1. まとめトップ

この記事は私がまとめました

イギリス史上、最もゴールを決めた男、ジミー ・ マクグローリー(Jimmy McGrory)について   紹介します。

rulliさん

1904年、スコットランド生まれ。


【主な所属クラブ】
1922ー1937  セルティック  378試合395得点

1923ー1924 クライデバンク  30試合13得点
       (セルティックからレンタル移籍)


スコットランド・リーグ
     優勝 2回(1926、1936)

    得点王 3回(1927、1928、1936)


「スコットランド・リーグ通算、最多得点、
408得点(408試合)」


【スコットランド代表】
1928ー1933  7試合6得点

彼は小柄だったが、センターフォワードをこなし、
「スコットランド・リーグ最多得点、
408得点(408試合)」を作った。
彼が引退して、95年経つが(2019年、現在)
未だにこの記録は破られていない。

マクグローリーは身長168センチで小柄だった。
しかし、ヘディングが得意だった。
彼はヘディングで数多くゴールを決め、
総得点の約3分の一は「頭」で決めたモノだった。
そして彼はダイビング・ヘッドを得意技とし、
ほぼ地面スレスレでも、突っ込んでダイビング・ヘッド
していた。
この様な、プレイぶりから、彼の現役時代の愛称は、
「人間魚雷」、「人魚」だった。

マクグローリーは
「スコットランド史上、最も得点を決めた男」
である。
「リーグ歴代1位」だ。
2位と100点差以上は、凄い。


【スコットランド・リーグ 通算得点 順位】

1位 マクグローリー 408得点(1930年代)

2位 ロベルト・マクフェイル 
           305得点(1930年代)

3位 ヒュー・ファーガソン 
           285得点(1920年代)

4位 アリー・マッコイスト 
           282得点(1980年代)

5位 ウィリアム・リード 
           275得点(1910年代)

マクグローリーは
「イギリス全体で
(イングランド・リーグを含めても)
得点数、歴史上1位」だ。

彼は
「英国史上、最もリーグ戦でゴールを決めた男」だ。


【イギリス人、得点、総合順位】

1位 マクグローリー[SCO]
           408得点:1930年代

2位 ジミー・グリーブス[ENG]
           357得点 :1960年代

3位 ガラカー[SCO]  336得点:1930年代

4位 スティーブ・ブルーマー[ENG] 
            314得点:1900年代
 
5位 ディーン [ENG] 310得点:1930年代

写真、左が、マクグローリー。

マクグローリーは小柄だったが、
センターフォワードでプレイし、大活躍した。

マクグローリーはとても優秀なFWであったが、
同時代、同じポジションに
「ヒューイ―・ガラカー」がおり、
彼の方が実力が上だったので、
スコットランド代表での出場機会は、7試合のみで
少なかった
(しかし、当時、あまりにも代表に選ばれない為、
代表監督が「アンチ・セルティック」なので
冷遇されているという噂が起きた)。


1920年代は
「スコットランドがイングランドより強かった」
という唯一の珍しい時代で、
当国にはガラカー、マクグローリーという名選手が
現れた。
そして2人共、センターフォワードで
しかも小柄というサッカー史でも
後に起きた事がないと思われる、珍しい状況が起きていた。

写真、右が、マクグローリー。


マクグローリーは、23才の時、
「1試合で8得点」したという記録を持っている。

1928年1月14日、
「セルティック 対 ダンファームリン」戦で、
セルティックが9-0で勝利した試合で、
彼は1人で8得点した。

この試合で使用されたボールは
現在、「スコットランド・サッカー博物館」
に、彼の偉業を伝える為、展示されている。

写真、左端、横縞のユニフォームが
マクグローリー。

マクグローリーについて、当時の評論家は、
「彼は、ジャンプすると、鷹のようにボールを
捉え、強い首を捻って、ヘディング・シュートを
撃った。
私が見た中で、最も強烈なヘディング・シュートを撃てる選手だった。普通の選手が、足でなら撃てる
強いレベルのシュートを頭で撃てた」
と説明している。

写真、右が、マクグローリー。

1933年、スコットランド・カップ決勝、
「セルティック 対 マザーウェル」。

セルティックは、後半3分、
マクグローリーがゴール前で、躊躇したGKの
判断ミスを突き、ボールをさらってシュートを
撃ち、決勝ゴールを挙げた。
セルティックは、1-0で勝利した。

ちなみにこの試合の観客数は、102358人だった。
当時から、スコットランドでサッカーは
「人気スポーツ」で、10万人以上もお客が入っていた。


マクグローリーは、「スコットランド・カップ」
に通算、5回優勝した
(1925、1927、1931、1933、1937)

彼のチームメイトは、
「マクグローリーは、『全身、筋肉』のような男だった。
特に首の筋肉は凄かった。牛の首だった。
彼がボクサーだったら、相手はノックアウトできないだろう。
彼は首がパワフルなので、ヘディングで
最も強いシュートを撃てる選手だった。
そして右足のシュートも素晴らしかった」
と説明している。

マクグローリーは全盛時、
イングランドのビッグクラブ、
アーセナルからオファーを受けた。
しかし、彼は少年時代、貧しく、セルティックの
助けを借りて生活をした。その恩があった為、
オファーを断り、クラブに尽くす事を決めた。
彼は人一倍、セルティックに強い忠誠心を持つ選手だった。

マクグローリーがイングランド・リーグに挑戦していたら、現在、今よりも世界的知名度は高くなっていただろうと言われている。
(この時代、スコットランドの方が遙かに強かったので、ガラカーのように簡単に活躍できただろう)
彼はスコットランド代表での出場も少ない為、
本当に知名度が低いが、紛れもなく超一流選手で
ある。

1