1. まとめトップ

この記事は私がまとめました

スコットランド史上最高の選手、ヒューイー・ガラカー(Hughie Gallacher)について     紹介します。

rulliさん

1903年、スコットランド生まれ。

1921ー1925 エアドリーオニアンズ 
                111試合90得点

1925ー1930 ニューカッスル 160試合133得点

1930ー1934 チェルシー 132試合72得点

1934ー1936 ダービー  51試合38得点


イングランド・リーグ優勝 1回(1927)


【スコットランド代表】
1924ー1935   20試合23得点


ブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ
優勝 4回
(1925、1926、1927、1929)

得点王 4回(1925、1926、1927、1930)

ガラカーは、1920年代後半、
「イギリスでナンバー・ワンのFW」だった。

彼はスコットランド代表のエースFWで
「イギリス4ヶ国対抗の大会」
(イングランド、スコットランド、ウェールズ、
北アイルランドが参加し、1位を決める大会)で、
4回も優勝した。

ガラカーが居る為に、イングランドは1920年代、
一度も優勝できなかった
(イングランドは、1930年に16年振りに優勝した。
ガラカーは1930年大会、得点王だったが優勝はできず
この大会を最後にほぼ代表を引退した)

彼の大活躍により、1920年代は、なんと
「スコットランドの方がイングランドより強かった」
という唯一の時代となった。

ガラカーは身長165センチと小柄であった。
しかし、CFをこなし、高い得点能力があった
(イングランド・リーグ、得点、歴代10位、246得点)。

彼は敏捷で、ドリブルがうまく、連係から得点するのが得意だった。

アラン・シアラーは、「ニューカッスル、歴代得点1位」、
「プレミア・リーグ、通算得点1位」の名選手だ。
シアラーは2014年、ガラカーが「イギリス・サッカー殿堂」に選ばれた授賞式で、ガラカーの息子に賞を手渡した。
その時、彼は客席に向かって
「私は父親から『お前がいくらたくさん点を決めようが、お前はガラカー以上には決してなれないんだよ』と言われた」
というエピソードを披露した。

ガラカーのスコットランド代表での大活躍は、
イングランドにも当然だが、知れ渡り、
彼は、1925年、22才の時、
イングランドのニューカッスルに入団した。
そして、1927年、24才の時、主将を務め、
「イングランド・リーグ優勝」を果たした。

この年、ガラカーは36得点(38試合)を挙げた。
得点王のジミー・トロッターに僅か1点及ばず、
得点ランキングは2位だったが、それでも大活躍でチームを優勝させた。
(ガラカーは「クラブ・チームで一度も得点王を
取れなかった選手」だが、総得点は多い)

これは未だに、
「ニューカッスル史上、唯一のリーグ優勝」
である。

写真、右、黒と白の縦縞が、ガラカー。

ガラカーを「ニューカッスル史上、最高の選手」
と評価する人は多い。
ニューカッスルは、彼の大活躍で優勝して以来、
一度もリーグ優勝していないので、
これは、当然かも知れない。

彼は退団時、得点数「143得点」で
「クラブ歴代1位」だったが、後世の選手に
追い抜かれ、現在、歴代4位だ(2019年現在)。
しかし、未だに「得点率は、クラブ史上最高」で、
断トツ「0.82」だ。
追い抜いた上位3人は、0.5点台である。

【ニューカッスル 歴代得点 順位】
( )は得点率。

1位 アラン・シアラー   【1990年代】 
        404試合206得点(0.52)

2位 ジャッキー・ミルバーン 【1950年代】
        397試合200得点(0.5)                 

3位 レン・ホワイト    【1950年代】
        269試合153得点(0.56) 
          
4位 ガラカー 174試合143得点(0.82)
              【1930年代】

5位 マルコム・マクドナルド【1970年代】
        221試合121得点(0.53)

彼はチェルシーで72得点(132試合)を挙げ
在籍4年間の得点数は、チーム一番で、新チームでも活躍した
(しかし、優勝はできなかった)。

ガラカーは気性が荒く、豪快な人間だった。
その為、規律違反を度々、起こした。
チェルシー時代は、試合中、審判に暴言を吐き
「2カ月、試合出場停止」になった事もあった。
またプライベートでは、長期かつ厳しい離婚裁判をし
自己破産した。

