平成っコは知らぬ…ルパン三世「モンキー・パンチ」の裏話

平成っコは知らない…「モンキー・パンチ」の裏話…。ルパン三世の裏話も驚きが多すぎてビビる…!

更新日: 2019年04月18日

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この記事は私がまとめました

意外な「モンキー・パンチ」のルーツ

「モンキー・パンチ」の由来ですが、西遊記が好きだから「モンキー」、風刺漫画雑誌の「パンチ」からとって「モンキー・パンチ」なんだそうです。最初は嫌がっていたが、50年以上愛用する名前に

【でも…】どういう訳か「兄弟でモンキー・パンチ」って言う誤解が世間に伝わってしまったんだよね。元々は週刊誌に書かれちゃったんだけど、いまだに定説になってるんだよね。まったく事実ではない

ウィキペディアに書かれている事は全部嘘とは言わないが、自分で直したいと思うところがあったそう。

ネタの源泉は、母校の霧多布中図書室(釧路管内)で読んだオー・ヘンリーの短編や江戸川乱歩の推理小説など古今東西の名作

デジタル作画の先駆者だった

モンキー・パンチ先生には、ペンタブレット黎明期からずっとワコムを支えていただきました。 ご冥福をお祈り申し上げます。 https://t.co/r5UKG4Vh2Y

モンキー・パンチさんは、早い段階から作画にデジタル技術を取り入れ、デジタルマンガ協会の会長も経験した。そのため、愛用していたメーカーから追悼コメントが出たほか、ファンからは驚きの声が

早い時期からMacintoshで漫画を描いており、03年にはデジタル作画を本格的に学ぶべく、東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻修士課程に66歳で入学(05年3月に修了)

最初はマウスで描いていたとか。

スッキリ!でモンキー・パンチ氏の追悼観てるけど、Wacomの液タブ使いこなしてるのをみて、凄いなーと。デジタル化の先駆者でもあったのね。 pic.twitter.com/V813BoOJFE

実は、女性を描くのが苦手だったそう

女の子を勉強しなきゃいけないんだけど、絵の勉強なんてしたことがないですから、デッサンから始めないとダメだなって思った。ちょうど勤めていた商事会社のすぐ近くに絵の研究所みたいな所に入会

40年に「ムタ永二」名義の「プレイボーイ入門」で本格的にデビューしているが、女性をうまく描けなかったため月刊誌「PLAYBOY」などに掲載された女性を題材に、描画を繰り返したそう

それが正体不明の美女・峰不二子誕生につながった。

「峰不二子」は努力の賜物だった…!

ルパン三世にもこんな制作秘話が…

モンキー・パンチが当初描いていた構図は、アルセーヌ・ルパンの孫というキャラ設定ではなく、見事な泥棒ぶりを称して「ルパン三世」という愛称で呼ばれているというものだった

しかし、編集部に「そのようなわかりにくい設定はやめてください」と言われたことから、「アルセーヌ・ルパンの孫」という現在のキャラ設定が決まったという。

1975年~1976年にかけて「週刊少年アクション」で連載されていた。

“ルパン四世にあたる”として今なお公式設定ではあるよう。

“ルパンと不二子の間に生まれた通称ルパン小僧”の活躍が描かれました。いわく「あまり描きたいテーマではなかった」とのことですが、掲載誌が廃刊になったため18話限りで終了に

当時は「もうこれで描かなくて済む」と思ったそう。

「当初は3カ月で終わると思った。編集部からも『今さらルパンか…』と言われ、反響がなければ違う題材に変更される方針だった」と振り返っていた。2年連載し、アニメ放映が開始。再放送で人気に

その後、テレビアニメや映画で新作が次々と制作されたほか、宝塚歌劇団でも上演される人気キャラクターに育った。

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