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ウィングカー時代のF1を振り返る

1977年から1982年までの、ウィングカー時代のいろいろなF1マシンを紹介します。

更新日: 2019年05月06日

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本の図鑑さん

このページはウィングカーのパイオニア、ロータス78が登場した1977年からウィングカー最後の年1982年までのF1を、マシンを中心に振り返るページです。

1977年

その後のレーシングカーの方向性に決定的な影響を与えた、グラウンドエフェクトのパイオニア。77年シーズン唯一のウィングカー。
マリオ・アンドレッティが4勝を上げランキング2位、グンナー・ニルソンも1勝を上げてランキング8位に入った。

1977年のチャンピオン、ニキ・ラウダの312T2。
ラウダは1975年に続き2度目の戴冠。
だがフェラーリとの関係が悪化していたラウダは、タイトルを獲得すると残り2戦を残してチームを離脱した。

2人のドライバーズチャンピオンを生み出した老兵、マクラーレンM23。
シーズン後半にM26に活躍の場を譲った。

モナコGPの1カット。
マクラーレンのエース、ジェームス・ハントとジェーン・バーベック。
今はバスケットを持参してサーキットにやってくるようなF1ドライバーの彼女はいないでしょうね。

前年成功を収めたティレルP34も引き続きエントリー。
しかし、グッドイヤーからの支援が失われたことで目立った成績を残すことは出来なかった。

アルファロメオエンジンの燃費の悪さに苦しみ続けるブラバム。
写真は第3戦・南アフリカGPのホセ・カルロス・パーチェ。この後、飛行機事故で落命した。

カルロス・パーチェに代わって、第4戦・アメリカGPウェストからブラバムのシートを得たハンス=ヨアヒム・スタック。
エースのジョン・ワトソンを上回る12ポイントを獲得した。

マーチワークスのイアン・シェクター。

プライベーター御用達のマーチシャシー。 
自らチームを結成した元フェラーリのレギュラードライバー、アルトゥール・メルツァリオもマーチユーザー。

ラジエーターへの吸気用にスポーツカーノーズに穴を空けるのがサーティース流。

1976年11月9日、ロイヤル・ランカスター・ロンドンで体制発表会を行った新チーム、ウォルター・ウルフ・レーシング。
左からオーナーのウォルター・ウルフ、デザイナーのハーベイ・ポスルスウェイト、ドライバーのジョディー・シェクター、監督のピーター・ウォー。

デビュー戦優勝の離れ業を演じたほか、ドライバーズランキングでもシェクターが2位に入る活躍だった。

サーティースがコンドームなら、ヘスケスはポルノ雑誌。
ペントハウスのピンナップガールを纏うヘスケス308E。

76年まで参戦していたペンスキーF1を、チームごと買収して誕生した西ドイツのATS。
マシンは76年のペンスキーPC4をそのまま使用した。

1978年

ロータスのグラウンドエフェクトカーの完成形。
シーズン中盤、第6戦からのエントリーにもかかわらず6勝を上げ、コンストラクターとドライバーの2冠を獲得した。
ただ78年になると、ロータス以外にもグラウンドエフェクトを取り入れたマシンを開発するチームが現れ始め、翌年以降ロータスの成績が低迷し始める。

新拠点、ケタリンガムホールでぎ装中のロータス79。
79は燃料タンクをドライバーの背後にまとめ、ドライバーの着座位置を前にずらすなど、ウィングカーの定型を確立したマシンとされている。

79のデビューまでのシーズン前半は、引き続き78を使用した。

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