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ヒット作「ルパン三世」などで知られるマンガ家、モンキー・パンチ氏の来歴

ヒット作「ルパン三世」などで知られるマンガ家、モンキー・パンチ氏の来歴

更新日: 2019年04月17日

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ヒット作「ルパン三世」などで知られるマンガ家のモンキー・パンチ(本名・加藤一彦)さんが2019年4月11日、肺炎のため死去した。81歳。

孔明0530さん

モンキー・パンチ

モンキー・パンチ(本名:加藤 一彦(かとう かずひこ)、1937年5月26日 - 2019年4月11日)は、日本の漫画家、デジタルクリエイター、元同人作家。大手前大学教授。東京工科大学メディア学部客員教授。代表作に『ルパン三世』・『一宿一飯』など。

来歴

北海道厚岸郡浜中町出身。実家は漁師。学生時代は地元唯一の医師である道下俊一の元でレントゲンの助手などを行っており、漫画で患者を和ませていた。北海道霧多布高等学校を経て、東海大学専門学校電気科中退。

手塚治虫の漫画の影響を受けて、漫画を描き始め、高校卒業後すぐに上京、「加東一彦」のペンネームで貸本専門の出版社で漫画家のアルバイトをしながら、弟の加藤輝彦と、もう一人の友人と同人活動を行っていた。

上京後、アメリカのパロディ雑誌「MAD」の影響を受け、アメコミ風に作風が変化する。それが「漫画ストーリー」(双葉社)の清水文人編集長の目に留まり、1965年に、「ムタ永二」のペンネームにて『プレイボーイ入門』(「漫画ストーリー」)で本格的なデビューを果たす。「マニア・ぐるうぷ」名義で、「摩周仙二」「霧多永二」などが参加しているようにみせていたが、実際はすべて加藤一人で執筆していた。「加東一彦」、「かとう・一彦」のペンネームも併せて使用していた。

漫画家として

1966年、清水編集長の命令でペンネームを「モンキー・パンチ」に改名する。清水が新人に適当に付けた名前なので本人は気に入っておらず、1年ほどで変えるつもりだったが、この名義で翌年に発表した作品が大ヒットしてしまったので変えられなくなった。なお、清水がこの時期に新人に適当に付けた外国人風の名前にはバロン吉元やケン月影などがある。

1967年5月、バロン吉元やケン月影など「漫画ストーリー」の新人漫画家を中心として刊行された「増刊漫画ストーリーアクション特集号」の表紙絵に抜擢され、8月に清水を編集長として新たに創刊された青年向け週刊漫画雑誌『WEEKLY漫画アクション』の表紙絵も引き続いて担当。また、『漫画アクション』8月10日創刊号より「ルブラン原作」表記で『ルパン三世』の連載(2年間)を始める。これが現在も継続してアニメ化されるほどの大ヒットとなり、出世作にして代表作となった。この時期に「モンキー・パンチ」名義で発表された『ルパン三世』などの作品は、主に一彦が物語やキャラクターを考え、絵は輝彦との共同作業という形をとっていたが、その後は一彦の一人だけによる名義となっている。

1980年代以降、サンディエゴ・コミックコンベンションにてINKPOT賞、ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞、AMD Award功労賞を受賞し、国内外から注目されている。

2003年4月、66歳にして、「きちんとした勉強をしないと、これ以上先に進めない」と考え、東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻(現・バイオ・情報メディア研究科メディアサイエンス専攻)修士課程(現・博士前期課程)に入学し、2005年3月に修了した。

2005年4月より、大手前大学人文科学部メディア・芸術学科マンガ・アニメーションコース教授(2007年4月より、メディア・芸術学部マンガ・アニメーション系)。
2010年5月より、東京工科大学メディア学部客員教授に就任。
2015年、東京アニメアワード2015・アニメ功労賞を受賞。
2016年、北海道新聞文化賞を受賞。
2017年、専門学校札幌マンガ・アニメ学院顧問に就任。
2019年4月11日、誤嚥性肺炎のため死去。81歳没。

