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イタリア史上最高のサッカー選手、ジュゼッペ・メアッツァ(Giuseppe Meazza) について   紹介します。

rulliさん

1910年、イタリア生まれ。    

【主な所属クラブ】
1927年-1940年  インテル・ミラノ  348試合、241得点

セリエA 優勝   3回(1930、1938、1940)
     得点王   3回(1930、1936、1938)

ミトローパ・カップ得点王 最多 3回(1930、1933、1936)


【イタリア代表】 
1930年―1939年  53試合33得点

「W杯1934、MVP」受賞。

彼は、イタリア代表がW杯1934、W杯1938、「大会2連覇」した時の
主力FW。

現在でも、「イタリア史上最高の選手」と評価されている。

イタリア代表での、メアッツァ。


評論家はメアッツァについて
「メアッツァは身長169センチと小柄であったが、
ジャンプするタイミングが素晴らしく、彼より背の高い
相手にも競り勝ち、ヘディングで数多くのゴールを決めた」
と説明している。


メアッツァは17才でインテルでプロ・デビューし
1930年、19才でイタリア代表デビューした。
デビュー戦のスイス戦で2得点した(4-2で勝利)。
彼は、同年、代表4試合目で、強豪ハンガリーと対戦して
敵地でハットトリックし、5-0で勝利した。
イタリアが歴史的大勝をした「立役者」となった。
彼は、若くして才能が開花していたタイプだった。

W杯1934では、23才で「大会MVP」に選ばれた。

彼はテクニックと創造性で勝負するFWだった。

ドリブルが得意なFWであった。

ビットーリオ・ポッツォ(1930年代、イタリア代表監督)は、
「メアッツァは生まれながらのストライカーだった。
そして彼は状況を把握し、試合の流れを読む事ができた。
彼は技術志向の試合の進め方で、攻撃全体を機能させる事ができる
選手だった」
と説明している。

イタリアは、ギリシアに4-0で勝利した。
この試合、メアッツァは2得点した。

イタリアは「W杯、本大会出場」を決めた。

イタリアは地元開催なのに、
W杯予選を戦ったんですよ。

負けたらどうすんだ? と思いますね。

イタリアは「1試合だけ、W杯予選」を
ミラノで戦いました。
ホームでこのギリシア戦だけ、試合しました。
1発勝負でした。

初期のW杯は、やっている事が厳しくて笑えます。

写真、左が、メアッツァ。

メアッツァはCFだったが、この大会、右サイド
のポジションを命じられ、見事にこなした。
準々決勝スペイン戦では、
ヘディングで決勝ゴールを挙げた(1-0で勝利)

イタリア代表は準決勝で オーストリアに
1-0で勝利して、決勝進出を決めた。

決勝戦もチェコスロバキアを2-1で下して、
「W杯、初優勝」を成し遂げた。

メアッツァは、「大会MVP」に選ばれた。
W杯1934では、2得点(5試合)した。

写真、中央、背広姿の男性が、
名将、ビットーリオ・ポッツォ監督。

ポッツォ監督は、4年後のW杯も監督を務め、
大会2連覇を達成した。

写真、左が、メアッツァ。

後半15分、メアッツァが、イタリア2点目の
ゴールを、PKで決めた。

イタリアは、ブラジルを2-1で下して、
決勝進出を決めた。


この後、イタリアは、決勝でハンガリーを4-2で
下して、見事、W杯2連覇を果たした。


メアッツァはW杯直前の1938シーズン、
「セリエA得点王」になり好調だったが、
W杯では準決勝、ブラジル戦のPKでの得点、
1点のみに終わった。
この大会も彼はサイドのポジションを務め、
CFのシルビオ・ピオラのアシスト役に回った
(ピオラは活躍し、5得点した)。

写真、右が、メアッツァ。

メアッツァはインテル時代、
「ミトローパ・カップで3回も得点王」になった
(得点王回数は、フェレンツバーロシュ[HUN] の
シャーロシ・ジェルジと並び最多)。

「ミトローパ・カップ」とは、
中央ヨーロッパ各国のリーグ戦上位チームが参加し、最強チームを決める大会である。
現在の欧州CLに近い国際大会であった。
オーストリア、イタリア、チェコスロバキア、
ハンガリー等、1930年代の強豪国クラブ・チームが参加した。
この大会でメアッツァは得点王に3回なり
大活躍した。
しかしインテルは一度も優勝できなかった
(最高成績は、1933年の準優勝)。

現在、インテルのホーム・スタジアムは、
なんと彼の名前がスタジアム名になっている。
名称は「スタディオ・ジュゼッペ・メァッツァ」。
それぐらい死後も讃えられている。

W杯1934優勝は、地元イタリア独裁政権が、
審判買収して達成した為、
メアッツァの実力は怪しいと思うかも知れない。
しかし、彼は本物である。

彼は4年後のW杯1938は
「疑惑なしで優勝」した。
また彼はインテルで大活躍しており
ミトローパ・カップでは
「得点王、3回」(最多)、
「通算得点、歴代2位 29得点(27試合)」
である。
(1930年代後半、シャーロシに抜かれるまで
1位だった)

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