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日本国有鉄道史 気動車の発展と開発 キハ55系気動車の誕生 第6話

急行形気動車キハ55が誕生するまでのお話しとして、キハ50の失敗、その後改良型のキハ51の誕生、更にはその後本格的な準急用気動車として誕生した。キハ55までのお話をさせていただきました。

更新日: 2019年04月14日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリストの加藤好啓です。今回は、強力型気動車の誕生と言うことでキハ50から、キハ55までのお話をさせていただきました。最初に試作されたキハ50は、昭和35年には1エンジン化の上荷物車に改造されています。

blackcat_katさん

強力型気動車誕生

本日も、国鉄時代の内燃気動車の発達史をアップさせていただきます。
今回は、キハ55のお話をさせていただこうと思います。

国鉄では、戦後石油事情が好転したことから、戦後はディーゼル機関搭載の車両が試作され、電気式キハ44000に始まる戦後気動車が幕を開けたことは既に書きましたが、DMH17系エンジンの出力は150 PSその後はエンジンに予燃焼室設けて160 PS、その後180 PSまで引き上げられました、しかし、勾配線区では力不足を露呈してしまい。25‰勾配がある線区には配置しない等の措置が講じられていました。

二台エンジンで高出力化を実現

しかし、気動車の配備要望は強く、勾配線区では2エンジンの方針が決定され、試作車としてキハ50が製作されました。
車体長は、22mの長さとなり、これでは分岐器の保安装置(轍叉桿(Detector Bar)に問題があるとして、その後車体長を20.6mに抑えたキハ51が開発されます、ただし、ここまでは車体幅は2.7mの小さな車体に甘んじるしかありませんでした。

車体長22mは在来線国鉄車両としては、最長となる。
昭和35年には1エンジン化の上荷物車に改造され新潟地区に配置されたが、1両は新潟地震で陸橋の下敷きになり大破した。

キハ50形が車長が長すぎて運転に支障を来したことから、プロペラシャフトの短縮などエンジンの設計変更を行い、車長を20,6m、台車中心間は14,3mに縮めらることで運用線区の制限をなくした車両で、20両が製造され晩年はキニ55に改造された。

キハ50は、便所なしの片運転台車で、定員は110人(座席92人、立席18人)となり、勾配線区向けの強力(エンジン2基搭載)形気動車の試作として1954年に2両が製造されました。
ボギー中心間の距離は、15.7mになったそうで。関西線と御殿場線で使用されました。
なお、キハ50は、昭和35年に、1エンジン化のうえ、二等郵便荷物車キハユニ17に改造されることとなりました。改造は名古屋工場で行われ、越後線ほかの郵便荷物輸送改善を目的として新潟地区に配置されましたが。2は1964年6月16日に発生した新潟地震の際に、落下した陸橋の下敷きとなり大破、廃車となりました。残った1はのち厚狭機関区に転じ、美祢線ほかで運用されたが、1980年に廃車され、形式消滅

wikipdiaの記事を参照して、加藤追記

キハ55系気動車誕生

昭和30年に入ると、10系客車の手法を活かして、気動車の軽量化と居住性の改善を図ることが計画されました。
モノコック構造を採用しながら車体幅や車体長を拡大した準急用気動車が誕生しました。
この車両は、車体が大きくなっても、重量は従来のキハ51とほぼ変わらなかったそうで。軽量客車の構造を活かされており、キハ55(キハ44800)と言う形式が与えられました。

準急日光用としてで製作され、これ以外に1エンジンのキハ26、2・3等合造車のキロハ25が製造されました。

キハ55は、東武が1700系(後の1720系DRCとは異なる)を投入したことに対する対抗措置という側面もありました。
車体幅は、2.9mまで拡幅され、車体長は電車よりも長い21.3mとなりました。
この長さは、その後国鉄気動車の標準長となり、JR移行後もそのまま引き継がれています。
また、初期のキハ55は車端で車両の角が干渉する恐れがあるとして妻板の両端がカーブしていましたが、その後に製造される車両では普通に切妻とされています。

デッキは設置されたものの、床上にトイレ用の水タンクを設置したため、キハ58などに見られる本格的な洗面所は設けられていませんでした。
その辺は、153系電車と比べると設備面で劣ると言わざるを得ませんでした。
余談ですが、キハ28/58で初めて気動車も、電車並みの接客設備を獲得しましたが、キロ28に関しては照明カバーが省略されるなど、電車と比べると本質的で無い部分で、コストダウンが図られていました。
これは、特急も同様で、181系や485系が背ずりの反対側もモケットバリであったのに対して、塩ビの化粧シートが貼られており、カーテンも横引きではなく、普通のロールカーテンになるなどの相違がありました。

初期のキハ55は車端で車両の角が干渉する恐れがあるとして妻板の両端がカーブしていましたが、その後に製造される車両では普通に切妻とされています。
この画像のみ回想の旅客車【上】から引用

併せて読みたい、気動車発展史

定番まとめ、気動車編

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