人物・エピソード

ペンネームの「モンキー・パンチ」とはもともと弟の加藤輝彦との共作ネームだと語られていたが、これは誤りであり、弟の輝彦はアシスタントとして手伝っていただけである。本人たちが「漫画アクション」でのインタビューでこのことを否定している。

かつては同人作家としての活動も行っていたことがあり、同人誌「マニア」の発行を手掛けていた1人でもあった。

作風が西欧風なのは、国外特にアメリカの雑誌の漫画も読んでいて影響を受けたからと言われる。神田の古書店で「MAD」に出会い、特にモート・ドラッカー(英語版)の画風が好きだったという。「モンキー・パンチ」というペンネームは、その西欧風の作風と併せて「どこの国籍の人が描いているか分からなくする」ために、双葉社(の「漫画ストーリー」清水文人編集長)からつけられた。当初、加藤本人はこのペンネームを不満に思い一年ほどの暫定的なペンネームのつもりでいた。ルパン三世等の作品の話のラストのコマに書かれているサインはカタカナではなく、ひらがなで「もんきーぱんち.」(「も」はハート型)と書かれている。

浜中町の僻地医療を描いた「プロジェクトX」(NHK)に、道下俊一医師の助手として出演歴あり。ここで紹介された診療所と同名の施設を『ルパン三世』の『健在ルパン帝国』にて登場させたこともある。フジテレビで放送された「潮風の診療所〜岬のドクター奮戦記〜」の中ではモンキー・パンチを世に送り出すきっかけをつくった道下医師の事及び本人の若き日々が描かれていた。

モンキー・パンチはあくまでルパン三世を「悪漢の大泥棒」として描きあげたが、原作よりも人気の高いアニメや映画などでは「心優しい大泥棒」ルパンという設定で、原作とは大きく性格が異なる部分がある。モンキー・パンチもルパンの中に優しい面があることは公言していたが、あくまでもルパンは悪事を働く泥棒であり「ルパンは(アニメで描かれるような)義賊ではない」といった旨の主張を続けていた。アニメではモンキー・パンチ本人が初めて監督を務めたとき、「敵を後ろから刺す」というシーンでディレクターに「ルパンはそんなキャラではない」と言われ、原作者であるにも関わらず却下されてしまった。ルパンや次元大介・石川五ェ門・銭形警部・峰不二子のキャラクターは、アニメ及び映画の性格設定がよく浸透している。

アメリカ合衆国の映画会社MGM製作のアニメ映画『トムとジェリー』の掛け合いが好きで、そのままルパン三世の世界として採用しており、銭形警部はトム、ルパン三世はジェリーをモデルにしている。トムとジェリーが心の底から好きだったため、原作者であるウィリアム・ハンナとジョセフ・バーベラに会いに渡米し、作者であるバーベラからルパン三世をモチーフにしたイラストを色紙に書いてもらっている。

アップルのパソコンの初期からのユーザーとしても有名である。Apple IIで作画を試みたことがあるが、当時のコンピュータは描画能力があまりにも低く、漫画が描けるレベルでの作画は不可能だった。現在ではアップルのMacintosh(Mac)とワコムの液晶ペンタブレットを利用して作画している。漫画のデジタル表現に関する研究を目的としたデジタルマンガ協会(2003年発足)の発起人となり、2012年まで会長を務めた。

また、無類のオーディオ・ビジュアルマニアとしても知られ、世界初の家庭用4KプロジェクターSony VPL-VW1000ESや現代ハイエンドの一角を担うスピーカーJBL DD67000などのウルトラハイエンドな機器をいち早く取り入れた、マニア垂涎のホームシアターシステムを自宅に構築している。

晩年は千葉県佐倉市在住で、佐倉市広報カレンダーの作画も担当していた。将来、自らキャラクターデザインを行いCGを駆使したハイクオリティーのアニメ映画を製作するのが夢と語っていた。「日本マンガ塾」講師も勤めていた。

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