その後、チェルシーは、問題児ガラカーを見放し
小クラブ、ダービー・カウンティーへ放出した。
しかし、彼はダービーでも「計 38得点(51試合)」で大活躍し
1936年は、チームは2位(当時、クラブ史上最高成績)に
なった。

ガラカーについての批評は、
「ガラカーはボールコントロールに優れ、
サッカー・センスが高く、本能的にプレイする
タイプだった。
彼は高い技術で対面するDFを簡単に抜き去った。
また彼は小柄であったが、フィジカル面で劣っていても全く気にせず、怖がらず試合をこなす選手だった。
彼は、フィジカルを武器に自分を潰しに来る屈強なDFにしばしば競り勝った。
また彼はキック力があり、強烈なシュートを撃てた」
と説明されている。

写真 左が、ガラカー。

ガラカーは
「スコットランド人で
イングランド1部リーグに挑戦した中で
得点数、歴代1位」である。
(2019年現在)

【スコットランド人
「イングランド1部リーグでの得点」順位】

1位 ガラカー     246得点(355試合)
               :1930年代

2位 デビッド・ハード 222得点(412試合)
               :1960年代

3位 デイブ・ハリデイ 211得点(257試合)
               :1920年代

4位 デニス・ロー   201得点(377試合)
               :1960年代

写真、ボールを持っているのがガラカー。

ガラカーは、イギリス全体で考えても、
「史上最高のイギリス人選手の1人」
である。

彼は、1930年頃、世界の超一流選手だった。

彼の大活躍により、
「スコットランドが、イングランドより強い」
という時代を実現した
(彼はイングランド戦は、通算4勝2敗だ)。

この時代のスコットランドは、
「4カ国対抗戦」で、
敵地で、イングランドに2回、大勝した。

1925年 3-0で勝利。

1928年、5ー1で勝利
(イングランドの聖地、ウェンブリースタジアム
で勝利。スコットランドでは「伝説の試合」と
されている)

ガラカーは「歴史的大勝」に貢献した。

写真は、1928年、スコットランド代表。
前列、左から2番目が、ガラカー。

このチームは、1928年、
敵の「聖地」、ウェンブリー・スタジアムで
イングランドを5ー1で倒した。
それ以降、「ウェンブリー・ウィザーズ」
(Wembley Wizards)
(ウェンブリーの魔法使い達)という愛称を得て
讃えられている。

ガラカーは、1920年代後半
「スコットランドが一番強かった時代のエース」
です。

彼の戦績は驚異的で
代表で、17勝1分2敗(20試合)だ。
ほぼ全勝で代表キャリアを終えた。

ガラカーはイギリス4カ国の対抗戦、
「ブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ」に4回、優勝した。
(1925、1926、1927、1929)

そして、彼はなんとこの大会で「4回も得点王」になった。

1925年 5得点(3試合) 得点王
1926年 2得点(3試合) 得点王(他に2名)
1927年 7得点(3試合) 得点王
1930年 4得点(3試合) 得点王

彼は、この時代、「イギリスで最高の選手」で
間違いない。

1930年代、イギリスはFIFAと関係が悪かった為、
スコットランドはW杯に出場しなかった。
その結果、現在、世界でガラカーについて紹介される事は極めて少ない状態だ。

スコットランド代表、得点順位】(2019年現在)

1位 デニス・ロー      30得点(55試合) 1960年代
2位 ケニー・ダルグリッシュ 30得点(102試合)1970年代
3位 ガラカー        24得点(20試合) 1920年代
4位 ローリー・レイリー   22得点(38試合) 1950年代
5位 アリー・マッコイスト  19得点(61試合) 1980年代

ガラカーは1935年、代表引退し「30年以上1位」だったが抜かれた。

ガラカーは「得点率 1.2」で
上位のロー(0.54)、ダルグリッシュ(0.29)より遙か上だ。
彼は「スコットランド史上最高FW」だろう。

写真、右が、ガラカー。

彼はイングランド・リーグにも挑戦して、
大成功した。

ガラカーは
「イギリス史上、最高の選手の1人」
である。

私見ですが、彼の成績は飛び抜けていて、
「スコットランド史上最高の選手」
だと思います。

日本の皆さんに、
「シアラーの父親が言いたかった詳しい内容」を
私が説明しました。

1