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rulliさん

1926年、アルゼンチン生まれ。

【主な所属クラブ】
1945ー1968  リーベル・プレート
1969ー1970  ミジョナリオス


アルゼンチン・リーグ優勝 7回
      (1945、47、52、53、55ー57)


国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)から、

「20世紀、南米ゴール・キーパー、第2位」

「アルゼンチン史上最高、GK」

に選ばれた。


【アルゼンチン代表】
1954ー1964  20試合出場

ネイションズ・カップ1964  優勝

彼はゴール・マウスからよく飛び出すタイプの
GKだった。
足も器用で、前線にパスを出し、
カウンターアタックの起点にもなった。

彼は屈強な肉体とダイナミックなプレイぶりから、
「ターザン」という愛称で呼ばれていた。


1940~50年代のアルゼンチン・リーグは、
世界有数のハイレベルなリーグだった。

この時代、リーベルプレートは最も強く、
そのゴールを守っていたのが、カリーソだった。
彼はリーベル・プレートで7回、リーグ優勝した
(3連覇を含む)。

アルゼンチンは1950年代前半、
当時の政権の方針で、
「W杯、コパ・アメリカ参加辞退」を決めた。
その為、彼は2試合しか代表出場がなかった。

その後、1950年代後半、方針を変え、
アルゼンチンは国際大会参加を決めた。
その時、彼は既に代表選手でなかったが、
W杯1958前年、若手レギュラーGKが
欧州移籍に伴い、代表辞退した為、
代わってW杯挑戦を決めた。
しかし、W杯で、アルゼンチンはチェコスロバキアに1‐6で敗れる等、大失敗に終った。

帰国した彼は、6失点という大敗の戦犯とされ、
国民から石を投げつけられる被害に遭った。
その為、この後は、代表への要請があっても拒否
をし続けた。

カリーソは代表拒否をしていたが、
1963年、37才で代表復帰し、翌年、
ブラジル開催、4カ国参加の(ブラジル、
イングランド、ポルトガル、アルゼンチン)
「ネイションズ・カップ」という大会に挑戦し、
優勝した。

これは、アルゼンチンが南米以外の国も参加した
国際大会で初優勝。
更にW杯2連覇中の開催国ブラジル(ペレが居た)
を倒して優勝した為、現在でも偉業とされている。

カリーソは、8年前のW杯失敗から名誉挽回した。
後列、左から3番目、カリーソ。

国際サッカー歴史統計連盟が、彼を
「20世紀、南米歴代GK2位」に選んだ理由の一つ
はこの優勝だろう。
彼はこの大会後、代表引退した。

写真、右上に
「ゴール・キーパー界のマラドーナ」
と紹介されているが、
彼は、天才的GKだった。


カリーソは、「1964年ネイションズ・カップ」
を「全3試合、無失点」で優勝した。
アルゼンチンは3連勝した
(ポルトガル戦、2-0、ブラジル戦、3-0、
イングランド戦、1-0 )

カリーソは、ブラジル戦では、PKを止めた。

この大会は、試合成績も良かったので、
その為、現在でも各方面から、彼は高い評価を
受けているのだろう。

彼はW杯でも、コパ・アメリカでも
活躍しなかったGKである。
(コパ・アメリカの試合出場はゼロだ)。

しかし、依然としてアルゼンチン国内、
そして「国際サッカー歴史統計連盟」等からの
評価はとても高い。

W杯に優勝したブラジル代表、アルゼンチン代表の
GKより高い評価を受けているGKである。

カリーソは、「769分、無失点」という
リーグ歴代1位の記録を持っていた
(1968年、42才の時に作った)
「8試合と49分、無失点」だ。

しかし、翌年、ボカのアントニオ・ローマ
(37才)にすぐ破られた。
ローマの記録は、783分。
(注: ローマもかなりの名選手だった)

ちなみにアルゼンチンでは、その後、1981年、
フェロカリール・オエステGK、
カルロス・バリシオが、1075分の大記録を
作って、現在も歴代1位だ
「11試合65分、無失点」。

とにかく、カリーソが当時、42才で、
無失点記録を作ったのは凄い事だ。

カリーソは、リーベル・プレートで515試合も
出場した。

前述のように1968年、彼は、42才で
「リーグ無失点記録、769分」を作り
(8試合と49分、無失点)、
この年、リーベルを退団した。
彼は、19才から23年間も、リーベル1軍に居た。

カリーソは、42才でも、「無失点記録」を
作れる程、通用していた超一流、GKだった。

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