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左右非対称の変態ヒコーキが凄い!日本でも活躍したドイツ人技師

これが本当に空を飛んでいたなんて…。2度の世界大戦を含む20世紀に活躍したドイツ人航空技師リヒャルト・フォールトが何かに取り憑かれたように設計し続けた「左右非対称の航空機」が信じがたい。

更新日: 2019年03月24日

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常識を覆した「左右非対称の航空機」

Blohm und Voss BV 141

この驚くべきフォルムの航空機は、試作機としてですが実際に空を飛んだ左右非対称の航空機です。

実際に飛行した航空機の中で、最も左右非対称の機体として有名である。

この機体は1937年にドイツ空軍から出された偵察機の仕様に基づいて製作された機体です。

ドイツ航空省は国内の飛行機メーカーに
・エンジン単発
・3人乗り
・視界良好
な偵察機を作れと要求した。

…しかしその話を受けた中には変態企業ブローム・ウント・フォスが居た…これが問題だった。
後日、B&Vが提出してきた試作機に(恐らく)周囲の人間は絶句した。

ドイツ航空省の要求に応じ、ブローム・ウント・フォス社が提案した試作機。
設計はリヒャルト・フォークト氏。

「視界良好」を達成するために、乗員が搭乗するのは全面ガラス張りのキャビン。
普通の飛行機なら「胴体」に当たる部分はエンジンや油圧系などの機器類のみ。
しかも"本体"とゴンドラで全長が…いやそもそも形状そのものが違う。

空前絶後の左右非対称。これでも空軍の要求に沿って設計された。空を飛ぶ姿は、もはや神の奇跡である。

しかし、この試作において採用されたのは軍からの「単発」という要求を無視したかたちとなった双発のFw189で、Bw141も少数機生産され試験的に実戦配備されたものの、やはり、その形態から来る操縦性能の不安定さが問題となり量産されることはありませんでした。

設計者はドイツ人航空技師、リヒャルト・フォークト

Richard Vogt、1894年12月19日 - 1979年1月

ドイツの航空技術者。

リヒャルト・フォークト(Richard Vogt、1894年12月19日 - 1979年1月)は、ドイツの技術者であり航空機の設計技師である。

第二次世界大戦中の左右非対称の形状の偵察機や戦後の原子力爆撃機といったユニークな軍用機の設計で知られる。

日本の航空機産業の発達に大きな貢献をし、第二次世界大戦のドイツの機体も手掛けた

フォークト博士はどういうわけか左右非対称の機体に病的なまでに取り憑かれており、Bv141を筆頭とする左右非対称の機体をコレでもかというほど考案している。

BV 141 は、その奇天烈なフォルムから現在でもプラモデルなどでカルト的な人気を博しています。

博士の代表作BV141偵察機は、単発機の右翼上にコクピットを収めた小胴体を載せたような形をしています。この小胴体の重量でプロペラの反作用に対応し、その空気抵抗で気流による傾きに対応するという合理的な設計でした。

「航空機」としては合理的な形状ではあっても、 「実用品」や「工業製品」としてはぶっちゃけ左右対称の方がデメリットを遥かに上回るメリットを有している。

1979年にはカリフォルニア州のサンタバーバラにおいて心筋梗塞が原因で84歳で死去した。

のちにBV 141の爆撃機バージョン「P.194」も

ブローム・ウント・フォス P.194とは、第二次世界大戦中のドイツで開発が進められた、複合動力を用いる対地攻撃機、または戦術爆撃機用の設計案である。

Bv141をベースに(当然、機体は左右非対称のまま)キャビンを始めとした機体を装甲化し、「胴体」の部分に爆弾倉を追加。

強力な兵装がポッド前部に集中配置され、爆弾搭載量は上限500kgで、爆弾は胴体内の爆弾倉に収められて運ばれることになっていました。

さらにダメ押しとばかりにキャビンの下に補助動力として、Me262などにも搭載されたターボジェットエンジン・ユンカース ユモ004を搭載するという色々と無茶苦茶な機体になる計画だった

日本との関わりも深かったリヒャルト・フォークト

第二次大戦前の日本にも来日し、10年間も日本の川崎航空機で主任設計技師として軍用機の設計に携わっていた

当時のドイツは、ヴェルサイユ条約により空軍保有禁止・軍用機製造禁止などの規制下にあり、日本の招聘はドイツの航空技術者にとって魅力的であった。

この期間に、川崎KDA-5陸軍九二式複葉戦闘機、川崎KDA-2陸軍八八式複葉偵察機、川崎KDA-3単座戦闘機(土井武夫との共作)を含む数機種の設計を行った。

リヒャルト・フォールトが設計した日本軍機。
ジュラルミン製の主翼桁の採用や全金属製モノコック構造の胴体など、それまでの機体になかった新機軸が盛り込まれ、試作1号機はテスト飛行時に高度10000m到達や最大速度320 km/hの日本記録を樹立するなどの優秀な性能を示した。

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