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加藤清正の新史料が遂に…朝鮮出兵に関する新史料が見つかった!!

朝鮮出兵には様々な思惑があったようですが、加藤清正などの有名人が大活躍しています。そんな中、なんと加藤清正に関する朝鮮出兵の史料が見つかって話題になっています。今後色々な史料が見つかって、今までわからなかった歴史がわかるかもしれませんよね。

更新日: 2019年03月29日

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朝鮮出兵とは?

国内統一を果たし天下人となった豊臣秀吉が、全国の大名を大量動員し、1592年から1598年にかけて2度にわたって朝鮮国(現在の韓国、北朝鮮)に攻め込んだ戦争です。

目的は「明国(現在の中国)を征服する」ことで、最初の1回目の戦いを「文禄の役」(1592~1593)、2回目の戦いを「慶長の役」(1597~1598)と呼びます。

「唐入り」と言われて、あくまで明の国が目的で、朝鮮は通り道だったようです。

スペインが明国を植民地として支配下におさめると、様子が違ってきます。いかに数多くの鉄砲を日本が持っているとはいえ、スペインに支配された明国兵が、数の力にモノを言わせて日本に攻め込んできたら、これはたいへんなことになる。

となれば、その驚異を取り除くには、スペインよりも先に明国を日本の支配下に置くしかない。

ならば、武力がまだ豊富なうちに、余剰戦力を用いて、朝鮮出兵を行ない、朝鮮から明国までを日本の支配下に置いてしまうこと。
これは我が国の安全保障上、必要なこと、であったわけです。

文禄・慶長の役にも様々なエピソードがあった!!

加藤清正の朝鮮出兵のときの虎退治は有名です。

近くの山にすむ虎が、馬ばかりか清正の小姓まで食い殺してしまい、怒った清正が十文字槍で突き殺したと言われます。

当時、虎の肉は健康によく、また精力剤にもなるといわれ、それを聞いた秀吉が、虎退治を奨励し清正を初め多くの武将がきそって虎狩りをし、塩漬けにした肉を秀吉のもとに送り届けたのである。

武断派の関係を悪化させて、結果的に豊臣家の滅亡を招きました。

マジメな石田三成は、武将達が命令違反を侵したり、ちょっとでも問題行動があればそれを事細かく秀吉に報告しておりました。

そしてこの文禄の役で凄まじい活躍をしたのが加藤清正。
責任感の強い石田三成はマジメに秀吉に報告、加藤清正は秀吉からお叱りを受ける事になりました。

軍律違反をおかすのが悪いのでは…と思ってしまいますが、石田三成はこの一件で加藤清正からかなり恨まれる事になってしまったのでした。

なんと新史料が発見された!

豊臣秀吉が、熊本城主だった加藤清正に朝鮮に兵を出すことを命じた朱印状が愛知県刈谷市で見つかりました。

これまで、ほかの戦国大名に宛てた同じ内容の書状は見つかっていましたが、赤い朱印が押してある実物が見つかったのは初めてです。

今回見つかったのは天正20年(1592年)3月23日に豊臣秀吉から加藤清正に宛てた朱印状で、旧刈谷藩の藩士の子孫の家から寄贈されたものを愛知県の刈谷市歴史博物館が分析した結果、実物と断定されました。

同市歴史博物館が28日までに発表した。同博物館で4月2日から21日まで公開する。

直径3・8センチの朱印が秀吉の他の書状と一致していることや、他と同じ高級和紙の大高檀紙を使っていることなどから実物と判断した。

3月23日の日付で、「(第1陣の)小西行長らに朝鮮出兵を命じたので、おまえも出陣せよ。異国の者はそんなに強くないと思って、決して油断はしないように」などと伝えている。

様々な声が

凄い発見‼️日本にはまだまだお宝が眠ってそうですね‼️ 秀吉から清正へ「朝鮮出兵の命令書」、本物発見:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASM3V…

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