1. まとめトップ

イタリアが誇るスポーツカーメーカー・マセラティの歴史は奥深い

誰もが憧れる高級スポーツカー・マセラティは、イタリア生まれの自動車会社で製造され、ベンツやBMWなどの外車にも負けないくらいの輝きを放っている。

更新日: 2019年04月17日

1 お気に入り 599 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

ここまで達したのは100年以上かけて培ってきた情熱や挑戦精神を、有り余るほど車に注いでいるからだと感じられる。そして現在マセラティは、イタリアの誇りや象徴をきちんと果たしている。

cobbyjpさん

100年以上の歴史があるマセラティは、情熱をかけた挑戦がいくつも繰り返された

1926年にマセラティ兄弟によって設立されたイタリアの高級スポーツカーメーカー。初出場のレースで早くも優勝を飾り、1930年代中盤までF1やカーレースに参戦した。経営不振により、1938年に経営者が交代。マセラティ兄弟は10年間籍を置くという条件で契約を交わし、戦後再びF1に復帰して5年連続で世界タイトルを獲得するなど1960年代後半まで黄金期となったが、「3500 GT」の生産開始によりF1から退く。

1914年に、4人兄弟の3男がイタリアのボローニャでマセラティを創業した

マセラティの誕生は1914にさかのぼり、アルフィエーリ、エットーレ、エルネストのマセラティ3兄弟が力を合わせてイタリアのボローニャで自動車ビジネスを始めたことが起源になる。その頃はスポーツカーに専念していて、他車にはない自分たち独自のクルマ作りは決して簡単な道のりではないが、成功するための研鑽やたゆまぬ努力を惜しまなかったので、イタリア全土や世界各国に浸透して多くの人を引きつけることができた。

貴婦人のような佇まい マセラティ ミストラル. このミストラルという名も、マセラティの慣習に則って“南仏の季節風”に由来するそう. #millemiglia #automobilecouncil #maserati #… ift.tt/2y6Cdnj pic.twitter.com/IpovtBQ3mn

マセラティ ミストラル オーナーさんによると乗り心地は星4つ以上、4000ccだから乗りやすいと^^ pic.twitter.com/x7UPnUrIGf

第1次世界大戦が終結した後、本格的な乗用車の製造を開始した

スポーツカーのチューンナップを専門的に手掛けていたマセラティは、第1次世界大戦が終わった後に株をたくさん持っているアドルフ・オルシが経営に加わって、本格的な乗用車の開発に力を入れることとなった。なおCOBBYによると大量生産する以前は、自社のF1カーで様々なモータースポーツに参加して実力を見せつけ、優勝を獲得した実績がある。

世界中のレースシーンを席巻。 #マセラティ のモータースポーツの歴史の中で頂点に輝く #250F 名エンジニア ジュリオ・アルフィエーリの手によって生み出されたこのモデルは、1957年にはF1ドライバー ファン・マヌエル・ファンジオによってF1 ワールドチャンピオンの座に輝きました。 pic.twitter.com/e9mIeUErmB

フロントエンジンF1の最高傑作! モーターレース史上最強のドライバーのひとりファンジオのドライヴで世界タイトルを獲得した「250F」が1/12スケールでキット化! MFH 1/12 マセラティ250F 4porte.net/product/2976 #MFH #モデルファクトリーヒロ #クアトロポルテ #新製品 pic.twitter.com/iqa59h42fo

第2次世界大戦が終わっても、スポーツカーの製造は留まることなく断念しない

本格的な乗用車製造に専念している時に、第2次世界大戦が勃発した。こんな状況ではとてもレースどころではないので、軍需に対応した生産活動を余儀なくされた。戦乱で国は荒れ果ててしまい工場は壊滅の危機に瀕していたが、高級スポーツカーへの信念は途絶えることなく続き、開発の専念は尽きなかった。そして戦争が終わると本来の趣旨だったスポーツカー製造に復帰して、1957年になるとマセラティ・3500GTが世にたくさん進出した。

カスコモデル 全体マセラティ3500GT フロントボルボP1800 リアメルセデス・ベンツ SL W113 由来ち○ち○の赤いアレ 解説イタリアの男はイケメンやけどマザコン。因みにランパダーティってのは日焼けサロンの事、深く言うと成金とかの嫌味とエンブレムの孔雀は傲慢の意味がある。 pic.twitter.com/JAizS4sYoj

世界中の富裕層が集うモナコのヨットハーバーに佇む #3500GT ラグジュアリーな外観とレーシングマシン並みのパワフルなエンジンを搭載した本モデルは、高級ロードカーブランドとしての #マセラティ の名を世界に知らしめました。 マセラティの歴史はこちらから: maserati.com/maserati/jp/ja… pic.twitter.com/6N3qbDCEJG

ワクイミュージアムの展示車両にニューカマーの仲間入り〜 ランボルギーニハラマと マセラティ3500GT めちゃくちゃレアな車ですよ〜 開館〜!。 pic.twitter.com/hBnbit7aie

経営が安定しない時期に差し掛かって、シトロエンの傘下に入った

一般市民に馴染む市販車の製造に力を入れていたマセラティは、経営が安定しない状況に陥ってしまった。そこで1965年にフランスの自動車メーカー・シトロエンの傘下に入り、1970年にはマセラティ特製のV型6気筒DOHCエンジンを搭載したクーペ・シトロエンSMを、スーパーカーに匹敵する高級スポーツカーのマセラティ・ボーラを発売して、自社の性能をアピールした。

天気がいいので、先日作ったマセラティ ボーラ、外で写真を撮ってみました! 当時、ブルーのボーラの写真をよく見たせいか、自分の中では、やけにしっくりきます pic.twitter.com/p139Jexo7J

マセラティといえばボーラですね。 はい、サーキットの狼世代です。 pic.twitter.com/BPS5inWEYB

1971年 #マセラティ 初のミッドシップレイアウトを採用した #ボーラ 当時の同タイプのスーパーカーはパワー志向で、ボーラの「ラグジュアリー・V8ミッドシップ・2シーター」というコンセプトは珍しいものでした。ジウジアーロが手がけたそのデザインは今でも多くのファンを惹きつけます。 pic.twitter.com/62ynsZP23F

プジョーと契約を結んだ後は、デ・トマソの傘下に入る

シトロエンの傘下に入ったマセラティは、1974年にフランスの自動車メーカー・プジョーの傘下にはいることとなる。もちろん業務提携を行って新しい車を共同開発したり、裏方の仕事をあれこれやったりなど、色んな仕事をしていた。その1年後にイタリアの自動車メーカー・デ・トマソの傘下に入り、歴史に残るような数々の名車を作り続けた。ちなみにマセラティは傘下に入ることで、徐々に経営状態を安定させたのだ。

マセラティ キャラミ 金欠なのでデ・トマソに絶賛不振のロンシャンのボディをもらって自社製のエンジンを搭載、顔とお尻だけ作り直してキャラミとして発表した マセラティはビトゥルボ発売するまでこのキャラミで当面をしのがなくてはならなかった pic.twitter.com/wRs2B5ujff

今度はフェラーリで有名なフィアットの傘下に入り、直轄となる

1993年になると、とうとうマセラティは世界に名だたるイタリアの高級車メーカー・フェラーリを経営するフィアットの傘下に入って、今までにないくらいの勢いで事業を進めた。なおその頃のマセラティはフェラーリ自慢のエンジンを搭載しており、自動車の価格もフェラーリに比べると安く、走行性能も十分な高級感を出しているので業績が一気に伸びた。

1 2