1. まとめトップ

テレサ・テン(Teresa Teng)「時の流れに身をまかせ」

テレサ・テン Teresa Teng「時の流れに身をまかせ」(任时光从身边流逝、我只在乎你)

更新日: 2019年04月15日

1 お気に入り 669 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

misukiruさん

◆アジアの歌姫、テレサ・テン

テレサ・テン(1953年1月29日 - 1995年5月8日、中華圏で使用された名前は鄧麗君〈デン・リージュン〉)は、台湾出身の歌手。

1970年代から1990年代にかけて、中華文化圏全域ないし日本、タイ、マレーシアなども含めたアジアにおいて広く人気を博したその業績から、生前から没後も「アジアの歌姫」と呼ばれている。

テレサ・テン Teresa Teng 鄧麗君 1953年1月29日、台湾雲林県生まれ。14歳のとき台湾で歌手デビュー。香港やシンガポールでも人気を博し、1974年に日本進出。「つぐない」(1984)、「愛人」(1985)が各150万枚、「時の流れに身をまかせ」(1986)が200万枚のセールスを記録。1995年に滞在先のタイで客死。享年42歳

◆日本における全盛期1984年

84年に「つぐない」で、85年に「愛人」で、86年に「時の流れに身をまかせ」で、テレサは日本有線大賞と全日本有線放送大賞の、いずれもV3でグランプリという史上初の快挙を達成

◆中国で改革・開放の流れの中

テレサ・テンの歌は、1978年に中国が世界に向けて「改革・開放」路線を打ち出したあとに、最初に中国に流入してきた外国音楽の一つだった。

1980年代初めには、中華人民共和国でもコピーされた彼女のカセットテープが出回るようになり、人々の心をつかんでいた。中でも特に人気だったのは、1930年代に中国で流行した「何日君再来(ホーリーチュンツァイライ)」(作詞:貝林 作曲劉雪庵)のカバー。

テレサの音楽テープは中国本土のヤミで流通し、人気は隠しようもなかった。彼女の中国語の姓(鄧)は、共産党指導者の鄧小平と同じ字なので、彼女はしばしば「小さな鄧」と呼ばれた。

中国本土から熱狂的なテレサファンがいなくなることはなかった。独自の政府を持つ台湾と、台湾を自国の領土の一部とみなす中国との間で、幾度となく緊張が高まった時期でさえ、それは変わらなかった。

◆紅白歌合戦に出場「時の流れに身をまかせ」

1986年、荒木・三木コンビによる三曲目となる「時の流れに身をまかせ」をリリース。これも大ヒットとなり、紅白に2年連続出場する。

◆ジャッキー・チェンと熱愛

この頃「酔拳」を大ヒットさせていたジャッキー・チェンと米国で再会し、お互いに思いを寄せるが、人気に溺れ取り巻きの前で侮辱行為を働いたため、失望しジャッキーから離れてしまう。

◆1995年に死去

1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため死去。42歳の若さだった。富と名声を得ながらも、晩年は孤独な独身生活を送っていた。

◆パスポート事件 1979年

1979年2月、本来の中華民国のパスポートではなくインドネシアのパスポートで来日しようとしたため、旅券法違反で国外退去処分を受ける。

日本での表立った活動は休止したが、台湾や香港での人気は過熱する一方だった。やがて中国大陸でも異常なまでのブームとなったが、当局はテレサの曲を「精神汚染」「黄色歌曲」として追放キャンペーンを張る。

昨日夜彼とカラオケ。前言ってたテレサ・テンや山口百恵の曲ばかりリクエストされて歌った~。遅くからだったし1時間だけだったけど楽しかったナ

今日は仕事中なぜかテレサ・テンの歌が頭の中流れてたな

中学3年生の娘が何か歌ってると思ってら、テレサ・テンのつぐない歌ってたなう。 年誤魔化してんのかな…

1 2