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rulliさん

1915年、ハンガリー生まれ。

【主な所属クラブ】
1936ー1947  ウーイペシュト  301試合368得点
1947ー1949  ローマ      34試合6得点 


ハンガリー・リーグ優勝 4回 (1939、45、46、47)

ミトローパ・カップ 優勝 & 得点王 (1939)

ハンガリー・リーグ 得点王 5回 (1938、39、43、44、45)


【ハンガリー代表】
1936ー1947   39試合33得点

W杯1938 準優勝、 得点順位2位

ジェンゲレールは1930年代後半、ハンガリー代表の主力
だった。

W杯1938で、彼はまだ22才だったが大活躍し、準優勝した。
この大会、5得点(4試合)で、得点ランキングは2位だった。

翌1939年、彼は中央ヨーロッパで最強クラブ・チームを決める大会、「ミトローパ・カップ」に、ウーイペシュトの一員として参加して優勝した。イタリアのインテル等を倒した。
そして得点王にもなった。9得点(6試合)。
彼は、この1939年は更に「欧州、年間最多得点」(56得点)
を記録した。
1939年頃、彼は欧州最高FWだった。

彼は8年後、1947年、32才でイタリア移籍したが、
期待外れに終わった。

ジェンゲレールについての批評は
「ジェンゲレールは敏捷で、爆発的なジャンプ力があった。
彼は技術がとても高く、ドリブルが得意で、
『速いペース』でプレイする選手だった。
彼はアイディアが豊富で、更に戦術的に優れ
仲間と連係してプレイするセンスに秀でていた。
彼は得点だけでなくアシストでもチームに貢献するFWだった」
と説明されている。


批評家は、ジェンゲレールの「アシスト能力」を
称賛しているが、
彼の「ハンガリー・リーグ得点王 5回」
というのは、凄い成績である。

写真、右、ジェンゲレール。
   左、シャーロシ。

ジェンゲレールは22才の時、
W杯1938で、3才年上のシャーロシと
ハンガリー代表、攻撃陣を形成し、大活躍した。
W杯1938では、2人とも5得点(4試合)した。

シャーロシは、ジェンゲレール所属の
ウーイペシュトのライバル・チーム、
フェレンツバーロシュ所属でエースだった。
2チーム共、首都ブダペストに在る。
2人は対立チーム同士のエースで、
リーグ得点王を争っていたが
(ジェンゲレールの方が2回多く得点王になった)
代表では手を組み、大活躍した。

2人共、得点成績は驚異的で、若い時から既に
能力が開花していたタイプだった。

左 ジェンゲレール
右 シャーロシ

2人は、ハンガリー「2大、人気チーム」
ウーイペシュト、フェレンツバーロシュ、
エース同士だった。

この試合(観客 31000人)
フェレンツバーロシュのホームで
2-2で、引き分けで終った。
2人共、1得点した。
1943年、ジェンゲレールは26得点(30試合)で「リーグ得点王」になった。

2人共、国際舞台でも大活躍し
「ミトローパ・カップ」では得点王で優勝経験がある。
1939年の決勝は「ハンガリー・ダービー」となり両者は戦った。
決勝戦で、ジェンゲレールは2得点し
2試合合計、6-3でウーイペシュトが勝利し
優勝した
(シャーロシも1得点した)。

写真、右、縦縞ユニフォームの選手が、
ジェンゲレール。


1939年、24才の時、ジェンゲレールは、
リーグ戦で「56得点(26試合)」を挙げ、
「1試合当たり、2.15得点」という
驚異的な得点率の成績を残した。
彼はこの年、欧州で一番、得点をした選手となった。

当然だが、ジェンゲレールは、
「ウーイペシュトのレジェンド」である。
クラブ歴代2位の、368得点(301試合)の成績を残した。
(ちなみに1位は、
スサ・フェレンツの393得点[462試合]。
彼は1950年代に活躍した)

写真、左が、ジェンゲレール。

彼の選手評では、
「ジェンゲレールは爆発的なジャンプ力を
持っていた」
と紹介されている。

ジェンゲレールは、32才でイタリア挑戦し、活躍できなかった。
彼は、もっと若い年齢でセリエA挑戦をしていたら、
多分、成功していたのではないかと思う。

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