化された。キハ45000 概要

液体式気動車として、キハ44500形に試作車をベースにして、前面を貫通構造にしたキハ45000形が、昭和28年10月上旬から随時完成したと記録が残っています。
当初の車両は客車をそのまま気動車に置き換えたような配置でドアのすぐ横まで4人ボックスが並ぶ全クロスシートでした。
非力なエンジンをカバーするために、車体幅はキハ44000に準じた大きさで、車体幅は2700 mmにするなど従来に客車などと比べると一回り小さな車体となっていました。
また、車内も軽量化されており、ひじ掛けも省略し、座席の高さも低くするなど徹底的な軽量化がなされました、ただし、台車はその設計に難があり特にビビり振動が多くて乗り心地はよくありませんでした。
ちなみに、10系気動車に使われたDT19(動力伝達用)とTR49(付随車)の重量はいずれも4.5t、4.4tであり、同時期に使われていた客車の6t(TR50と思われる)と比べても軽い台車が使われていました。
これが原因で、車体にアコモデーション改良もままならなかったと言われています。
私も子供の頃何度か乗りましたが、あまり乗り心地は良いとは言えず、低い座席と相まって、キハ20とキハ17が連結されていた場合は、20は満員でも17は少ないということで、乗客もみなよく知っていました。

キハ17系に使用されたDT19形台車
枕バネがゴムになるなど軽量化されたが乗り心地に問題を残した。
キハ17系以外にもキハ55初期車等も、この台車を採用した。

キハ55の途中から採用された、気動車標準台車、キハ17一部にも台車を履き替えたものが存在する。

100年の国鉄車両から引用
キハ44500は3ドアであり、若干イメージが異なります。

100年の国鉄車両
電気式キハ44100を貫通式にして、液体式としたのがキハ45,000【後の形式称号改正でキハ17】と言えば理解しやすいでしょうか。

全国から配置要望があったキハ17

昭和29年5月の交通技術を参照しますと、昭和28年度末までに220両が落成し全国で気動車の数は458両となり、房総東線、奈良・桜井線・越後線・筑肥線など31線の各線に投入したと記録されています。
具体的な線区等は今後調べてみたいと思いますが、選定にあたっては。
1)機関車と客車を全面的に置き換えできる線区
2)蒸気列車を一部置き換えて運転経費の節減を出来る線区
3)液体式気動車として、キハ44500形試作車をベースにして、前面を貫通構造にした
4)列車増発を必要とし、気動車によることが最も有利な線区
を基準にされたと言いますが、地方管理局からは、配置の要望が多かったのですが、極端に管理局ごとに偏ると、気動車不配置地区との格差は出るので、積極的に気動車を投入したくないと言う意見もあったことは事実です。

キハ44500(キハ15)とキハ45000(キハ17)の相違を中心として

キハ44500は外観が湘南形であり、ドアも3か所(両端並びに真ん中)であり、運転台は全室方式でした。
キハ45000(キハ17)は半室運転台で、私の記憶では、運転台の仕切りも貧弱なものでバスのようなイメージであり、横から運転士の操作を覗ける仕様でした。
後ろも壁など無かったように記憶しています。

100年の国鉄車両から引用

比較のため再掲、背ずりが低い代わりに肘掛けが設置されています。

100年の国鉄車両から引用

背ずりが少し高くなったものの、軽量化のため肘掛けが無くなった。

加藤追記
千葉区のキハ17-246では、仕切り戸を設けて電車のような密閉運転台に改造する例もあったようです。

オリジナルは、当時のバスのような低い仕切りしか無く、夜間はカーテンを降ろすようになっていました。
オリジナルは、側面ドア付近の高さで仕切られているだけで、運転席の様子は後ろから丸見えでした、

キハ50の試作とその背景

キハ17の問題点はエンジン出力にあり、実は25‰以上の勾配では入線できず、選定に際しては実はそうした問題点をクリアしなくてはなりませんでした。
そこで、DMH17エンジンを2台積んだキハ44600(後のキハ50)が誕生しました。
この車両は、期間を2台積むために車体長を22mとしてボギー中心距離(ボギー車の台車間の距離)も15.7mとしたのですが、これが後に転轍機の轍叉桿(Detector Bar)と呼ばれる、誤転換を防止する保安装置を跨いでしまう危険性があったため、当初配置された関西線などでは轍叉桿の改修を行ったそうで運転線区が限定されることとなりました。
その後、改良型として、キハ44700(その後キハ51)が誕生しました。
こちらは、車体長を20.6mに短縮した車両で、キハ50で問題となった、轍叉桿の問題はクリアされました。
キハ51は結局20両ほど製造されるのですが、その後は更なる優等列車の開発ということでキハ55が試作され、さらに急行型気動車・特急形気動車と発展していくことになります。

続きます

キハ50・51に関しては、気動車発達史 7 高出力機関気動車の試作 : 鉄道ジャーナリスト blackcatの鉄道技術昔話の是非ご覧くださいませ。
下記にリンクを貼ってあります。

100年の国鉄車両から引用

2エンジンを採用したが、車長は22mとなり、試運転で分岐器の通過時にポイントが途中で転換しないようにする保安装置((Detector Bar)と呼ばれるメカニカルストッパーを跨いでしまうタイミングがあることが判明して、試作車のみで終わり、改良型のキハ51が製作されます。

併せて読みたい 10系気動車に関するお話しなら

関連まとめも併せてご覧ください

1 2